なんの為に生きるの❓と
問い続けたし死にたかった。
今は答えられます。
生きる為に生きるの。
それだけで充分。
最低だと思った自分より
最低な人ものうのうと生きてる。
自分で自分の足を引っ張るのを止めて
図々しくなってみたら、
ちょっと楽になりました。
チャップリンの名言で
「人生はピンポイントで見たら悲劇だが引きで見たら喜劇だ」ってのは言い得て妙だなと思う。
ほんとにこんな自分みたいなハズレ人間、生まれて来た時点で滑稽だなとよく思います。てかお前よく頑張って生きてるよなって自分でも思う(笑)
自分の居場所見つける事も楽しく生きる一つだよ。
死にたかったり生きてみようかなと思ったり浮き沈み激しいけど、とりあえず自分自身を許容して愛して行く事は今後の人生におけるテーマみたいなものかな?と思ってる。
「死にたいなんて思ったことない」
誰かにそう言われる度に、
ああ自分とは違う人間なんだなと思って
心の距離を置く
逆になぜ、生きることに対して
そんなに頑張れるのかがわからない
誰のために?
きっと自分がいなくても、
その誰かの人生は特に支障もなく進んでいく
毎日せっせと働いて
嫌なことにぶつかっても平気なフリして生きて
誰かを愛しても
愛されたと思ったとしても
きっといつか傷つけられて
楽しいことは一瞬なのに
辛くて悲しいことは一生ついてくる
愛してくれるひとがいて
心配してくれるひとがいて
幸せだなあって思いながら死んでしまいたい
この先の人生
頑張れる自信も気力もない
そもそも“生”に対して執着がないのに
頑張る理由もない
20数年間よく頑張って生きてきた
もう充分な気がするよ
25歳、職歴バイト歴なし。パートナーなし。
進むのも怖い、進まないのも怖い。
何の成長もないのに歳だけとっていく。
歳だけ重ねている現状も、
誰からも必要とされないような未来も怖い。
生きていき方が分からない。
死にたいんじゃなくて、生きられない。
周りとは何かが違うと気づいた10歳から、
ずっとつらい。
死にたい死にたいずっとずっと思っていた。母に「死にたい」と言っても「世の中には生きたくても生きられない人がたくさんいるんだよ」と言われました。その言葉を聞いて私は「あぁ お母さんも皆と一緒なんだ」と思いました。皆「死なないで」って言って正義感に浸り「死にたい」といった人の気持ちを考えていない。
「世の中には生きたくても生きられない人がたくさんいるんだよ」って「死にたくても死ねない人」もたくさんいるんじゃないかな?「もうちょっと頑張ってみようよ」「もう頑張ってるんだよ」誰も気付こうとしてないだけなんだよ。こんな世界もう嫌だそう思って今日も何百、何千人の人の命が奪われていく。私もとっくのとうにそんな「世の中」に失望しています。「誰か助けて」そう思っていても誰も気づかない いや気付こうとしていないんだ。私は今日も楽な死に方を探して生きています...。
私の子供はまだ7ヶ月で一人だけと。一人でもいっぱいいっぱいで、毎日孤独辛い。夫は協力してくれるけど、寄り添ってはくれない。
心が毎日痛い痛いって悲鳴をあげている。胸の真ん中が痛いんだ。この痛みどうやったら消えるのかな。
明日がまたやってくる。明日なんて来なければいいのに。
「むざむざ食われてなるものか。」私は私自身の力で絶対に幸せになってやるのだ。それがこの世界に対する復讐だ。
ここにくると、みんな悩みがあるんだと思えて、楽になる。みんなもがきながら、なんとか、生きてるんだと。働きたいのに、受からない。コロナで、仕事もない。生活が貧しくなると、気持ちも落ちるもんだ。でも必ず道は開けると思いたい。
次から次へと
心のキャパを
越えてしまうことばかりで
本当に疲れました。
一生懸命やってると
思ってるが
どうしても結果がついてこなくて
運にも見放されてる。
苦しい、ひたすらに苦しい。
やったことに報われたい。
努力したことに報われたい。
必死にやってきたのに
誰が助けてほしい