問題は、能力や知識の不足ではありません。多くの場合、結果を急ぎすぎているのです。

強みの種

1知識、情報を集める系

2人つながる系

3物を作る系

4秩序を作る系

5挑戦、改善する系

 

自分の強みを必要とする人がこの世にいる、と感じられ、逆に自分の強みを使わないことが世の中に申し訳ないとさえ思うようになります。

 

道は「発見」するものではなく「創造」するもの。

 

具体的な未来像にこだわらず、今この瞬間に自分の思いに沿った選択をしていくことで、独自の道を切り開いていけるでしょう。

 

子どものころは、
楽しいから集中できました。

大人になると、
集中するから楽しい、に変わっていきます。

目の前のことに没頭した先で、
やっと楽しさが来る。

だとすれば、
楽しさは待っていれば届くものではなく、
こちらで作り出すものです。

お茶をていねいにいれる。
近所を歩いて、勝手に名前をつける。

そのくらいの手作りでいい。

 

問題は、能力や知識の不足ではありません。多くの場合、結果を急ぎすぎているのです。

 

人は無意識のうちに、勝てば「判断が正しかった」、早く勝てれば、「より優れた判断だった」と考えてしまう。すると、心のどこかで期限を切り始めます。来月にはプラスに戻したい、次の相場で取り返し今年中に結果を出したい。その焦りが、いつの間にか判断の土台をすり替える。

 

しかし、その発想自体が、すでに市場の時間軸と噛み合っていません。市場は、誰かの都合や目標期限に合わせて動く場所ではないからです。

 

結果を急いだ瞬間、人は未来を読むのではなく、自分の感情を満たすために取引を始めてしまう。その偏りが、気づかぬうちに判断を狂わせ、結果を確実に歪めていきます。

 

市場は、人間の都合で動きません。締切りも、評価期間も、進捗確認もありません。市場にあるのは、ただ価格の変動と、それを取り巻く力学だけです。

 

早く勝とうとする人ほど、長く残る行動を選べなくなる。長く残れない人は、いずれ必ず不利な位置で判断を下すことになる。

 

もっと分析すれば、もっと勉強すれば、もっと情報を集めれば、もっと考えれば、結果は改善するはずだ。そう信じて疑いません。ここで、努力そのものが信仰に変わります。まだ足りない。理解が浅いのだ。自分の分析が甘かった。そうやって人は、自分を責め始める。そして、さらに努力を重ねる。

 

しかしこの努力は、必ずしも成長にはつながりません。むしろ判断回数を増やし、迷いを深くし、感情を消耗させる方向に働くことのほうが多い。チャートを見る時間は増え、ニュースに振り回され、小さな変化に過敏に反応し、判断を修正し続ける。その結果、人は「動きすぎる」状態に陥ります。

 

市場では、考える努力や分析する努力よりも先に、待つ努力、何もしない努力、自分の手を縛る努力のほうが、はるかに難しく、そして重要になります。

 

市場が評価するのは、どれだけ努力したかではなく、どれだけ不用意に動かなかったかだけです。

 

おカネよりも大事なのは心身の健康を害さないこと、そのためには病気の原因の9割以上を占める「ストレス」を溜めないこと、「ストレス」を溜めないためには自分と他人を比べないこと、自分と他人を比べないようにするには、ちゃんと『己を知る』ことから逃げないことだと僕は思います。

 

「脱線しても続ければ道になる」

 

大事なのは毎日続けること。例え少しであっても、毎日積み重ねてゆけば、それは膨大な量になる。

 

「おれたちゃ、おれたち。それがなにか?」  「私なんかいまの自分でぜんぜん気にならない」  というようなお気楽な人がいちばんいいのです。

 

もし世間や知人の「圧」に負けそうになっても、「おれはおれでいーもんねー」と笑い飛ばしませんか!

 

中年期の危機を通して、私たちは結局自分が一人であること、本来の自分になっていく以外に道はないこと、自分の境地を求めることに喜びを見出す以外に、将来はないことを少しずつ自覚していくのです。

 

お金を使って、「あなた自身のスキルを高めていくこと」を お勧めします。

 

何事であれ、 価値があるからといって、 殖やして殖やし、 溢れるまで満たすのは、 やめたほうがよい。 刀を研ぎすぎると脆くなるように、 何事であれ、 あまりにも機能を追求し過ぎると、 長続きしなくなる。 金や玉を金庫に満たしても、 これを守り抜くことはできない。 満たせば満たすほど、 狙われやすくなるからだ。

 

私は見栄やつまらないプライドで、何でもかんでも抱え込もうとしてきました。  手放したあとに感じたことですが、私が後生大事に抱えていたものたちは、特に何も必要のないものだったのです。  放っておくと、人は自然と何でもかんでも抱えてしまいます。  それが本当に大事なことかどうかも考えずに。

 

「変ですよ」と言われることに心地よささえ感じるほど「自分」を解放したとたん、生きるのが楽になり、個性が磨かれ、輝く自分になれる。

 

人生って、すべてをありのままに受け入れ、自分にやってくるもの、宇宙がプレゼントしてくれるものを断らずに素直に受け取っていくと、ずっと楽しくてワクワクして、しかも思いもよらない素敵なことがどんどん起こってくるよね、という話になったのです

 

人生のコツ、生き方の大切なルールとして、「抵抗しないこと」というルールがあげられています。起こってくること、宇宙があなたに差し出すことに、抵抗してはいけない、それを素直に受け入れなさい、すると人生はとても穏やかで楽で、しかも生き生きしたものになる

 

自分も無理して幸せに生きようとか考えるより、マイペースにダラダラ生きて適当な年齢で死にたいと考えています。
でも周りの大人達はそんな生き方を勿体ない人生、底辺の人生と言ったり、若い内は色々な事を経験するべきと言ってくるので自分の価値観は普通じゃないんだなと日々考え込んでいます。
もういっそ「お前はこの世に必要とされてねえ人間なんだよ!」と切り捨てられた方が楽に生きられるんじゃないかと思うようになりました。
誰かに必要とされたり期待されるからこそ生きることが面倒に感じます。

 

「2勤5休のススメ」を、3行で説明してみましょう。まず生活コストを下げる。

週に2日だけ、生活のために働く。残った5日を、新しい人生のために全部注ぎ込む。

 

他人と自分を見比べると、他人に惑わされることになりがちである。したがって、自分がやるべきことに専念して、それをたんたんと進めていくことが大切だ。それが心の安らぎを得る方法だ

 

中年期の危機を通して、私たちは結局自分が一人であること、本来の自分になっていく以外に道はないこと、自分の境地を求めることに喜びを見出す以外に、将来はないことを少しずつ自覚していくのです。

 

「人生の意味」を感じるために必要なのは、「外部世界にあるなにか素晴らしいものを獲得すること」よりも、「外部世界の課題に取り組む、自分自身の働きの姿勢」ということになります。  私たちの外部につながるときの姿勢が、真摯・真剣・熱意・犠牲を厭わない思い・心からの感謝・熱い祈りと願いの込められた・心からの愛情と配慮に満ちたものであるほど、私たちはその働きから「つながり感」を得ることができ、それを通して「人生の意味」を実感することができるのです。

上ばかり見ていると居場所を失うよ。 理想を追われずに、のんびり、じっくり。 目の前の現実をちゃんと楽しもう。

得るものが何も無い。それがむしろ充実に繋がっていく。

 

他人の付けた値段になんか負けないでください。人生を決定するのは、自分の「生き方」だけです。自分の人生は自分のものです。自分の価値は自分でいくらでも増やせます。お金は知恵と経験になるように使ったらたまり続ける。

 

 

これからは、ただ自分で在る ただ自分を表現する

 

手柄のための努力は、結果が出なければ空しくなる。夢中は、結果が出なくても空しくならない。やっているその最中に、もう受け取っているからだ。「あ、遊べばいいんだ」と気づくのは、そのことに気づく瞬間なのだと思う。

 

しかし、夢中になるには、場所と時間が要る。人生を労働時間として切り売りしているあいだは、その余白がなかなか生まれない。だから、暮らしを小さくすることには意味がある。モノも固定費も少なければ、うまくいかなくてもやり直しがきく。小さな暮らしは我慢のためではなく、夢中になるための余白をつくる工夫である。

 

片道五百キロを日帰りで走るような「無駄」が、なぜ贅沢なのか。役に立たないからだ。役に立たないことに時間を使えるのは、その時間が自分のものである証拠になる。効率の外にあるものだけが、人生を「自分のもの」にしてくれる。

 

自灯明という言葉がある。自らを灯りとして歩め、と。けれど、灯りを握りしめて遠くまで照らし続けるのは、実際にはずいぶん疲れる。灯りは、足もとの石ころや、道ばたの花が見える程度で十分なのかもしれない。今日の掃除、今日のドライブ、今日の一杯のお茶。その手前の明るさで、人は案外、歩いていける。

手柄はいらない。意味づけも、あとでいい。夢中になれるものが一つあって、疲れたら眠れて、小さな暮らしの中でやり直しがきく。それで人生は、思っているよりずっと足りている。

 

「開き直り」の主なパターン

1. 力を抜く、期待しない

  • 「なるようにしかならない」と思えたら楽になった
  • 「生きているだけで頑張っている」ので、他のことは頑張らない
  • 嫌われても「これが私だ」と思うようにした

2. 諦めを前向きな選択にする

  • 「ダメなものはダメ」と切り替えた。諦める強さもあると思う
  • 痩せる努力や若さへのこだわりをやめた
  • 「やりたいことだけやる」「やりたくないことはやらない」

3. 好きなことに全振りする

  • 趣味やコンサート、食べ歩きに打ち込んだ
  • 家族と縁を切り、自分を最優先にした
  • 開き直って好きなことをしている人は輝く、という声もあった

4. 死生観で気持ちを軽くする

  • 「どうせ最後はみんな死ぬ」「100年後にはみんないない」と考えると、悩む時間がもったいなくなる
  • 「親より1日でも長く生きれば十分」
  • 食べたいものを食べるために、健康には気をつける

印象的なやりとり

  • 不登校の子を持つ親: 「好きにやろう」と開き直って遊びに連れ出したら、子は専門学校から資格、就職へと進んだ。親の前向きさに救われたという当事者の声もあった。
  • 容姿に悩む人: 「ブスだから結婚は無理」と開き直り、働いて好きなことをしていたら結婚できた。「開き直った人は輝く」という励ましが出た一方で、整形や婚活を勧める声もあった。
  • 30代の人: 「まだ開き直れない」という声に、「30なら諦めるには早い」「34でやっと開き直れた」「少しずつ折り合いをつければいい」と返答があった。
  • 風俗で働くシングルマザー: 「生活保護に頼っていい」「頼れるものは頼ろう」という意見が出た。
  • 病気や健診への不安: 「怖いけど開き直ってみる」という声があった。

全体を通して見えること

  • 開き直りは、諦めと同時に「楽になった」「楽しく生きられるようになった」という実感を伴っている。
  • ただし完全には開き直れない人も多く、「開き直っている時もあれば、まだ期待している時もある」という揺れも語られている。
  • 「結婚や子どもが幸せの条件」という価値観から離れる人も目立つ。
  • 一方で、死にたい気持ちや強い孤独をにじませるコメントも混ざっていて、明るい開き直りとは温度差がある

 

危機感持つ必要なくね?www
危機感持っていようが、人生なんも変わらんぞwww
もっと楽しいことを考えようぜwww
あれだな、悩みごとあったらなんとかなると思うと悩む必要はないだろ?
俺はいつもこれだわwww

 

人生版ドラクエも、夢を叶えることはいったん忘れて、スキルやステータスを上げることそのものを目的にする。
新しい技術を覚えることや、同じ仕事の時間をどんどん短縮する。健康に関するステータスを上げる。

 

資産運用や自己投資は、
目的ではなく手段だと書かれていました。

何のための手段か。
自分にとっての理想のためです。

理想が見えないまま増やしても、
使い道が決まらない。
使い道が決まらないお金は、
不安の置き場所になってしまいます。

増やすことより先に、
どんな暮らしをしたいのかを、
ぼんやりでもいいから描いてみる。

 

 

自分を苦しめる理想なら捨てよう。

ちいさな幸福のために理想を捨てよう。

人は理想なんてなくても生きていける。理想に殺されるくらいなら、理想なんていらない。理想にとらわれすぎるあまり、息苦しくはなってはいないか。

目の前にある現実をきちんと愛することができれば、理想がなくても人は成長できるし、毎日も楽しくなり、ちいさな幸福を手にすることができる

 

信じたいことを信じてるよ。 楽に生きられる方を信じてる。 楽しいを感じれることを信じてる。 好きなことをすればいいとか。 努力しなくていいとか。 何が起きても大丈夫とか。 とても心躍る言葉。 そうならいいなあって思ったら信じる笑笑 根拠とかより、自分がそんな世界がいいんだから、信じるというより、わたしこっちがいい、って子供の駄々みたいな感じなのかも。 辛くて苦しい世界より 優しくて甘い世界がいい。 なんにもしなくてもただただ愛されて喜ばれて暖かい気持ちに満ちた世界がいい。 そんな世界はないというひとはわたしの世界には要らない。 わたしを否定するひとはわたしの世界にはいらないなとようやく気づいた。

 

ん?
「だってそ~思ったんやもん」

で、終わり。な(ᵔᴥᵔ)

自分の道を一生懸命に走っていると、人は必ずそこに引き寄せられていくものだ。

「努力は報われる」とか「夢は叶う」みたいな考え方は単なる願望でしかないので、

最後まで負けっぱなしで終わるかもしれないという覚悟はしておいた方がいいです。

・負けても成長することはできる

・成長が続けば勝てる日が来るかもしれない

・勝てる日が来なければ成長し続けるのみ

・最後まで勝てないままかもしれない

こんな感じですね。

 

負けている人の苦悩、絶望、焦燥、飢餓感は多くの人の心を動かします。

 

負け続ける人は負け続けることで、

勝ち続ける人が持たない武器を手に入れられるのです。

それは負けている人の気持ちに寄り添えるということ。

負けて苦しむことは才能が無くてもできることなのです。

 

負け続けるだけは嫌だけど、負けの数だけ立ち上がっているとしたら、

理論上は滅茶苦茶成長しているはずです。

そう考えると興味深いような楽しみなような、こそばゆい気持ちになります。

 

「大舞台で勝負する時、『これで負けたら人生終わりだ』と必死になればアウト。強いヤツはみんなマイペースです。ただ、そのためには仕事以外の人生をどれだけ充実させられているかが大事だと思います。仲の良い友人や大好きな恋人がいる、大切な家族やペットがいる、好きな趣味の世界があるなど、『負けても、普段のオレは変わらないんだ』と思えるような何かがあればいい」

 

歳を重ねる毎に、悟りも増えてきました。 
自分が感じた違和感や直感を信じる。 
他人のアドバイスは参考で、流されず自分が決断すると後悔はない!

 

他人の付けた値段になんか負けないでください。人生を決定するのは、自分の「生き方」だけです。自分の人生は自分のものです。自分の価値は自分でいくらでも増やせます。お金は知恵と経験になるように使ったらたまり続ける。

 

自分の道を一生懸命に走っていると、人は必ずそこに引き寄せられていくものだ。

 

あなたは望みが高すぎます。どうか地道に行動してください。単純に作業量や内容がキャパシティを超えているだけかもしれません。ハードルをもう少し下げて調整してみてください。グダグダしている様に感じるのは、あなたの旅路に一里塚が存在していないからです。

努力は二の次で構わないので、自身の観測方法を確立してください。

 

荘子は、究極の境地をこう語ります。「至人は己なく、神人は功なく、聖人は名なし」。自分へのこだわりも、手柄も、名声も持たない人こそが、何ものにも頼らずに遊べる、という意味です。

 

去年できなかったことが、今日はできている。
誰にも評価されない小さな変化でも、自分だけは気づける。
その内側の成長に気づけるかどうかで、
毎日の景色は大きく変わる。

成長は義務じゃない。
楽しみながら続けるほうが、結局、遠くまで行ける。

 

大きな喜びでなくていい。
今日の味噌汁がおいしかった。
それでも、得は得です。

凡人は、楽しむしか勝ち目がない。
努力は、天才のすること。

 

今の自分はダメだという前提ではなく、
自分はイケてるってことに(勝手に)して
楽にやったほうが成果は上がると思うよ。

 

音楽を演奏するというのは、決して特別な行為ではありません。昔から様々な行事や儀式などで、誰もが歌い、演奏する機会がありました。それは喜びを表し、ときに悲しみを表し、それは人を慰め、言葉にならない感情を外に放出する手助けをしてきました。音楽を奏でることは、誰もが行ってきた、自然な行為なのです。

 

どうせ不安になるのなら、どうせ悩むのなら、自分の歩みたい人生を思い切り味わったほうが、精いっぱい生きているほうがいいと思いませんか。  自分の本音が求める道を選択し、やりたいことを行動に移した方がいいと思いませんか。

 

古く傷ついたものを愛せる自分になることが、本当の豊かさにつながると信じています。

 

好きなことを仕事にするということが大きな幸福感をもたらしてくれると言うのは全くその通りだと思います。一般的な趣味は、道楽と言うのは、仕事の合間にやるから、気分が変わって、楽しいわけで、四六時中やっていたのでは、それはもはや趣味ではなく、仕事です。

でもその仕事が本当に自分の好きなことだとしたら、これ以上楽しい事はないでしょう。

 

死んだように生きるぐらいなら挑戦して死んだほうがマシです。人間は環境に合わせてなんとかしますし、なんとかなることの方が多いです。

 

もっと自分の武器を磨いていこう。

残るのは、名刺のない自分と、有り余る時間だけだ。もっと勉強しよう。

 

脳は何歳になっても成長する。

勉強こそが最強のアンチエイジング。

 


純粋な好奇心で学ぶ喜びを知っている大人は、何歳になっても魅力的なのだ。

 

人間の幸福度を決めるのは「喜怒哀楽の総量」です。つまり、成功しようが失敗しようが、チャレンジの回数が多いほど人生は豊かになる。

 

続けるということ

何かを続けていると、
「これ、意味あるのかな」と思う日があります。

結果はまだ見えない。
周りは先に進んでいるように見える。
やめてしまえば、楽になれる気もする。

それでも続けた先には、
続けた人にしか見えない景色があります。

一、小さな積み重ねが、大きな力になる

一日の一歩は、ほんのわずかです。
けれど、一年たてば三百六十五歩。
十年たてば、もう振り返っても元の場所が見えないほど遠くにいます。

努力は足し算のように見えて、
実は少しずつ、掛け算に変わっていきます。
続けるほど、土台が厚くなり、次の一歩が軽くなるのです。

二、自分への信頼が育つ

続けた日々は、
「自分はやると決めたことを、やれる人間だ」
という静かな自信になります。

この自信は、褒められて得るものとは違います。
誰にも見られていない日にも、
やったという事実が、自分の中に残るからです。

三、「できない」が「できる」に変わる

最初は不格好でも、
繰り返すうちに、手が覚えていきます。
迷っていたことが、いつの間にか自然にできるようになる。

うまくなるのに、特別な才能はいりません。
ただ、そこに居続けること。
それだけで、人は確実に変わっていきます。

四、続けた人にしか出会えないものがある

人との信頼も、仕事の評価も、
一度きりの頑張りでは生まれません。
「あの人は、ずっとやっている」
その事実が、人の心を動かします。

そして、続けた先でしか見えない景色や、
続けたからこそ訪れる出会いが、
思いがけない場所で待っています。

五、続けることで、自分の軸ができる

流行や周りの声に揺れても、
長く続けてきたものは、自分の芯として残ります。
「何を大切にして生きてきたか」が、
言葉にしなくても、日々の姿に表れるようになります。

おわりに

続けることは、派手ではありません。
むしろ地味で、時に退屈です。

けれど、その静かな繰り返しこそが、
人を育て、道をつくり、
やがて「自分らしさ」と呼べるものになっていきます。

今日の一歩は小さくていい。
ただ、明日もまた歩けるように。
それだけで、十分です。

前に進む一歩のスピードと歩幅が充分に足りていると知る と考えると、前に進む事と足るを知るは相反しません。

前に進む一歩のスピードと歩幅が充分に足りていると知る

と考えると、前に進む事と足るを知るは相反しません。

 

若い頃に身につけた努力の仕方や成功体験は、たしかに自分を支えてくれる。

だからこそ、それを手放すのは簡単ではない。

 

だが、以前と同じように働いているのに苦しい。人間関係がうまくいかない。頑張っても状況が変わらない。

そんなときに必要なのは、努力の量を増やすことではなく、やり方そのものを見直すことかもしれない。

 

結果が出るかどうかって、  シンプルに突き詰めると、  どれだけ続けられるかってことだけ。

 

私が”宇宙一幸せだ”と感じられるのは、誰かと比べて自分が一番幸せだと思っているのではないんです。 自分が”宇宙でたった一つの大切な存在”なんだってことを心で理解して、自分らしく自然体でいられる”自分基準の幸せ”を感じることができているからです。

 

私は、働いて得たお金から幸せが得られるんではないんです。 幸せを感じながら働くことが幸せなんだって、気づきました。

 

いろんな新しいことに挑戦して、いろいろどんどん試してみて、「何が起きるか?」いつもしっかり目を見開いて、その成り行きを見守っておく。

 

ここで何かのスキルを少しでも身につけられれば、自分という人間にマーケットからの需要が生まれ、稼げる人になる一歩を踏み出せるはずです。

ほんの少しでも自分に対して需要が生まれれば、あとは頑張って供給して、スキルアップしていくだけ。

 

確かに最初は自己満足かもしれませんが、それで構いません。小さな積み重ねは、ふと気がつくと自分の自信となって停滞や現状維持に負けず、さらに先に進むための活力となります。

 

これは今すぐ実践できます。まずは今の自分が毎日継続できることを考えてください。何でもどんなに些細なことでも大丈夫です。

 

人と比べなくなった時だろうな。人目を気にせず自分のやりたいと思ったこと(犯罪とかじゃなく)をやって生きることが出来たら、それはもう無敵の幸せだと思うよ、

 


貴方はペ ースを落とさずに 、むしろ上げて 、周囲の人を置いてけぼりにする道 」が 、貴方がより売れる道になります 。

 

一時的には収入は落ちようとも、別に焦らず、落ち込まず、ヘラヘラ、ぶらぶら、好きなことだけやっていたのです。

頑張った末に得られると思い込んでいる価値が、実はすでに自分には充分あるはずなんです。

 

結局、私たちは余計なことを考えて余計なものに手を出し、余計な評価を獲得しようとするから、余裕がなくなるわけです。  シンプルに、「本当に自分を幸せにするために必要なものは何か」ということに向き合えれば、実は、世の中のほとんどのことはどうでもいいことになるでしょう。

 

「なれた自分でやっていく」ということ。
失敗した、要領が悪かった、それで良いのではないでしょうか。

 


決して、思い描いたような人生でもないし、今現在「なりたい自分」になれているわけでもありませんが、“なれた自分でとりあえずやっていく”をモットーに、そこそこ機嫌よく生きている次第です。

 

諦めたら人生変わるよ。

諦めたらいい。
人の期待に応えることとか。
思い通りの人になることとか。
ちゃんとした人になることとか。
嫌われない人になることとか。
諦めたらいいよな。笑。

 

人の価値観で生きるのを、やめてください。人生なんて、そう長くないんだから、思ったほど重大な事なんて起こらないし、暇つぶし程度に生きてみたっていいんです。

 

就活であれ婚活であれ打算で何かやる場合には自分がそこに近づいていかなければいけないけれど、

本気で何かやってる人にはそれがどんなことであれ、人や縁が集まってくるしね。

 

本当に豊かになるには、買う豊かさを作る豊かさに変えること。だって作っている最中までおもしろいんですよ。お金を払って誰かにやらせるなんてもったいない。

 

結局、人生しんどい人は、自分にフィットしたゲームをやってないんよね、きっと。 苦手なゲームに取り組んでるからしんどいんだよ。

 


人間、死亡率100%

どう生きても全員死ぬ。人の目なんて気にすんな。努力なんてしなくていい。なにも頑張らなくていい。

でも自分を大切に。今日まで生きてきた自分に、声を出して毎日ありがとうと言ってます。

 

“同じ空間に人がいると仲良くなるんだな”ってことに気づいて始めたのが、ご縁つなぎです。僕が好きな人たちを集めて会わせてみようと動き出して、一気に世界が広がりました。友達が友達を呼び、かけがえのないの仲間ができました。ご縁つなぎの書籍まで出版させてもらいました。

 

何が起こるか分からない人生だからこそ、行動を続けてスキルを磨けば、多くのライバルを一年以内に抜かすことができる

 

片付かないのは「ただの持ちすぎ」

 

減らすだけで家は片付く

 

それよりも強く心に残ったのは、新しい経験を一つ手に入れたという確かな達成感でした。

行動の大きさではなく、やったかどうかがすべて。

この「小さな失敗」という名の成功体験によって、行動することへの心理的な壁が、霧が晴れるように少しずつ取り払われていきました。

 

仕事とは自分の個性を生かした社会貢献であり、その貢献度に応じた経済的な価値を得ることだ

 

荘子は、究極の境地をこう語ります。「至人は己なく、神人は功なく、聖人は名なし」。自分へのこだわりも、手柄も、名声も持たない人こそが、何ものにも頼らずに遊べる、という意味です。

 

幹は節だらけ、枝は曲がりくねって、大工が見向きもしない大木の話を持ち出し、荘子の言葉もこの木と同じで大きいが役に立たない、と皮肉ります。

荘子はこう返します。役に立たないからこそ、斧で伐られることがない。それなら「無何有の郷(何もない広々とした野)」に植えて、その傍らでのんびり過ごし、木陰で寝転べばいい。役に立たないことを嘆く必要はない、と。

 

 

痛みに意味を与えることも、真面目を捨てることも、突きつめれば「うまくいかせよう」の変奏だったのかもしれない。意味を与えて自分を立て直す。意味を壊して自分を解放する。どちらも、自分の力で人生の筋書きを整えようとする働きだ。

 

わからないものは、わからないまま置いておく。意味がないなら、ないままでいい。そのうえで、庭に椅子を出して本を読む。草花の手入れをする。遊ぶ。蝶を追うのをやめて庭をつくれば、蝶のほうから来る、という言葉もある。

意味を持たせて夜を越えた日の私も、意味から降りて遊ぶ朝の私も、同じ一人の人間である。どちらが正しいということはない。物語を必要とする日があり、物語がいらない日がある。その両方をひっくるめて、なるようになる。ブログの名前に、私はずいぶん昔から答えを書いていたのかもしれない。

 

成長できたとしてもむやみにハードルを上げない。

目的は成長のループを安定して継続することにある。刺激に対する敏感さを持つことは成長の大きな助けになる。成果そのものも大切だけど、それを正しく意識できることは同じくらい重要だと思ってほしい。

成長のループを続けていると、ついついハードルを上げてしまいそうになる。慣れてきたらハードルを上げればいいと思っていたが、最近は、慣れてきてもおいそれとハードルは上げてはいけないな。

ハードルを下げることは練習の質を上げることになる。丁寧にやるというのはスランプにも効く。

安定した継続がどれだけ価値があるか。

 

周りの評判や評価を、何の疑問もなく受け入れて、それをさも本当のことのように思ってしまう人がけっこういる。限界がどこにあるかそれは誰にも分からない。

成功するかは別にして、やりたいのであれば、やるべきなんじゃないだろうか。
いわゆる才能や適性というのはそれほど当てにしないほうがいいのではないだろうか。

 

 

才能がなかったらやらない、あったらやるというのは「成功するならやる、失敗するならやらない」という考えに近い。実利的な考えで、僕には違和感がある。

才能や適性など当てにしないで、成功や失敗も考えないで、好きならとにかくやってみればいいのではないか?

 

ゲームであっても、強くなるということの先に人間的なふくらみがなければつまらない。結果の世界だからこそ過程を。真剣の中に遊びをの感覚を。そして、強さの先に優しさを。そんなことをどこかで感じながら、日々取り組んでいる。

 

強がりとか屁理屈ではなく、

勝ったら充実感が得られて、負けたら学びを得られる。

つまり、どう転がっても自分にはメリットしかないと考えるようにしたら、

少しだけ気が楽になりまし

 

格闘ゲームには、不利になったら一度引く、という基本がある。

押されている時ほど、人は前に出たくなる。
取られた分を取り返したくて、焦って、リズムを崩す。
気づけば、さらに削られている。

目先の損が許せないと、もっと大きなものを失う。
これは画面の中だけの話じゃないと思う。

僕たちの毎日も、「場面」の連続でできている。
苦手な付き合い。
断れなかった頼まれごと。
疲れているのに引き受けた用事。

ひとつひとつの場面で「勝とう」「ちゃんとやろう」とすると、
どこかで試合そのものが壊れてしまう。

大事なのは、場面に勝つことじゃなくて、試合を壊さないこと。
そのために、劣勢の時は一歩引いて、広い視点を取り戻す。
感情が落ち着いてから、次を考えればいい。

 

成長しなきゃ、強くならなきゃ、と思うほど、

人は器を広げる方向にばかり力を使う。

でも本当は、中身を減らす方向にも、強さはある。

 

去年できなかったことが、今日はできている。
誰にも評価されない小さな変化でも、自分だけは気づける。
その内側の成長に気づけるかどうかで、
毎日の景色は大きく変わる。

成長は義務じゃない。
楽しみながら続けるほうが、結局、遠くまで行ける。

当たり前という名の財産

大きな病をして寝込んだ人は、回復した朝に不思議な心持ちになると言います。息が吸える。ご飯が喉を通る。湯船に身を沈めると、じんわり温かい。ただそれだけのことが、贈り物のように思えてくる。あの感覚は、元気なときにはどこへ隠れているのでしょうか。

隠れているのではなく、こちらが見ていないのだと思います。私たちは「ないもの」を数えることに忙しい。あれが欲しい、これが足りない、もっとこうなりたい。けれど願望というものは、突き詰めれば気分を上げるための道具にすぎないのかもしれません。道具ならば、使えばよいのです。ところが私たちは、その道具のために必死になってしまう。気分を上げようと走り回って、かえって息を切らしている。これでは本末があべこべです。

では、願いなど捨ててしまえばよいのか。そうとも言い切れません。ある人は、自分の内に二つの声があると語っていました。一つは「こうしたい」という本音の声。もう一つは、良心や道徳、体面やプライドから発せられる、天使のような声。この天使がいつも本音を押さえつけていると、人は少しずつ自分に嘘をつくようになる。立派な顔をしながら、心のどこかが痩せていく。

本音に従って生きることは、必ずしも幸せへの近道ではありません。茨の道に進むこともあれば、紐なしでバンジーを跳ぶような場面もある。それでも、自分の声を聞いて生きるのは、なかなか面白いのだと。私はこの「面白い」という言葉に、ごまかしのない実感を感じます。幸せになる手段として本音を聞くのではなく、聞くことそのものが、すでに生きている手応えなのでしょう。

その手応えは、始めなければ得られません。最初から上手な人はいません。笑われても、失敗しても、続けているうちにいつの間にか形になっている。大切なのは、結果を目的にしないことです。今日、目の前のことに手をつける。あとはよいことが起こると信じて、ただ続ける。成果は、後ろから勝手についてきます。

もう一つ、「人生を変えるのに、時間も行動もいらない」という言葉に出会いました。「ラクでいよう」と決めるだけでいい、と。乱暴に聞こえますが、怠けのすすめではないのでしょう。自分を何かに作り変えようとする「はからい」を、そっと手放す。足すことをやめると、すでに「ある」ものが見えてくる。病み上がりの朝に見えた、あの息や湯のぬくもりは、そこにいつもあったのです。

浄土真宗では、自分の力で何とかしようとするはからいを離れるところに、教えの要があると聞いてきました。はからえばはからうほど、凡夫は迷う。そのことに気づかされたとき、かえって肩の力が抜けます。「なんか知らんけど、そうなる」。そんなふうに、なるようになる。この任せ方は、無責任ではなく、信頼の一種だと思います。

そして、ためたものは、使ってこそ価値があります。お金に限りません。時間も、体力も、若さも、いつか期限が来ます。持ち越すのではなく、今日の自分のために、また誰かのために、気持ちよく使い切る。そう考えると、誰もがいつか死んでゆくという当たり前の事実も、少し違った色に見えてきます。終わりがあるから、この一息が尊い。

今日まで生きてきた自分に、声に出して「ありがとう」と言ってみる。それくらいの小さな実践で、十分なのだと思います。足りないものは、もう数えなくていい。吸って、吐いて、温かいものを口にして、また眠る。その当たり前が、いちばん大きな財産でした。

あるもので組む ――BricoLife覚え書き

廃材置き場に立つと、いつも少し気が楽になる。ここにあるのは、どこかで役目を終えた木ばかりだ。反りもあれば、釘穴も、日焼けの跡もある。新しい材木のように「こう使え」とは言ってこない。だからこちらも、立派なものを作ろうと力まずにすむ。手持ちの材をよく見て、合うところを合わせ、合わないところは削る。それだけで何かができあがっていく。

最近気づいたのは、自分のブログも同じことをしているということだ。何年も、誰かの言葉の切れ端を拾っては並べてきた。体系もなければ、結論もない。それでも並べ続けているうちに、一本の筋のようなものが見えてきた。減らすこと。小さく始めること。比べないこと。続けること。そして、遊ぶこと。拾い集めた言葉の廃材で、知らないうちに自分の柱を組んでいたらしい。

手持ちの材には、自分自身も入る。たいした才能はないし、人並みにこなせないことも多い。点数をつければ三十五点くらいだろうか。以前はその足りない六十五点を埋めようとして、ずいぶん疲れた。いまは、三十五点の材で何が組めるかを考えるほうが面白い。反った板には、反った板の使いどころがある。

こういう話をすると「諦めているのか」と言われる。たしかに諦めてはいる。ただ、それは投げ出すこととは違う。「あきらめる」は、もともと「明らかに見る」ことだと聞く。できないことを明らかにすれば、できることも明らかになる。できることが見えれば、あとは手を動かすだけだ。諦めた人ほど長く続けられるのは、たぶんそのせいだと思う。

手を動かしていると、ときどき不思議な瞬間がある。自分で作っているはずなのに、気づけば「できていた」としか言いようのない形になっている。木目に導かれ、ほぞが勝手に収まっていく。そこには、私のはからいを超えた何かが働いている。自分の灯を頼りに手を動かしながら、最後は自分の手柄ではないところに落ち着く。自力と他力の境目は、案外こういう手仕事の中にあるのかもしれない。

もうひとつ大事にしたいことがある。減らすだけでは、暮らしは内向きに閉じてしまう。余った材や身についた技術は、欲しい人に回せばいい。自分にとってはただの端材でも、誰かにとっては棚になり、踏み台になる。一人で満ち足りる幸せには限りがある。けれど、端材が誰かの役に立つ喜びは、不思議と減らない。

目標は小さくていい。評価はいらない。続けることだけを残す。荘子は、役に立たない大木こそ伐られずに長く生きると書いた。廃材も私も、たぶんその仲間だ。役に立たないもの同士で組み上げた暮らしが、気づけば一番自由だった。そういう人生でいいと思っている。

初心者が物事を1つ上の視点から見れるようになれる平均が3年なんだと思ってます。もちろん本人のセンス次第で1年にもなるし、5年かかる人もいる。 新入社員を10年以上見てきているけど、3~4年目くらいで仕事に対する意識が変わる子が多い。

下手に老いて苦しんでいる人は、だいたい油断している人です。浮かれた情報に乗せられ、現実を見ずに明るく気楽で前向きな言葉を信じた人たちです。

上手に老いて穏やかにすごしている人は、ある種の達観を抱いています。決していつまでも元気を目指して頑張っている人ではありません。いつまでも元気にこだわると、いずれ敗北の憂き目を見るのは明らかです。

老いれば機能が劣化する分、あくせくすることが減ります。あくせくしても仕方がないし、それで得られることもたいしたものではないとわかりますから。そういう智恵が達観に通じるように思います。

 

 

 

わたしもそんなだったけど、25年間続けた仕事やめて180度違う業種の新しいスキル身につけてる。生き返ってるよ。

 

 

まだ人生半分残ってるじゃん
有効に活用しなきゃ損だよ

 

みんな仕事も「めんどくせえ、俺に合わねえな」と言うけど、「俺に合う」までやるんだよ。でも意外と諦め早いよね。俺は「合わねえよそんなもの」と思うね。10年、20年やって、やっと合うようになるんだよって話だ。

 

快楽と節制の間

淡々と積み上げるのが最強の生存戦略。

根性論もダラけるのも続かない。

 

自分がコントロールできることだけに集中する。他人と比べても落ち込むだけ。とにかく続けることが大事。いきなりデカい目標は挫折する。毎日一ミリでも進めばいい。

 

目立たずに淡々と始めて気づいたら続いていたことの方が行動の定着率が高い。

基準を下げるは妥協ではなく戦略である。

 

成功とは、一度にひとつずつ、ことを片付けることだ。

困難は、できるだけ多く、できるだけ細かく分割せよ。

 

やるべきことが”ひとまとまりすぎている

 

理想や夢はおおきくとも行動はバカバカしいほど小さく。

 

人生は、意義がなければないだけ、それだけいっそうよく生きられる。

生きるとは不条理を生かすことだ。

不条理を生かすとは、なによりもまず不条理を見つめることだ。

 

得るものが何も無い。それがむしろ充実に繋がっていく。

 

 

信頼や、安全や、快楽を失いたくない、損したくないのです。
でも、損してもいいと思うと、肩の荷が降り、元気になれるのです。

 
生きていくのは

毎日裏側にされたカードをめくっていくようなもの。

何が出るかわからない。

 

人生は最高のテーマパークだぞ。自分さえその気なら、この世界には遊んでも遊びつくせないほど面白いことがたくさんある!

 

やりたいと思えることが一番重要な才能なのに才能論に流されて趣味に手を出さない人は本当にもったいない

一度経験したら未経験の時より上手くできるという単純な話で多くの経験を積めばなんでも上手くなるのに

どう説得しても納得してくれない人が多くて悲しい

 

自分のスタイルみたいなものがあるとしたら貫いた方がいいよと言いたいですね。他人の目ばかり気にしてたら生きてて楽しくないし、後悔が残る人生になるんじゃないでしょうかね。

 

・お金を手に入れたり、有名になったりして自分一人が幸せになる「一人称の幸せ」には限界がある。人の幸せや喜びを自分の幸せと感じることができれば、どんんどん自分の幸せが増えていき、大きく安定した幸せを感じることができる。

 

・もともとは「やりたい」と思っていたことでも、時間が経つといつしか「しなければならない」になってしまい、時間に追われて余裕がなくなってしまう。「しなくてもよいこと」が混ざってないか考えてみることで、「しなければならない」ことを手放したり人に任せたりすると、本当に必要ななことが見えてくる。

 

他人の付けた値段になんか負けないでください。人生を決定するのは、自分の「生き方」だけです。自分の人生は自分のものです。自分の価値は自分でいくらでも増やせます。お金は知恵と経験になるように使ったらたまり続ける。

 

自分の道を一生懸命に走っていると、人は必ずそこに引き寄せられていくものだ。

 

あなたは望みが高すぎます。どうか地道に行動してください。単純に作業量や内容がキャパシティを超えているだけかもしれません。ハードルをもう少し下げて調整してみてください。グダグダしている様に感じるのは、あなたの旅路に一里塚が存在していないからです。

努力は二の次で構わないので、自身の観測方法を確立してください。

 

答えを用意してくれるだけの世の中ではない。ときには自分の範囲だけでもルールを書き換えた方がいい。

ということだけでも知っていれば、無いものをあれこれ求めるよりは、あるものでプレイを楽しめる。

人生は長く、世の中は思っているより大きく変化します。

今は仕方なく選んだ手札が、大当たりすることもあるでしょう。

災い転じて福となす、その日まで。

 

与えられた環境の中でどのように振る舞い、
どう生き、苦しみ、学び、考え、自分なりの正解を見つけ
そして死んでいくか。

そこまで全てがワンセット。

 

「問題」の「答え」は
「自分らしくやりたいことだけして生きること」

 

厳しい自分ルールを作り上げてずーっとそれ握りしめて生きてたら、とうとう心も体も壊しました。 頑張るのやめようって決めたら、自分の中の誇りだと思ってた看護師の仕事、幸せだったと思ってた結婚生活、信頼できると思ってた人間関係。 強制終了にあい、何にもなくなりました。 で、今コロナ騒動で更に手放したものもあり引きこもりLife満喫中。 今まで気づかなかった花や空の美しさやご飯の美味しさに感激です。 今が1番幸せです。

 

 

やる気はやり始めてから出てくるもの。だからその作業を始めるのが何よりも一番大変なわけで。

 

 

「とにかくやれ!」

今してることを捨てて、今から始める。

「あれ?全部俺の勝手な思い込みで実質フラットなら、今やってる習慣はもったいなけどいったん止めて、"今"重要なことはじめるか。」

 

全部やらなくても、もったいなくはない。

捨てることで損はする。

 

だが、残した5割に本質がある。

残した5割に2倍以上の価値がある。減らして捨てる。

 

自分の価値観がどうでもよくなる。死んだことで過去のこだわりと、未来への絶望に、一時的にでも断絶できた。

 

重要なのは、どうやってくだらない過去のこだわりを切り離し、開き直ってモードを切り替えるかである。

 

人生には良くない時期が必ずある。

そんな時には、焦らず知性や技術を磨く。

良くなる時期には自然と扉は開く。

 

しょーもないことをたくさんやるのも暇つぶしになる。