年齢とともに楽しむ能力は減少しない.(しかし,減少するような生き方をする人が多い.老練を目指せ.) 人生で一番大切なのは「思い出」ではない.(常に今を楽しめる人生設計をするのみだ.)

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人生は80年間の夏休みと考えたらいいのだよ。お金があまりなくても、かからない生活や遊びをする夏休みもok、お金を使って幅広い遊びをする夏休みもok、お金がないなら「お金作り」という遊びをすればいいし。

お金は、作るのも使うのも、いずれも遊び。

みんな、地球に遊びに来たんだぞー、忘れるな!

 

 

 

 


楽しみばかり追い求めれば、お金で破滅する人も多いのですが、お金のかからない楽しみをどれだけ見つけれるかが人生のポイントになります。

 

 

 

人並みの生活がしたい、という「欲」を捨ててください。
普通の人生を歩みたい、という「欲」を捨ててください。
今よりもマシな存在になりたい、という「欲」を捨ててください。
人間的に成長したい、という「欲」を捨ててください。
そうすれば呪縛から解放されます。

 

 

 

宙に浮いた自転車を必死にこいでも進まないでしょ
やみくもに足掻いたって意味ないってこと。
頑張るツボを押さえたら、力まなくても進みますよ。
頑張りどころと抜きどころを見極めましょ。

 

 

 

今日から私は
アホの申し子になりました
問題は考えません
考える能力ないから

 

 

 

「何を始めるにしても、まず最初に〝減らすこと〟を考えて」

 

 

 

健全な家計にするにはどうしたらいいのでしょうか。極端かもしれませんが、「いったんモノは買わない」と決めることです。一度、悪循環を断つのです。

 

 

 

多くの人が見落としがちですが、「時間」も「健康」も、人生で最も大切な財産であることをしっかり認識して、大切にしていくことが幸せのスタートラインだと私は思っています。  時間は、ストレスとも深く関係しています。人生の時間がゆったりと流れている人はストレスが少なくなります。だから、健康にもなれるのです。

 

 

 

 


ただただおバカになってゆるんでいるだけで、勝手に湧き上がってくるんですから。
勝手に動くんですから。

 

 

 

 


神様は全ての人に生まれる前から 平等に『しあわせ』を与えていたのですね。 あれこれと足し算して生きてきた。 鎧を沢山着て生きてきた。 その必要は 生まれ前から不必要で ただ ひたすらに 流れに任せて生きていくだけで 既に『しあわせ』で必ずや辿り着ける。 必ず神様から保証されているんですね。 自分に素直に生きていれば 間違いなく流れに乗っていくんですね。 何があっても『大丈夫!』が大前提で ただ『好き』に生きていればいいんですね(^ー^)

 

 

 

 


《もっと便利に、もっと早く、もっと長く、もっときれいに、もっとおいしいものを、もっともっともっと……。/もう「進歩」はこのへんでいい。更に文明を進歩させる必要はない。進歩が必要だとしたら、それは人間の精神力である。私はそう思う。》

 

 

 

人間、死亡率100%
どう生きても全員死ぬ。人の目なんて気にすんな。努力なんてしなくていい。なにも頑張らなくていい。
でも自分を大切に。今日まで生きてきた自分に、声を出して毎日ありがとうと言ってます。
すみません、ひとりごとです。

 

 

 

頑張りすぎないって決めた

今まではがんばなきゃ!と思って仕事してきたけど、もういずれ辞めるし、どう思われようと別にいいし、やることだけやって、時々息抜きして、たまにサボってやらないと心が終わる

メンタル保つためにも、やる気は出さない

 

 

 

 


世間で「あたり前」や「社会ルール」とされることを妄信して、何の創意工夫もせず、ただがむしゃらに努力するだけでは、人は決して幸せになれない。

 

 

 

できないこと、しっくりこないことは、いったんわきに置いてみよう。  勇気を出して自分を信じ、自身にできることだけに賭けてみよう。

 

 

 

そりゃ適齢期があるものもあるよ。出産とか。

でも人生って色んな可能性があるから、例えば出産が叶わなければ別の夢を探せばいいし。そこで「出産が出来なかったから私は終わりだ、人生終わりだ」ってなるか、「残念だけど他にもやりたいことがたくさんある!」って切り替えられるかが大事だと思う。人生って1つの夢にこだわってたらキツいけど、視野を広げればそんなに悪いもんでもないよ。

 


自爆テロで血まみれの現場の写真を見たけど、少なくとも日本にいればあそこまでの事件に巻き込まれることはない。それってとんでもない幸運だと思う。もっと幸せな国もあるだろうけど、命の危険にさらされることがないこの国に産まれた幸運を生かして人生楽しもうって思ってるよ私は。

 

 

 

でもだんだん年取って楽になった。振り返ると昔と性格が違う。人の顔色見なくなったし適度に適当になった。ずるい友達からは去った。

 

 

 

思い出づくりはそんなにこだわらなくても大丈夫。その時々を真剣に生きていれば仕事でさえキラキラした過去の思い出となって残るものです。 ~セミリタイア済みのおじさんの意見

 

 

 

年齢とともに楽しむ能力は減少しない.(しかし,減少するような生き方をする人が多い.老練を目指せ.)

 

 

 

人生で一番大切なのは「思い出」ではない.(常に今を楽しめる人生設計をするのみだ.)

 

 

 

老後に遊んで暮らすために今がんばって貯金する、そんな風に考えていた時期が俺にもありましたw

でも死んだら終わりだしむしろ貯金額が多いほど急に死んだときに損だと数年前に気づいてからこれ以上貯金しても無駄だと思って仕事をやめた

仕事をやめると毎日自由だが自由すぎてだらだらしてしまうのでむしろ適度に仕事をしたほうがいいと思った

しかし今仕事をしてまた貯金を増やしても仕方ない、かといってそんなにほしいものもないからあまり金が減らない

となると一体何のために仕事を頑張ったのか、こんなことなら若いときに金を使って貯金をしないほうがよかったと思った

つまりむしろ給料を全部使い切る人のほうが正しい、実際やたらめったら貯金するのは日本人くらいで海外では貯金しないのが普通だ、俺は間違っていた、必要な分だけ働いて後は悠々自適に暮らすのが最適解だと思う

 

 

 

ジッとしていられないんだ。遊んでいたら、周囲に先をこされると思っている。

 


年金を含めた生活防衛資金さえ担保する意識をもちつつ、あとは食べ物が美味しく食べられる時に食べて使っていくほうが良いかと感じます

 

 

 

親が資産を持つことが原因で、腐っていく子や孫、子の配偶者をたくさん見て来ました。働かなくなる、贅沢になる、偉そうになる、女を作るなど。

相続争いで兄弟の縁を切った人も、配分が気に入らないと、親にまで恨みを持つ人もいます。遺産を「家族の幸せ」を願って残した方々が本当に気の毒です。

 

 

 

このうちの40代から資産取り崩すってのは資産が減る状態に慣れるためかも。

 

 

 

人生は消耗品 
いつかなくなることが当たり前 
そう思うといろんなことへの執着心が軽くなる

 

 

 

おいしいものを食べ、馬鹿げたことをやっていれば、人生なんてあっという間に過ぎるもので、そんなもんでいいんじゃないんですかね。

 

 

 

上昇感があれば、全部解決する

人間は、「生活や人生がよくなってく感覚」があれば、とりあえず幸せになる。無理に大ジャンプするのは効率が悪いので(上記の逓減性の話)、毎日ちょっとづつ上昇するのが大事。

「あるならあるで楽しむ。  ないならないで楽しむ。」

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デカいものを作るには時間がかかるのは当然だし、そのために色んなところで寄り道をして部品を集める。  人生全部を使って「1つの大きな作品」になればいいなとそう考えているのです。

 


「世界をいくらでも増やして広げて遊ぶことができること」

 

 

 

余白が生まれた生活には「遊び」が生まれます。  余白を遊び始めたあなたには「新しい世界」が生まれます。

 


野山やゴミの山でも「宝の山」と見立て、暮らしに必要なものを作り出す。

 

 

 

日頃の景色に少しルールや視点を加えるだけで、ワクワクする日常は簡単に作り出せます。現実がつまらないなら、楽しくなるように「こだわり」を追加するといいのです。

 

 

 

もっとこうあるべきだ!あの人みたいに私も!こんな遊び方しかできない自分が嫌だ!など劣等感や自分を見失うことは遊びとは言えません。   自分を知ってこそ、遊びは成り立つのです。活かされるのです。

 

 

 

ぜひ自分を誇らしく思えるゲーム作り、   あなただけの「遊びの哲学」を考えてみてください。

 


極めれば極めるほど、遊びに重さが掛かり、無駄なものが振り落とされ、   人生が「最適化」されていくのです。   そして、無駄なものが振り落とされることは同時に、無駄な「辛さ」や「苦しさ」をも削ぎ落とすことになります。

 

 

楽しむことで競争から降りられた。   好奇心によって視界が広がった。   面白さを共有することで仲間ができた。   好きなことだから工夫もできたし、自信がついた。   そして「生きる居場所」が見つかった。

 


「あるならあるで楽しむ。    ないならないで楽しむ。」

 


僕は「日常」や「世間から見向きもされないこと」からどれだけ楽しさや面白さを見つけられるか?が、自分の「遊びレベルの高さ」だと考えています。

「社会から利益をもらうこと」と「幸せかどうか」はイコールではありません。社会からの利益とは「森の中にある果樹の1つ」でしかなく、他の木にも美味しい果実は実っています。それら果実を美味しいねと食べている時間が「幸せ」だと思うのです。

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 なんとなく楽しそう!! なんとなくすごそう!! これだけで人は集まってきます。逆に言えば、なんとなくつまんなさそう!! なんとなくダメそう!! それだけで人はその店を舐めて、離れていくのです。

 


世間は自分のことをさほど気にしていないのに、自分は世間体を気にして生活するのは意味がないのでは?

 

 

 

夢をみるためにお金を使うのではなく「いまあるお金ですぐに実現できるやりたいことは何か」を考えたほうが幸福度は高くなったのではないか、

 


楽しく生きる」という目的を達成するために、学歴が必要でなければ、わざわざ使わなくてもいいと思うのです。有名大学を卒業してニートをしていても、幸福であれば恥じる必要はありません。

 

 

 

楽しく生きていくには「何かに大きく依存している状態」は危険である

 

 

 

 真の幸福の数=増やした幸福の数+減らした不幸の数

 


獲得できた幸福の数と不幸の数が同じであれば、幸福度はプラスマイナスゼロですし、不幸の数が多くなってしまえば、むしろ不幸になってしまいます。  逆に言えば、プラスの要素を増やさなくても、いま感じている不幸の数を減らすだけでも、いまより幸福感を得られます。

 

 

 

周りから価値があると認められているものを身につける能力よりも、誰も見向きもしていなかったものを価値のあるものとして見出し、プロデュースできる能力

 


「嫌なこと好きなことがハッキリしている」  「好きなことのためだけに動く」

 

 

 

「自分で世界を捉え直す」  もしくは  「自分で世界の定義や役割を決める」

 

 

 

自己解釈を持って、自分だけのフィールドを見つけルールを作り、生活環境や人間関係、仕事を自分なりにカスタマイズする。

 

 

 

「資産を増やしてお金の力で幸せになる」といったゴールを掲げる資本主義社会でいくら上手くいっても、自分の「幸せを感じるポイント」がズレていると幸福度は頭打ちになります。

 

 

 

あなたの得意な場所であなたの好きな頑張り方で「一番幸せだと感じる居場所」を探していく。

 

 

 

「自分だけの解釈」を見つけて、  あなたの世界に新しく「ルール付け」をしていきます。

 

 

 

「世間体の安定」よりも「衣食住の安定」を取ることで、気ままに路上や山小屋、居候として暮らしている人たちがいたり、  「お金の安定」よりも「時間の安定」を取ることで、贅沢はできないけれどたまに嫌ではない程度の仕事をして、好きに昼間からお酒を飲んでいる人たち、  「将来の安定」よりも「今このとき」に目を向けることで、刹那的でもやりたいことに飛び込み、今の自分や心の安定を大切にする人たちがいたり。

 

 

 

自己解釈が極まると面白い変化が起こります。  解釈によって確立した価値観が外の世界まで影響し、生活や生き方がカスタマイズされていくのです。  僕はそんなカスタマイズされた生き方や自分だけの空間を『領域』と呼んでいます。

 

 

 

「社会から利益をもらうこと」と「幸せかどうか」はイコールではありません。社会からの利益とは「森の中にある果樹の1つ」でしかなく、他の木にも美味しい果実は実っています。それら果実を美味しいねと食べている時間が「幸せ」だと思うのです。

時間をゆっくりと使いながら幸せな人生を歩んでいく生活スタイルは、欧米人ではとても人気の高い生き方の一つであります。

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〝光を灯すことさえ覚えていれば、最も暗い時代の中でも幸せを見つけることができる。〟

 


ろうそくを灯すだけで、料理や空間がそこそこ適当でも、とてもかんたんに豊かで幸せな空間の演出ができる。

 


これは幸せな状態になるために有効な、ズボラ時短術なのではないかと。

 

 

 

〝人間が完全に自然から離れることはない。あくまで人間は自然の一部だ。〟

 

 

 

誰かに羨ましがられるため、認められるために集めた肩書や経歴をなくしたとき、あなたはどんな人ですか。

 


人に褒められる生き方ではなく、自分が心から納得、満足できる生き方を目指しましょう。

 

 

 

どうせ失敗するんだろうけど、それでOK! とにかく前に進んで、やってみよう!

 

 

 

〝幸せな人生を送る1つの秘訣は、小さな喜びを継続することです。〟

 

 

 

時間をゆっくりと使いながら幸せな人生を歩んでいく生活スタイルは、欧米人ではとても人気の高い生き方の一つであります。

 

 

 

すごい人間になって多くのお金を稼ごうと努力することは何も悪いことではありませんが、しかし人生の価値観というものは労働人生だけではなく文化的に楽しい人生を歩むことも良いと思いますよ。

 

 

 

コツコツと小さいことでも成し遂げて、やるじゃん私っていう達成感や自己満足を日々感じられることが幸せかなと思ってます。

逆転ってのじゃないけど、最終的勝利かなと。

 
誰かの成功例をなぞるよりも自分の好きな事をしたら良いよ

 


 

人生というものは、ゆっくりとのんびりと生きることでプライベートを充実させるのが最大の楽しみです。

 

 

もう、ない!じゃなくて、やってみたいことを探すこと、

そもそも明日何しよう、半年後何しよう、一年後は?

って考えること事態もイベントの一環だよ


イベントは企画から

 

 

 

「我」を捨てて完全にその人になりきる、徹底的な物真似が、結果的に「我流」の強力な礎となります。

• 生きるとは「生きている」こと • 出来ることしかできない • 持っていないものは持っていない • その日笑って暮らせれば幸せ • 自分の物差しは自分だけのもの • もっと自分のために生きよう • 感謝しよう

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成功して幸せに「なる」のではなく「幸せな状態でいる」=「成功している」

 


好きなことをしている時間を、たとえそれが生産性のないことでも、お金にならないことだとしても、ちょっとずつ増やしていきませんか。 なぜなら、1度きりの人生、好きなことをして楽しい気持ちでいる時間は長い方が良いに決まっているからです。

 

 

 

決して派手ではない、日々の小さな習慣や心がけの積み重ねで「〝幸せな状態〟をていねいに維持」している

 

 

 

〝人生で一番大切な関係性は、自分との関係性。なぜなら何が起こったとしても、あなたはあなた自身と一緒にいることになるのだから。〟

 

 

 

 


自分自身について考えないでください。あなたが創造しなければならない作品、まだ生まれていない作品に目を向けてください。あなたがどんな人かは、あなたがその作品を作ることではじめてわかることなのです」

 

 

 

人生の道はもともと決まっていますから、嫌なことが起こっても「あーそうなんだー」て感じで深く考えすぎなくても良いんですよ。

どうせ、一時のことで次の人生がはじまるし、悩もうが楽しく生きようがあなたの人生の道は変わることないのだから…だったら楽しく生きればいいんですよ。

人生は大した意味はありません。しっかり楽しく演じきってください!

 

 

 

人間って、この世ってそんな難しい高尚なもんじゃないんだ…
もっと単純なんだ…

わざわざ複雑にして、
考えすぎして試練?苦労?製造してるんだ…

 

 

 

がんばらない
成長しようとしない
勉強しない
鍛えない

助けようとしない
優しくしない

喜ばせようとしない
役に立とうとしない。


そんなことしなくても

自分も
あのひとも
ちゃんと
幸せなんだ。

 

 

 

 


今、『人生は楽で楽しくて、 すべてうまくいく』ことにしてるのですが、

わたし、引きこもりだけど あ、そっかー、今で上手くいってるんだ。

別に解決しようとしなくていいんだ…。

だって、こうなる前すごくすごく しんどかったもん。 神経やられて、体動かなかったくらい。 わたし、頑張ったから 今引きこもってるんだなぁ!

というわけで、 このままで、本当に上手くいってるってことに 多分(笑)なりましたw

解決しようとしてたときに比べて 気がものすごい楽…。

 

 

 

大丈夫、生きてれば。全然、学校行かなくても、何とかなってるよ!すごい人にも普通の人にもなれないけど、何ににもならなくていいんだよ。って、自分にも子供達にも伝えたいです。

 

 

 

 


「非常識人間」として生きることにしました。

いい人とか、常識人とか、生きていく上でとても大事だと思っていたけど案外そんなこと誰も気にしていないし、

もっと「ただ生きていく」だけでいいんだなって思います。

 

 

 

「あの人の話、案外つまんなかったね」と言われてもいい。  失敗して、大損して、みんなをガッカリさせてもいい。  あなたは存在しているだけで、光り輝いているのです。  人の期待は、人のもの。  あなたがこたえる責任はないことに、早く気づいてください。 「期待にこたえない自分」でいいのです。

 

 

 


「40年間生き残るために意識してることはなんですか」
と訊かれて
「適当に手を抜くことだね」
と答えられていました。
「だって、必死だと圧迫感がすごいでしょ」

 

 

 

「必要以上」の豊かさは要らないのかもしれない。
「必要以上」の結果は要らないのかもしれない。
そもそも「結果」は要らないのかもしれない。
だから「努力」も必要ないのかもしれない。
「それ」がなくても、
「すでに」幸せなのだから
それ以上の結果を残すために
死に物狂いにならなくてもいいのかもしれないし
結果を残せないことと
自分の価値とをくっつけなくてもいい

 

 


更地にならないと、新しい建物が作れないように、人生についても今までの自分の当たり前と思っていることを全てガラガラと崩れない限りは、本当の意味での変化って起きないんですよね。

 

 


• 生きるとは「生きている」こと • 出来ることしかできない • 持っていないものは持っていない • その日笑って暮らせれば幸せ • 自分の物差しは自分だけのもの • もっと自分のために生きよう • 感謝しよう一言で言うと、「死にはしないだろう」と「死ぬときは死ぬ」という考え方が自分の価値観の柱になりました。
だから他の細かいこととか、どうでもいい。
この考えが自分を救ってくれるようになりました。

 

 


そもそも、やりたくないことはやらなくていいんですよ
というか、やりたくない事というのは「感情から出ている黄色信号」なんです
だから、本来は「出来ないこと」
それを感情を押し殺して無理してやってるだけなんです
そうすると、どこかでなにかが決壊して、目の前の「やりたくないことをやらなかった結果」よりもっともっと悪い結果になってしまいます

 

 

 


だけど、悩んでなければ、泣いてなければ、
気付かなかったなあと思います。
だから、悩んだり泣いたりすることも
「今を体験する」「それを味わう」ことが
あのとき私が受け入れることだったんだ。
ただそれを体験するときだったんだ。 
そう思いました!

 

 

 

そもそも人は「楽しい気持ちを感じる」と生き生きします。
というより、「楽しい気持ちを感じるために生きている」と言っても過言ではありません。

私は〝ちゃんとした〟大人になるのを諦めてから、すごく人生が楽しくなりました。

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やらなければ単なる知識、やる事で身につくのがスキルです。まずは小さい事からやることを見つけて、続けることで、自分と家族に起こる変化を感じてみましょう。  自分がやれて、家族が嬉しいと思う家庭内の行動は何ですか?

 

 

 

いきなりジョギングやハードなトレーニングをするよりも、まずは1日30分程度の散歩からスタートして、段々と運動量を増やす。

 

 

 

日々の暮らしを楽しむには、もっと非効率に、もっと不合理に暮らしたほうがいいです。

 

 

 

カンケーないね~、もう呑気に好きなように遊び暮らします笑笑。

 


私が幸せに生きていること

それだけだ、という結論に至りました

 

 

 

頑張った末に得られると思い込んでいる価値が、実はすでに自分には充分あるはずなんです。

 

 

 

毎度のことながら、自分の予定帳を眺めながら「人生とは、自分を楽しませることである」と思った。自分を楽しませることを怠ったときに、人間は苛立ち、他人と比較し、未来に不安を覚えたりする。川本真琴風に言えば神様は何も禁止なんかしてないし、この世界は「何をしてもいい遊園地」なのだと思う。

 

 

 

 


まずは、やりたくないことをやめるって大事です。
 
休みたければ、会社を休む
嫌だという
助けてもらう
一人で頑張らない
甘える
疲れたという
やりたくないことをやめる
 
やりたくないことをたくさん抱えていると、楽しむことを忘れちゃうんですよね。
 
楽しむって余裕がないとできないから。
 
余裕って大事です。

 

 

 

 


幸せって・・・実は退屈なんです。
 
そして、私たちは退屈に慣れてない(笑
 
何かしら、頑張らないと!もっともっと!という時間軸で生きてきているので、幸せで退屈だとその事自体が悪いことのように思ってしまうんですよね。
 
だから罪悪感が出てくる・・・。
 
でもね、大丈夫です♡そのままずーーーーーっと幸せでもいいのです。

 

 

 

億万長者になりたいとか、絶世の美女と結婚したいとか、仕事で大成功して人からちやほやされたい、というのはあなた本来のエネルギーの形ではなく、自分以上のものになりたい、という欲望の場合がほとんどですね。あなた自身のものでない限りは、引き寄せの法則は実現しません。それはあなた自身の中にある本当の意識のエネルギーとは関係ない、非現実のものだからです。

 

 

 

心が静かになれば、人は元々ある大事なものを思い出すのです。それは私たちが本当は満たされていて、愛されていて、生かされているのだ、という実感からやって来る感謝の気持ちです。

 

 

 

「部屋を片づけたくても、モノが多くて片づかない」と言う人がいますが、それは人生が過去でいっぱいになっているということ。過去でパンパンになった人に、よい未来は来るでしょうか。自分の過去の中から、大切にしたいものだけを選び取り、余白をつくっていきましょう。余白がなければ、よりよい人生、未来を呼び込むこともできません。もう必要ない過去のモノに囲まれていると、自分の可能性を狭めてしまいます。モノを捨てて、余白をつくるわけです。

 

 

 

だれかに作られた幸せの価値観に自分を合わせるのは、窮屈で退屈です。  たいていの作りものの幸せの価値観には、「売る」目的が隠れています。

 

 

 

「未来のゴミ」はもう買わない。「便利」「得する」情報ではなく、「なくても大丈夫」という「安心」と「希望」で、もっともっと輝いて先へ進めると信じています。

 

 

 

非常に思い詰めた人々のさまざまな悩みに1つだけ共通している点があり、それは結局「他の人にどう思われているか」で悩んでいる点だそう。

 

 

 

 人にどう見られているかばかり気にしながら一生を過ごし、死んでいきたい人なんていないでしょう。 ですがそれほど「他の人にどう思われているか」は強力なのです。

 

 

 

私は〝ちゃんとした〟大人になるのを諦めてから、すごく人生が楽しくなりました。

 

 

 


自分の資源を磨き続ける。


資源というのは、友達や家族、優しさといった性格、絵や文などを創作する才能などといったものです。

 


信じられないと思うかもしれませんが、水が川から海に流れるように、風が気圧の低い方に吹くように、運気は余白スペースに吸い寄せられます。

十分がんばっているわたしたちに必要なのは、「もっと輝く方法」ではなくて、「毎日をちょっと愛せるようになること」ではないでしょうか"

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よく、「行き詰まったら、住む(働く)場所か、つきあう人間か、習慣を変えろ」と言うけど、
そんな大層なことじゃなくていいから、
「今日はゲームしないで10分散歩してみようかな」とか
まずはその程度でいいと思う。

 

 

 

身体が悲鳴をあげている時、無理ばかりせずに自分を休ませてあげる。 自分の心が助けてと叫んでいる時、その自分の心を無視せず、受け止めてあげる。 自分が泣きたい時は、いっぱい泣かせてあげる。 自分が誰かにいじめられている時、その場から自分を逃げさせてあげる。 一人で抱え込めない時は、誰かに相談をしてみたり、お願いをして頼らせてもらってみる。 自分がどうしても嫌な事は、やめさせてあげる。 といったように、自分で自分を守ってあげる。 自分が限界までいかないように。

 

 

 

〝僕はただ平和に暮らして、ジャガイモと夢を植えたいだけなんだ。〟

 

 

 

暇つぶしとは適度に忙しくすること
ただ、あまりにも多忙すぎると、心ではなく体の方が壊れてしまうはず。
あくまでも「暇つぶし」ですから、体を酷使すぎない暇つぶしを選ぶべきだと思います。
体が壊れてしまえば、結局休まざるを得なくなります。
休んでる最中は暇になります。暇になると悪いことを考えてしまいがち。
身体を壊さない程度に隙を作らないようにするのがいいでしょう。

 

 

 

 


「自分はもう無理だ」と思えるということは、自分の弱い面と向き合って、それを認めているということ。  それって、すごいことですよ。

 

 

 

 

 

 

何でプロフェッショナルがいいとか、極めたらいい、続けなきゃダメ、結果出さないとダメとかって風潮になっちゃってるんですかね。
原始人みたいに食べて寝て、歌歌って踊ってていいんですよね。

 

 

 

 


"十分がんばっているわたしたちに必要なのは、「もっと輝く方法」ではなくて、「毎日をちょっと愛せるようになること」ではないでしょうか"

 

 

 

30才超えると自分に主人公感が無くなってくるからか他人からの評価も自分自身への評価も急激にどうでもよくなってきて焦燥に潰されてた20代より余程楽しいのでとりあえず30+あたりまで生きるのおすすめです
 
20代に焦燥感に追われながらも培った事が、肩の抜けた30代で生きて、評価とか気にせずに大胆に動けるようになるのも、30代の楽しいところですね( ´∀` )
 
30手前くらいからいろいろ面白くなってきたというか面白く捉えられるようになった気がする

 

 

 

幸せとは?
定義なんて無いと歳を重ねて思うようになりました。
環境は刻々と変わり続けているけれど、根拠無く幸せだと思ってるのは何でかな?
ドン底だった時は不幸だと思ってたけど、今になるとあの頃も幸せだったのにな~と思います。
不幸だ~とばかり思ってたのが勿体無かったなと。
何にフォーカスするかなんでしょうね。

 

 

最高の幸せって
その辺に転がってる

私がその幸せを拾わないと
ほっといたままになっちゃいますよね

そうや、その辺に幸せって転がってるんですね╰(*´︶`*)╯

 

 


いやほんと、気がつくと幸せだらけですわ(笑)。
「あの頃」と「今」は違うから、幸せの形も変わっていいし、何かが消えたように感じても、多分それはもう要らないものだったりするかもだから、あまり気にしなくてもいいんでしょうね~。今は「今」のお気に入りがあるから楽しいのだ!ということにしようと日々思ってます(笑)。