休みたい 甘えたい 何もしたくない 落ち込みたい ってことをしたかったんだな。 罪悪感あったけど、もうそれも要らないや。 堂々としたいことしよう。

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自分が好きで、誰にもやらされず、自分のノリで決めてたら、

それは全て「やりたい仕事」だ。

 


基本的に毎日は。
1、ノリでやる。
2、何もしない。
《自分を好きになって、他人からの指図は受けずに、ノリで生きること》

 


もういい加減わかってきた

休みたい 甘えたい 何もしたくない 落ち込みたい ってことをしたかったんだな。 罪悪感あったけど、もうそれも要らないや。 堂々としたいことしよう。 だってこれ今までしてこなかったことだもん。 だからこんなに望んで今の現実を叶えたんだ。 何もしなくていい。 これで良かったんだな。 なんか言われても、、、、風かな?って感じで。

 


きのう考えたこと 

死にたいなーと思ったけど 

ん?死ぬならもう何も考えなくていいのね 

んじゃ何も考えず好きなように生きてやろうと思いました。

 

 

 

なりゆきに任せていると、思いもかけなかった面白い道を発見することがある。


なんともならないものを
なんとかしようとして
一生懸命やってたら、今度はこちらが苦しくなってしまいます。

それなら、

自分の力でどうにもならないことは、何もしない方がいいのでは?


と思って、それからはなんとかしようとするのをやめました。

 

そして、その問題を解決しようとせず、なりゆきにまかせることにしたのです。


そうしていると、勝手に解決することもあるし、
そもそも問題じゃなかったんだと気づいたりと、面白い展開になっていったのです。

 


生き残るコツは、高望みしないこと、がんばらないこと、あきらめることです。

諦めることは悪いことみたいに思われてるけど、諦めることから始まることもありますからね。

 


あなたは、「あなたのリズム」に乗って、さんざん怒られて、メチャクチャ叩かれてみて下さい。人の事は気にしなくても大丈夫です。

 


そんなのほっといて
自分のやりたいことだけやっててください。

「誰かを幸せにしようとしない」

これだけですよ。

「人を幸せにしようとする人が、人を不幸にする」

 


前提を変えるのは
コツコツ
好きなことして
いやなことやめて
いくだけ。

その積み重ねが
こんな自分だから愛される
こんな自分でも愛される
自分は頑張らなくてもすごいんだ
の前提の世界の移行になる

 


30代の今は、やりたくないなーと思うことはやらないし、ちょっとやってみて苦労だと感じることはすぐやめる。そのかわり楽しいと思えることはとことんやってる。そしたら何故か仕事の中で楽しいと思える項目が増えてきて、楽しいと思ったらどんどんやるようにしてたら評価も上がって褒められるようになった。

 


劇的な成長じゃなくても他人の目には分からない程度の変化でもいい。

その小さな成長を自分で見逃さず

喜びを噛み締める努力を継続し、習慣と呼べるまでにした時に

初めてデカいリターンがある。

 


わたしがこの法則?原理?を体感実感したのは、
心屋を知って
このままでいいんだ~~
変わらなくていいんだ~~
引きこもりでいいんだ~~
ウツ状態でもいいんだ~~
無職でもいいんだ~~
生産性なくていいんだ~~
家事も何にもしなくてもいいんだ~~

って知って分かって、
よし!んじゃこのままでいいや~~
って楽になって過ごしてたら

引きこもりを自然と脱出して、
働いてみよう~って今楽しく働いてる(*^^*)

元気になれたことがホントに良かったな~~って。
それがホント1番で、
そしたらあとはもういいや~って思う(笑)

欲も望みも不安や心配も出てくるけど、
それでいい~~~
人間だもの~~~(笑)


幸せの本質は、悩みや苦しみがなく、楽に生きられることです。  では楽の本質は何かといえば、ただ「楽しい」ではなく、「あるがまま」に生きられることです。「あるがまま」に生きることは、自分に起きている事象に対して抵抗がなく、自然体で生きられることといえます。

毎日を幸せにする力を自力で作れるほど強いからだよ。見てるこっちまで楽しいの。たぶん。

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うーん、真面目でルールをガチガチに守ることがいいこと、とされてるのは危なっかしい子供のうちだけだからじゃない?

悪いことをなにもしてないことがいいことではないし。

そんな私が幸せになれてないのはなんで?ってそりゃあつまらんからでしょうなぁ…

まずなにか、好奇心や興味をたくさんもって

楽しい気持ちをたくさん持てる毎日にしては?

浮気や不倫は肯定しないけど、そういう人が幸せになれてるのだとすれば

毎日を幸せにする力を自力で作れるほど強いからだよ。見てるこっちまで楽しいの。たぶん。

人間は案外危うくてキラキラしてて変化のあるものが好き。

だからこそルールが存在するんだよ。

主はある意味、命より健康が大事、みたいな

いびつなことになってる。

 


すべては自分だよ、主。

他人なんか見ても仕方ない。

不幸に思えるなら、もっとなにか出来ることがあるのかもと思おうよ。

私は、一度でいいから幸せだと心から実感できるまでは死なない、と思って生きてきたよ。

なんでもいいから自分という人を一瞬でもいいから幸せにしてやろうと。

 


自分の人生を生きようと決めてから希望が見えた。たとえそれが世間一般から見たらみじめで不幸な生活だと思われても。

 


自分のスタイルみたいなものがあるとしたら貫いた方がいいよと言いたいですね。他人の目ばかり気にしてたら生きてて楽しくないし、後悔が残る人生になるんじゃないでしょうかね。

 


それから、お金が稼げても、すごく忙しくて挙句の果てに自殺したら意味がないわけですよね。だから仕事一辺倒じゃなくて、心に余白をもって何かを楽しむとか、多少なりともゆったりできる時間をもつようにすることが必要だと思います。社畜になっても会社だけが潤うだけだからしょうがない。それよりもっと自分を潤してねと伝えたいですね。

 


右肩上がりに慣れすぎた人たちは、「幸せとは何か」ということについて、なかなかその枠組みを離れて話すことができないのです。

 


われわれはひたすら成長のために今はがまんして右肩上がりにするというのは得意ですが、手放していくことは意外と不得意です。築いたものは崩壊していくもので、手放したりすることで心のバランスを取っていくということが日本の伝統としてあるわけですが、ここ数十年間はそこから相当離れてしまいました。それをもう一度、適正水準に戻していくことが必要なのではないでしょうか。

 


なんとなく死にたいっていう気持ちが出てきて、ググったらここのページに辿り着いた。

別に悲惨な生い立ちじゃないし、死んだ方がマシとか思うようなことに遭ったわけじゃない。

 


なんとなく、「税金たけーなー」とか将来の不安とか、恋人が出来ないこととか、いろんな要素がジワジワと「生きててもしょうがなくね」っていう気分にしてくる。

 


みんなの投稿を読んでいくと、なんか自分の死にたい気持ちが肯定されてるような気がしてくるし、「生きるのってほんと辛いよねー」って気持ちを少しだけでも共有できてるって思う。

 


自殺を肯定したくは無いけど、死にたい気持ちは肯定したい。

 


ここにくるとひとりじゃないって思えます。周りの人はみんな平気で生きているように見えて、私だけが弱くて脆くてどうしようもない人間だって、生まれたことが間違いだって、自分の許し方がわからなくて、でもここにくると辛くて苦しくて毎日死にたい死にたいって思いながらも、耐えながらもそれでも必死で生きてる人達の命が綺麗にきらきら輝いて見えます。みなさん今日もがんばってください。それが明日明後日とつながって、きっといつかは生きててよかったって思える日がくるはずです。私もそんな日のために日々を耐えて、いつかは幸せになりたいです。みなさんの今日が少しでもいい日でありますように。

 


無人島で全裸で暮らしてるおじいさんを思い出しました。

「人は人、自分は自分。自分にとってここは理想郷だ。私は私であればいいんだ。」

サバイバル生活は大変そうだけど、人間とあまり関わらずのびのびと自由に生きられてて幸せそうでした。

 

 

 

30代後半になって仕事や家族に対して責任が増えるとともに、些細なことで不安になって逃げ出したいと思うことも増えた。結局、5年以上ほぼ毎日1回以上は、不安から逃げたい、楽になりたい、死にたいと考えている。

このサイトとかでそんなふうに思うのが自分だけではないと知ることが、本当に助けになっている。

 


いつでも、どこでも、立ち止まって、のんびりを大事にしていると、不思議なことに、そのリズムで人生の全てがまわるようになっています。

忙しい人は、忙しいリズムで人生がまわってるだけなのよ。

それだと、仕事で成功して金増えても、ずっと忙しいよ。

仕事減らしたり辞めたりできないから。

もう、何したって、大ハズレなんだから。 大ハズレからは、逃れようもないなら。 大ハズレ楽しむしかないよな(・∀・) だから、 諦めて遊ぼう!笑。遊ぼう(・∀・)

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「気づいたら自然の自分に備わってる謎なスキルと欲求」=「性癖」に従って生きれば、毎日がしんどくなくなる。

 


誰かと価値の交換をするときに、あげることでしんどくならないもの、減らないものを相手にあげること
価値交換の際に「自分が消耗する嫌なことを極力避けられれば、人生はどんな場面でも黒字化する」ということなのです。

 

 

 

所詮、僕らの人生って、

始まったときから、すでに「大ハズレ」なのだとしたら。

 


もう、何したって、大ハズレなんだから。
大ハズレからは、逃れようもないなら。
大ハズレ楽しむしかないよな(・∀・)

だから、
諦めて遊ぼう!笑。遊ぼう(・∀・)

 

 

 

幸せの本質とは、「足る」を「知る」ことにある。
幸せの閾値を意図的に下げることを習慣にしていると、
毎日、足りてることを見つけられるので、毎日、幸せでございます(^^)

 


おまかせ100%の人生は、何が起こるかわからない。どんな出来事が起きるかわからないのですが、予想がつかないような事件がおもしろかったり、楽しかったり、わくわくしたり、いろいろなものを持ち込んできてくれます。

 おまかせの人生をより具体的に言うと、「やる羽目になったらやる」ということにほかなりません。

 


本当に本当に人って不思議ですね。合理的に生きれない。めちゃくちゃな生き物です

 

 

 

私は私
どんだけ自分を
嫌っても
責めても
人と比べても
蔑んでも
卑下しても
怒っても
残念ながらなんも変わらんってことに、今更気づいたよ(´・∀・)
もう認めるしかない

 

 

 

人は

どんだけ

他人から

「これやったほうがいいよ」

って言われても

「これやったら、自分の望んでいる状態になれる」

って頭でわかったつもりだったとしても

《楽しく》ないと

基本的には

できない生き物なんです。

 

 

 

ゆっくりと普通から離れる覚悟。

いや、覚悟なんてなくても、大丈夫。

勝手に離れていきますので(笑)

普通から離れて、私は私になる。

私は元に戻ります。

私は元に戻るだけ。

 


自分の好きなことって、
役に立つとか、
世間体とか、
誰かと比較して上手だとか
効率的だとか
お金になるとか
色々手放した先にあるんですね。

ただ、
『好きなものをシンプルにおいしく食べたかっただけ』。

これからも自分の好きを大切にします。

 

 

 

今、『人生は楽で楽しくて、 すべてうまくいく』ことにしてるのですが、

わたし、引きこもりだけど あ、そっかー、今で上手くいってるんだ。

別に解決しようとしなくていいんだ…。

だって、こうなる前すごくすごく しんどかったもん。 神経やられて、体動かなかったくらい。 わたし、頑張ったから 今引きこもってるんだなぁ!

というわけで、 このままで、本当に上手くいってるってことに 多分(笑)なりましたw

解決しようとしてたときに比べて 気がものすごい楽…。

 


「自惚れ感」


自分が自分に惚れるという内を満たさないまま、
それを人に任せる婚活を続けていたのです。

つまり。
人が私に惚れてくれたら、
やっと私も私に惚れることができると。

そりゃ・・うまくいかないわ
順番が逆だもんね。
(今になってようやくわかる)

 


まずは、自分に「ないもの」は数えない。今の自分に「ないもの」は、今の自分に「いらないもの」かもしれませんから。


大事なのは〝無心〟になること。  掃除の「1つ1つを心から楽しむ」といったところでしょうか。  ひたすら「キレイにする」ことに夢中になるんです。  たとえるなら、子どもの頃の砂遊びの境地――

 

あなたが、何かを始めようと思ったり、何かを学んだり、目標を立てたって事は、それは「自分のことをもっと幸せにしてあげたい」と言う愛が動機になっているはずなんです。

そんな、自分をハッピーにしようとしている事なのに、ちょっとそれができなかったから自分を責めるって本末転倒じゃないですか?

願望なんて、放っておいて、今起きてくることを楽しもうよ

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夫はすっげえ元気な人だったけど、

30代前半のある日 急に熱が出て、

原因不明の難病とやらで5年以上 床に臥して亡くなったので

みんな、やれるときにやりたい事やっといたほうがいいよ

嫌な人や嫌な事に悩んだりとか時間の無駄だよ

好きな人好きな事に 時間も感情も使ったほうがいいよん

 


自分自身やあなたの人生に自分が課す期待や要求を変えることもできるはずです。  厳しいルール、いきすぎた期待、罪悪感の元となっている希望を手放せば、心が軽くなり、喜びが訪れることでしょう。

 


あなたが厳しいルールを緩いルールに変えられたら、それに従って生きるのは簡単になるでしょうし、罪悪感も減らせるでしょう。

 


はっきり覚えてる、昔から結構真面目だった私に、そうやってきちんと生きていったら絶対良いことあるからねって言ってくれた先生がいた、まぁありがたいことだけど。
今40。精神的にボロボロで、ついでに孤独で、毎日もう嫌だって思いながら生きてる。良いことなんて無かったですよ、先生。

 


結果的に無駄になるのに、意味のないこと色々してきちゃったなー。全部放棄して昼寝でもしてりゃ良かった。

 


たまたま今回の人生は棒に振っただけなので気にしない

 


そもそもの視点が初めから違うのです。でも、彼らの言いたいことは、シンプルです。「願望なんて、放っておいて、今起きてくることを楽しもうよ」っていう、この一言に尽きるのです。

 


グチグチ悩んでいるより、「今日は1つ面白いことを何かやってみよう」と行動したほうがいい。  今の自分が幸せか不幸かなどは、極論すればどうでもいいのです。  そのようなことをいちいち考えずに、毎日毎日を楽しむ。

 


何かをあきらめる前には「さすがにこれをあきらめたらやばいことになるだろう、、、」と感じるけど、実際には「全然やばくないじゃん!」と気づきます。

 


不安な時こそ何もせずにいる方がいい。恋愛でも仕事でも人間関係でも。35歳です

 

 

 

楽しい人生を作るのは

私以外にいない。

私は不平不満を言わない。

現実を冷静に観て、感情的にならずに

時間をかけて

ゆっくり決断すれば

 

ほとんどのことは大丈夫だ。

 


知識が多ければ多いほどよさそうって思っちゃうけど、
物が増えすぎた部屋みたいに自分で整理できる量を
超えると逆に面倒そうですね。
本来楽になるために学ぶはずなのに皮肉…

 

 


就活であれ婚活であれ打算で何かやる場合には自分がそこに近づいていかなければいけないけれど、

本気で何かやってる人にはそれがどんなことであれ、人や縁が集まってくるしね。

 


自己否定をしたり、自分のことをいじめるのは、誰かが自分のことを助けてくれると思っているからです。でも、そんなことはありません。だから、もっと自分のことを大事にしてあげてほしいと思います。

 


「変えられないもの、変えるもの。すごく大事な話。変えられないものは何かわかります?過去と他人は変えられない。逆で考えてみてください。自分と未来しかないんです。きょうの自分、今の自分を褒めてあげるっていうので本当に生きやすくなってくる」

 


『結果』なんて、無理に残さなくてもいい。
 
全世界に『楽しい!!』を発信し続けて、1日1日をポジティブに楽しんで生きれれば、それが十分な『結果』だと思う。

 


「他人の生き方を少しも真似することなく、自分の生きたいように、いつも自分そのものであるように生きればいいのだ。もちろん、その場合でも責任は負わなければならない。うまくやる方法など、どこを探してもない。しかし、自分のその個性的な生き方において必然的に起きてくることについては逃げることなく、心から認めて受け入れるならば、いっそう強く生きられるようになる」

 


全てを諦めて「何もできないダメな自分で生きる」ことを決めてからの方が、「生きてる」って感覚があったのが不思議でした。

 


人は大好きなことをしているとき 、もっとも輝き 、最高のパフォ ーマンスを発揮します。自分のしていることに大きな喜びを感じ 、もっとも自己評価が高くなり 、強い自信を感じることができます 。

 


貯金は今自分がしなきゃいけないことを

先送りしているだけ

貯金する代わりに得られる経験や体験を

みすみす手放している

自分に投資するのが怖いだけ

それだと貯金するたびに

どんどん自信を無くす

 

 

 

何にもしない!
ジタバタしない!

未来への不安や、
現実と理想のギャップへの落ち込み
など、いやーな気持ちが現れたら、

流れる雲のように、現れた感情を観察する。
あーこんなんでてきたわー
(他人事のようにw)

感情が生まれては消え生まれては消え
呼吸しながら繰り返す。

すると、ちょー恵まれてたと気づく!


なんとかしようとジタバタすると蟻地獄!
だから、何にもしない!!w

お金も余裕がある人が好きなのだ!

 


自分の足るを知る、地に足をつけて冷静に自分の状況を把握することが日常の幸せを守ることになるのではないかと思いました。自分の幸せな状態は案外シンプルですでに手に入っている気がした。

変に焦るのでもなく、不安定なことに手を出すのでもなく、まず幸せの最低ラインを守れていれば人生に満足できるかもしれない。

焦りもなければ、もっともっと、もない。このままジワジワと人生の素晴らしさを味わいまくりながら、気がつけば少しだけ増えてればいい

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楽しみばかり追い求めれば、お金で破滅する人も多いのですが、お金のかからない楽しみをどれだけ見つけれるかが人生のポイントになります。

 


人並みの生活がしたい、という「欲」を捨ててください。
普通の人生を歩みたい、という「欲」を捨ててください。
今よりもマシな存在になりたい、という「欲」を捨ててください。
人間的に成長したい、という「欲」を捨ててください。
そうすれば呪縛から解放されます。

 


今日から私は
アホの申し子になりました
問題は考えません
考える能力ないから

 


「何を始めるにしても、まず最初に〝減らすこと〟を考えて」

 


多くの人が見落としがちですが、「時間」も「健康」も、人生で最も大切な財産であることをしっかり認識して、大切にしていくことが幸せのスタートラインだと私は思っています。  時間は、ストレスとも深く関係しています。人生の時間がゆったりと流れている人はストレスが少なくなります。だから、健康にもなれるのです。

 


頑張りすぎないって決めた

今まではがんばなきゃ!と思って仕事してきたけど、もういずれ辞めるし、どう思われようと別にいいし、やることだけやって、時々息抜きして、たまにサボってやらないと心が終わる

メンタル保つためにも、やる気は出さない

 


そりゃ適齢期があるものもあるよ。出産とか。

でも人生って色んな可能性があるから、例えば出産が叶わなければ別の夢を探せばいいし。そこで「出産が出来なかったから私は終わりだ、人生終わりだ」ってなるか、「残念だけど他にもやりたいことがたくさんある!」って切り替えられるかが大事だと思う。人生って1つの夢にこだわってたらキツいけど、視野を広げればそんなに悪いもんでもないよ。

 


思い出づくりはそんなにこだわらなくても大丈夫。その時々を真剣に生きていれば仕事でさえキラキラした過去の思い出となって残るものです。 ~セミリタイア済みのおじさんの意見

 


人生で一番大切なのは「思い出」ではない.(常に今を楽しめる人生設計をするのみだ.)

 


老後に遊んで暮らすために今がんばって貯金する、そんな風に考えていた時期が俺にもありましたw

でも死んだら終わりだしむしろ貯金額が多いほど急に死んだときに損だと数年前に気づいてからこれ以上貯金しても無駄だと思って仕事をやめた

仕事をやめると毎日自由だが自由すぎてだらだらしてしまうのでむしろ適度に仕事をしたほうがいいと思った

しかし今仕事をしてまた貯金を増やしても仕方ない、かといってそんなにほしいものもないからあまり金が減らない

となると一体何のために仕事を頑張ったのか、こんなことなら若いときに金を使って貯金をしないほうがよかったと思った

つまりむしろ給料を全部使い切る人のほうが正しい、実際やたらめったら貯金するのは日本人くらいで海外では貯金しないのが普通だ、俺は間違っていた、必要な分だけ働いて後は悠々自適に暮らすのが最適解だと思う

 


年金を含めた生活防衛資金さえ担保する意識をもちつつ、あとは食べ物が美味しく食べられる時に食べて使っていくほうが良いかと感じます

 


40代から資産取り崩すってのは資産が減る状態に慣れるためかも。

 


人生は消耗品 
いつかなくなることが当たり前 
そう思うといろんなことへの執着心が軽くなる

 

 

 

「自分の中を何で満たすか」

「自分のいる場所をどう整えるか」

それがひいては

「自分にとって最も快適で」

「自分にとって最もパワーの発揮できる」

状態にしていくこと

 


仕事はね、本当にストレス感じない稼ぎ方を仕事にすること。

ストレス感じる稼ぎ方すると、ストレス発散のために浪費して、お金は手元からなくなるようになってるんだ。

自分にあってない仕事で儲かったとしても手元に残らないから、ぶっちゃけやる意味なし。

仕事は誇り高く楽しめるものだけやるべし

 


なるほど、豊かさや幸せの秘訣は、

「のんびりゆっくり行きましょう」

という文化は秘訣の一つな気がします。

富についても急がずゆっくり手に入れてきているから、

焦りもなければ、もっともっと、もない。このままジワジワと人生の素晴らしさを味わいまくりながら、気がつけば少しだけ増えてればいい

 


自分は有用な人材であるという自信ほど、その人にとって有益なことはない。

 


どうすれば「がんばりを少なくできるか」を考えましょう。

 
私にとって漠然とした不安から脱するのに一番重要だったのは「足るを知る」事でした。

 


物なら、本当に大切でこの先も持っていたいと思える上質なもの、

物でないなら、自分の価値と知識を高め心を豊かにしてくれるもの、

それらにお金を注ぎたい。

 

 

 

欲しい欲しい

クレクレといっても

手に入らないときは

捨てるもんがあるじゃろ

それが先なんじゃあ

それを必死に抱えとるから

入る場所がないんじゃあ

 


でも自分の今いる環境に感謝して、少しこの環境を守ってみようかな、そんな想いが生まれたとき私は少し生きやすくなりました。ずっと窮屈な田舎の実家から逃げたがっていた私ですが、守る力が自分を大切にすることにもつながっている事実に気付くのです。もちろん私は数年後に違う場所に住んでいる可能性もじゅうぶんあります。でも今住んでいる場所を変えられないのなら、今あるものに目を向けて感謝してみるのもいいかもしれません。

 

 

 

必要以上に冷蔵して、 傷むからと必要以上に調理し、 必要以上に食べることになってしまう。 引き出しも、クローゼットも、冷蔵庫も、胃袋も。 どんなものにも「サイズ」が存在します。 「住む家も、大きい家ではなく、ちょうどいいサイズがいいな」

 


真面目で考え込んでしまいやすい人が病気になるのは特にそう思うよね。

適当にやって何にも考えず、一晩寝たらもう忘れた〜って人のは方が人生楽しそう。

自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方

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努力を積み重ね、人の役に立つ人材になろう、と思ってやってきたが、気付けば搾取される日々。疲れた。人の話を聞かない重役、文句しか言わない同僚、自分は不幸だと思いこんで、嫌がらせをする隣人。みんないらない。こんなふうに思う自分もいらない。

 


体もあちこち悪くてきつい。早く開放されたい。

 


気を遣うのに疲れた

1人でいたい

1人の時間がずっと続けばいいのに

って思ってしまう

でも、今の仕事をしていく為には、沢山の人と関わらなくてはならない

仕事のために頑張らないとなのに

逃げたくなる

全部投げ出して

今の交友関係全て切って

私の事を誰も知らない世界に行きたいよ

 


ここに書き込んでいる人、みんな真面目でみんな頑張っている。みんな適当に、なんとなく生きることができなかった人だと思う。

本当にみんな頑張ってる。

もう力抜いていいよと思う。

自分に対しては思えないから、せめて他の人には届いてほしいと思う

 


学生時代に就活失敗して自殺未遂しかけてから11年、また終わりにしたい気持ちが湧いてきた。

新しい仕事が合わず体重が10kg落ち、さらに親に大病が発覚して心労でもういっぱいいっぱい。

常に暗い気持ちが晴れず、余暇に何をしてもろくに楽しめない。

コミュ障で生涯一人身だろうし、この先希望が見つけられなさそう。

せめて両親を見送るまでは頑張って、その後は仕事を辞めてバイクで日本一周でもしたら終わりで良いかな。

 


人生というものをあんまりにも重たく、まじめに真剣に捉えすぎると生きにくさが増すよね

 


そのため最近は積極的に、気楽に気ままにのんびり適当に大ざっぱに生きようとしてる。

気を抜くとすぐ元々のクソ真面目さが自分を支配してしまってまずい。

 


偶然生まれただけなんだからもう少し適当に気楽に生きていいと思うんだよな。色んな考え方あるけど少なくとも私はそう思う。

というかなぜたまたま生まれただけの私が「うまく」「正しく」生きなきゃいけないんだ。。。

もっと適当に気ままに生きさせろ。。。

 


「こうすべき」とか「こう生きるべき」とかに囚われて辛くなったり死にたいってなるくらい追い詰められて生活が楽しくなくなるのは、自分が可哀想になるし

 


自分や大切な存在を辛くさせるような「べき」なんて必要ないと思うんだよね

 


「片手は常にあけておけ」

 両手がいっぱいだと、何も新しいことがはじめられない。まずは手放そう。スケジュールに余白をつくろう。

 


闇雲に努力するより人生をいかに楽することを考えたほうがよいなと感じました。

 


本書にもありましたが、生まれもった才能ある人とは、結局スタート地点が違く競争して勝つのは難しい。

ならば、環境を変えて自分にとって居心地よいポジションとりが良い。

 


そのためには、自分は何ができて、何ができないのか考え、最適なポジションにつくための工夫へとつながります。

報われない努力するよりも、その方が本当の意味で人生ためになることだ思いました。

 


自分は『働かないアリ』の要素が少ないから、時々疲れて色んな事が嫌になるんだなと思った。

出来ないことを早々に諦めて、違うことを考えるスタンスを考えた方が良いなと思った。

 


人生は暇つぶし。

どうせ暇つぶしなら幸せに。

 


・兎に角自分に合いそうだと思う考え方や生き方を本書の中に見つけて、それをやってみる。

・努力はガムシャラにするのではなく、自分が望む人生の有り姿を見つけ、それを実現するために使うべき。

・不向きなモノや望まないモノの為にただ漫然と、ランダムに努力するのは人生を不幸にする。

 


高学歴で一流の会社に入って周りを蹴落として上司に媚を売って出世していく人には勝てない。でも、勝つ必要もない。そういったタイプではないということを認識すれば、すんなりとうまくいく道も見つかるかもしれない。

 


適当であると何が良いのかと言えば、

適当な人の方が好かれるし、ストレスも溜まりません。

適当な方が仕事の量は減ります。

 


適当に生きていれば仕事やお金は勝手に向こうからやって来ます。

どんな形であれ。

 


適当力とは人間力であり、総合力です。

 


自分の面倒を自分でみる

これがほんとうの

お金に頼らない生き方

 


今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、

すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。

そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。

歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。

そう考えたら安心だ。

だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。


デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその

一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる!

人生100年時代のまさかの出口戦略

ありのままの自分を生かすことが大切です。 深海魚は深海魚だからこそできる仕事をしています。 コウモリはコウモリだからこそできる仕事をしています。 暗い人は暗いままでいい。 明るい人は明るいままでいい。

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遊ぼうとしてはいけないよ。遊びを探してもいけないよ。遊びに本気になってもいけないよ。そういう意識が出てきてしまうなら、本当には遊べていない。(こんな大袈裟なことを考えてると、もっと遊べないけど😅)

子供たちが意味もなく走るじゃない?あれが遊びの原型だよ。理由もなくやってしまい、理由もわからず気分がイイこと。

本気にならなくても努力しなくても夢中にやってしまうのが、本当の遊びだよ。

遊ぼうとしなくても、遊びを探さなくても、自分にとっての本当の遊びは向こうからやって来る。社会から刷り込まれた価値観に縛られていては気付けないけどね。

7~8割の人間は、「用意された遊び」を遊び、「教えられた楽しみ」を楽しみ、「誰かを手本にした喜び」を喜んで、一生を終える・・・。それはそれで仕方ないんだけど、本当はつまんないんだろうよ😥

 


子ども達は遊ばなきゃとか楽しまなきゃとかやりたいことしなきゃとかそういう概念すらもなくて、大人から見たら何の価値もないことでもひたすらに無意味に無目的に遊ぶ姿に私達大人は心を打たれるのかもしれない。

 


そういう子どもみたいな大人になりてぇって思った(笑)

 


お金は必要ですが、仕事が遊びなら遊びながらお金も入って来ます。そうして66まで生きてきました。これからも楽しいよ。

 


本気で遊ぶっていいですよね。でも遊び方は人それぞれでもいいと思います。

大会や勝つことを目標にするだけじゃなくて、集めるだったり、考えるだったり、それこそ作るなんて楽しみもあります

自分なんかはポケモンで別のゲームのキャラをオマージュすることを楽しんでました。要は自分が本気になれる遊び方でいいのです。誰かに認められる遊び方でないといけないと言うのも「大人らしい」遊びに縛られてると思いますよ

 


❝ 遊びをせむとや生まれけむ 戯(たはぶ)れせむとや生まれけむ 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそゆるがるれ ❞(『梁塵秘抄』四句神歌)

 


そういえば、『ホモ・ルーデンス』の著者ヨハン・ホイジンガを感嘆させた、❝ ~遊ばせ ❞ という日本語表現も、すっかり使われなくなりましたね・・・・・・😞

 


魚が空を飛べないように、自分に合っていないことは、そもそもできなくて当然です

 


「自分の中で小さな希望を増やしましょう」

 


疲れると、今の環境が

より悲観的に見えてしまうのよ。

 

 

ありのままの自分を生かすことが大切です。

深海魚は深海魚だからこそできる仕事をしています。

コウモリはコウモリだからこそできる仕事をしています。

暗い人は暗いままでいい。

明るい人は明るいままでいい。

 

 

40過ぎると楽になる 

年取るにつれてもっと楽になると思う 

だんだん周囲の人が亡くなっていっていい意味で人生なんてもうどうでもよくなってくる

ちょっと体の調子が悪いと大病かと思いパニックになることが数年続いていたが「人間いつか死ぬ」「私がいなくても地球は回る」と自分自身に言い聞かせていたら気持ちが楽になり、体調不良もなくなった。

 


「流れに任せて、てきとー」にやってください。
「損得」でなく、ものごとを選んでください。

それ「だけ」でいいんですよ。


「なんか知らん教」
たのしーよー。

 


変化を自ら起こすことで、必ず転機は訪れます。自分が想像できない世界がまだたくさんあることを知ってください。狭い世界に自分を閉じ込めないでください。
人それぞれ、色々な生き方がある。と体感的に知っておくと気が楽になります。
心から楽しみたいと思ったこと、ちょっとでもやってみたいと感じたことを大事にしてください。
対人関係は経験値を積むことで円滑に回せるようになるのです。
人生で本当に手に入れたいものを考えてみる。
楽しい人生経験、人との価値ある交流。幸せな家庭です。
遊び心。もっと遊んではじけるくらいが良いのです。

 


100パーセント助かる絶対の方法”はないけれど、“フィフティー・フィフティーの確率で助かる選択肢”は、無限にある

 

 

 

思えば、ずっとでした。小さい頃から。

ずっとしにたいなーって漠然とした気持ちがありました。今もあります。誰にも言ってません。

原因はいじめなのか教育なのか自分自身なのかはわかりません。

だけどなんでか今まで生きてきたんだよね。

一晩中泣いても、自分のこと殴っても、1日横になってても、しのうとしても。

なんでか今生きてる。

全然毎日楽しくないし、常に不安があるし、ある日突然ぷつんって糸が切れちゃうかもしれない。

けど、今生きてるんです。それだけです。

これからもそうやって生きてくんだとおもいます。どうしてこんな風にしか生きれないんだろうって思うときもすごくあるけれど、明日も目を覚ますんだと思います。そろそろ慣れてくる頃かもしれないです。