大事なのは「今いる場所で、どうしたら自分が快適に過ごせるのか」を中心に考えること。

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自分がやりたいことは 誰にも遠慮せずにやる どんどん他人に嫌われて 見捨てられて 自由になっていくんだ お金も無駄なことや 気持ちいいことにどんどん使う

 


〝幸せな人生を送る1つの秘訣は、小さな喜びを継続することです。〟

 


結局のところ、素敵な人生っていうのは、稼いだお金ではなく、安定した人生でもなく、貪欲に何かを追い求めていた必死になったユニークな出来事の積み重なってできるものだと思っています。

 


実現困難な幸福を諦めて、実現・持続可能でお手製でお手軽な幸せを叶え続けて行くことが大事なのだと思います。

 


ちゃんとしようとするのではなく、悪用する、ふざける、酷いことをする、怒られないためではなくギリギリ怒られるために何かをやることは、時に人間を活気づける。死にかけた命を蘇生させる。

 


そもそも凡人の人生が楽しいわけがない。世の中の言う通りに生きていたら必ずつまらない人生になるに決まっているんだから、そこから始めろ

 


お金が目的なんじゃなく、目的はあくまで元気になること。

元気に毎日を生きること、明日を生きる活力を得ること。

もっと言えば

「今、頑張ってるなぁ俺、私」

って思えること。

 


結局、問題なんて気にしないで進んどけばいい。

 


他人に何を言われようとも興味持ったものを極めろ。それは奥深い。そして生き甲斐になる。それは何れ年老いた自分を救ってくれる時がある。

 


だれにも評価されないとしても、「それが自分の道だ」とわきまえて、続けていくのです。それがやがて、「自分なりの境地」という花へとつながっていくのです。   「ほかの人にできないことで、自分にはこれができる」という、自分の得意技や得意分野を、まっすぐに掘り下げていくことで、オンリーワンな、自分独自の歩みが可能になってくるのです。

 


「お金は健康な間に使わないと損だな」と思うようになっている。 つまり「円預金が増えたら負けかな」、と。 会社を退職後、最近は新年を迎えるたびに、金融資産(貯蓄)の数字よりも「人生の残り時間」が気になるようになった。

 


うまいものを食って好きなことをして、適当に今を楽しく過ごすほうが幸せだ。

 


老人にとっていちばん大事なのは、自分の今の生活を楽しむことであり、気に食わないことにいちいち目くじらを立てることではない。人づきあいは大事でも、だからといって必死になる必要などなく、片手間にやるくらいのつもりで適当にやっていればいいのである。

 


思い通りにならないというのならそこまでがその人の実力なんだと思ってる。自己責任とかじゃなくてそんなもんでその程度なんだと思う。逆に自己評価高すぎなんだと思う。

 


精神的な病に、医者や製薬会社に積み立てで多額のお布施なんかしてどうにもならんでしょう。

それだったら、好きな車買って、数か月に一度遠出で景色のいいところで気分転換したほうがよっぽどいい。

 


こないだ、機械に油注入したんですが、注入するときの集中と緊張感、そしてそれが終わったときの安心感、と脱力感これがなかなかいい。終わったあとのコーヒータイム♪男性はどちらかいうとモノ相手に集中していると、結構ストレス解消にいいかも。

 


期待しないためにはできるだけ楽に生きていくことが大切だ。いっぱいいっぱいの生活を送らないこと。期待しないためには、自らを犠牲にしないこと。自らを生贄に捧げ、何かすごいものを召喚しようとしないこと。見返りを求めてしまう、失望してしまうのは、そこに大きなコストをかけているから。

 


経営のゴールは楽をすること。楽に成果を出せること。

 
生産コストを下げる。それ自体が楽しいということ。手段としてではなく、目的となること。手段の目的化。

 


うまくいかないのは努力不足じゃない、

無理して余計なことやりすぎだからだよ^_^笑

 


「まあ、これぐらいでいいか」というところで、やめておく。八十パーセント、いや七十パーセントぐらいできていれば、それで充分だ。後は「次のお楽しみ」として残しておくのが最良の策である。だいいちそのほうが上品である。

 


これならいくらでもできるって、意外と危険なのよね。

24時間歩き続けたら倒れたり怪我したりもするでしょ。

これならいくらでもできることを、適度に休みながらやる。

それぐらいがちょうどいいのよねえ。

 

 

 

もしも仕事に行き詰まったら、いっそ遊びに頭脳のほとんどを使って、その余力で仕事をするくらいに考えたほうが、じつは、ちょうどいいのではないでしょうか。

 


考えるのに疲れたら、直感というか本能にまかせて過ごすのが良いのかなと、最近思うようになりました。

リスクやらメリットやら理屈で考えるより、自分自身の感覚に任せたほうが、結局心身快適な方へ導いてくれそう。

 


人生とはじつにおもしろいもので、何かを得ようとするときには、必ず何かを捨てなければならないし、何かを失っているときというのは、間違いなく何かを得ているものです。  掴むためには何かを失い、失っているときには何かを掴んでいる、ということです。

 


人生は、勝たなくても、負けなければ良いのです。負けないとは、とにかく、生きること、逃げても、例え、恥をさらしたとしても。生きていれば、そのうち、運が向いてくることもあるし、状況が変わっていくことを体験できるでしょう。そのなかに、思い通りになることも、いくつか、でてきますよ。

 


1仕事面:「お金のために働く」でええやない。家族の幸せを、健康を第一に

「なんで働くのか?」と迷ったときは、単純に「働くのは、自分が食べていくお金を稼ぐため」と割り切っていい。

「生きがい」とか「己の成長」というのは、自分をちゃんと食べさせられるようになった後に、余裕があったらボチボチゆっくり考えていけばいいと思う。

人生は長いんです。

人間なんて70歳80歳になったら「勝ち」も「負け」あったもんじゃない

 


会社というのは「他人が作った金儲けの箱」にすぎない。

自分の大切な命や家族の幸せをかけ過ぎたらあかん。自分で「逃げる」って決めたら、自信をもって逃げたらいい。

その選択は誰のせいにもしない。

自分の意思で前の職場を変えて、自分の意思で今ここにいるという時間が必要だと思う。

結局、どこに行っても一緒で、100%満足できる環境はない。

だから大事なのは「今いる場所で、どうしたら自分が快適に過ごせるのか」を中心に考えること。

他人を変えて快適にするのではなく、「自分がどう動けば快適になるか」「どうすればここで気持ちよく過ごせるようになるか」を考えること。