朝起きて、よく働いて、食べ物を育てる。
地域の人や家族と供に働き、経験を共有する。家に帰り、食事の支度をして、とても美味しい料理を作る。
楽しみ、よく笑い
それが日常、それが人生。
人は多くのことを付け加えすぎて病んでいる。
身体を大切にしないし、食べるべきものを食べていない。
自分がやりたいことは 誰にも遠慮せずにやる どんどん他人に嫌われて 見捨てられて 自由になっていくんだ お金も無駄なことや 気持ちいいことにどんどん使う
私も泳ぐのやめました!
私も泳ぐのやめてただただ浮かんで
もう2年半になります。
なんとなく上手くいってる
お金廻ってる
今思うと、あの生きづらかった時期は
自分を偽って殺して好きな事にも目を向けず、ただ何かに勝つこと、負けないようにすることに、奪われないようにすること、嫌われないようにすること、迷惑かけないようにすること、誰かに認めてもらうこと、1人でもちゃんと生きていけるようにすること、などに意識が向かってて疲れ果ててました。
ぢんさんのブログ読むようになって、
少しずつそういうのいらなかったんだと
気付かされ、漂うように生きてたら
自分の声がちゃんと聞こえるようになって
やりたい事、やりたくない事がわかってきました。
最近思うに私にとって、やりたい事を思い切ってやるのは割と簡単、
やりたくない事を辞める方が、結構辛いです( ;´Д`)
ワナワナしながら、ガクブルしながら、これからも一つ一つやりたくない事辞めて自分の気持ちを大切に生きていきます!
自分で自分に呪いをかけていました。 でも外側の環境全て「1ミリも関係ない」のですね。
誰かにそれを言ってもらいたかった。
私。私。私。
私は私を幸せにする。
「好きなこと、しよ」 「やりたいこと、やろ」
人生はシンプルですね。
親も他人。 昔、仁さんのお話しを聞きに行ったとき 親は、あー見えて幸せなんじゃ。 という言葉が、体に染みこんでいったのを思い出しました。
でもこの言葉で私の価値観一つ変わりました。 親が他人と切り離していくと、
血の繋がりもない旦那も他人、
世の中すべてが他人。
に気づいて行けました。
これがわかると、子供も他人にできます。 でもね。 他人、他人と冷たい人と思われないか、と思いますが、
まずは、自分を他人にしてなかったかみてください。(私は、そうしてました)
自分を他人にしていたから、他人って冷たい言葉って敏感だったのかな だから、今は自分を他人になんかしなくなりました。
自分って世界最高の味方。
苦しく見える人を見ても、あー見えて幸せなんだなあと思うと世界がっらと変わりますよ。
この世界は、幸せな人しかいない世界が見えてきます。 まずは、自分を信じてみてください。
余生
夢も目標もないって、いまのわたしだーって思って読んだよ。大学卒業して社会人になって結婚して毎日のんびり暮らしてる。
こどもは特に予定もなく、この人生ですべきこと全部終わったようなきがしてる。
余生だなーって最近思ってた。
うまれてるくるまえに決めたこの世でやりたかったことって、暇になることかもしれない。なにもしなくていいこと。することがないこと。退屈なこと。 昔は苦手だったのに、いまは嬉しい。
30代の今は、やりたくないなーと思うことはやらないし、ちょっとやってみて苦労だと感じることはすぐやめる。そのかわり楽しいと思えることはとことんやってる。そしたら何故か仕事の中で楽しいと思える項目が増えてきて、楽しいと思ったらどんどんやるようにしてたら評価も上がって褒められるようになった。
「あれが幸せだから」
そうと信じて手を伸ばしても、手に入らない。
「もう知らん」
今まで幸せと信じてきたものに
手を伸ばすのをやめたら、幸せが手に入った。
ああ、そっか。
そもそも、違ったんだ。
目指していたものは、理想は、見当違いだったんだ。
そこが幸せじゃなかったんだ。
見当違いな幸せを、追いかけ続けていた。
で、それが幸せだと信じているから、
自分にとって本当に幸せなことが、
思いがけないところにあることに気づかない。
結果を残したいひと、成功したい人は
結果を残す方法や成功する方法、
脳力や能力を上げる方法を求めるのではなく
家族やひと、自分を大事にすることに
時間と労力を使うほうがよっぽど早いわけです。
お金の使い道とか
自分にぴったりの金額って
本当に人それぞれなんだなと思いました。
人よりたくさん持ってることが
【良いこと】ではないんですよね。
喜びのために使って、
喜びながら自分の役割に生きる。
お金はその喜びのエネルギーを
循環させるためのツールであって、
その量が多い少ないで
優劣が決まるわけじゃなくて・・・・・