自殺する気は無いけど年とって先が見えてるし、寿命までは働かないと食べていけないという現実に絶望している。
なんかいい事あれば死にたくないと思うんだろうけど難しいね。
死にたいというよりは今の自分の冴えない約割に飽き飽きして生まれかわりたいというのが正しいのかもしれない。
どうか、最後に目一杯足掻(あが)いてほしいということだ。しんどくても、突き詰めて考えて、生きる希望を探してほしいということだ。そしてもう一日、もう一日、と、少しずつ生き延びてほしい。
そうやって生き延びた私だからこそ思うのは、多分その先に、希望はある、ということだ。
30代の今は、やりたくないなーと思うことはやらないし、ちょっとやってみて苦労だと感じることはすぐやめる。そのかわり楽しいと思えることはとことんやってる。そしたら何故か仕事の中で楽しいと思える項目が増えてきて、楽しいと思ったらどんどんやるようにしてたら評価も上がって褒められるようになった。
人生って結局死ぬまでの暇つぶしなんだと思う。
どんなにお金や名誉があっても、死ぬ時はみーんなひとりだし、あの世にはお金も財産も持っていけない。
そう思ったら、周りの人に迷惑をかけない程度に、もう少し生きてみようかなと少し希望がわいた。
努力ってあまり関係ないと思う
幸せになれる人は物凄く強い運みたいなのに守られてるって周り見てて思う
現在の結論は、人生は自分への接待だと思ってます笑
他人には気を使っても嫌われるし、助けても損をするし。
自分が望んでいることをしてあげることが幸せだと気がつきました。
職場でもお家でも、自分を最優先してたくさん大事に接待してあげることで、陳腐な言葉ですが世界が変わりました。
「あれが幸せだから」
そうと信じて手を伸ばしても、手に入らない。
「もう知らん」
今まで幸せと信じてきたものに
手を伸ばすのをやめたら、幸せが手に入った。
ああ、そっか。
そもそも、違ったんだ。
目指していたものは、理想は、見当違いだったんだ。
そこが幸せじゃなかったんだ。
見当違いな幸せを、追いかけ続けていた。
で、それが幸せだと信じているから、
自分にとって本当に幸せなことが、
思いがけないところにあることに気づかない。
報われない努力なんてない。考えが甘い。
努力に対するリターンをでかく見積もりすぎているから
泣き言を言うはめになる。
劇的な成長じゃなくても他人の目には分からない程度の変化でもいい。
その小さな成長を自分で見逃さず
喜びを噛み締める努力を継続し、習慣と呼べるまでにした時に
初めてデカいリターンがある。
わたしがこの法則?原理?を体感実感したのは、
心屋を知って
このままでいいんだ~~
変わらなくていいんだ~~
引きこもりでいいんだ~~
ウツ状態でもいいんだ~~
無職でもいいんだ~~
生産性なくていいんだ~~
家事も何にもしなくてもいいんだ~~
って知って分かって、
よし!んじゃこのままでいいや~~
って楽になって過ごしてたら
引きこもりを自然と脱出して、
働いてみよう~って今楽しく働いてる(*^^*)
元気になれたことがホントに良かったな~~って。
それがホント1番で、
そしたらあとはもういいや~って思う(笑)
欲も望みも不安や心配も出てくるけど、
それでいい~~~
人間だもの~~~(笑)
結果を残したいひと、成功したい人は
結果を残す方法や成功する方法、
脳力や能力を上げる方法を求めるのではなく
家族やひと、自分を大事にすることに
時間と労力を使うほうがよっぽど早いわけです。
一生懸命に外側ばかり満たそうとしている自分に気づいて、今月は、何もしない、何も得ようとしない、それを心掛けています。 ふと気づくと、なにかしらしようとしている自分がいるので、ザワザワしながらも何も得ようとしないようにしてます。
結果を残そうとして苦しんで悩んで、エンドレスで続く努力。どんどん幸福から離れていくのね。 ぢんさんの言う通り、いわゆる自分を甘やかし、好きなものを大事にしてみたら、なにをしてても成功してる、すでに成功してて、すでに幸福だった、すでに夢は叶ってたということに気づいたのです。あとはそれが続くだけ。 happy