もし完璧を求めるなら、そのままでいればいい。

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アリとキリギリス
この寓話を読んだときに、なんてアリさんは冷たいんだろうと思ったことを思い出しました。
アリさんはコツコツするのが、好きな人。
キリギリスさんは楽しいことをするのが好きな人。
最後は、アリさんがキリギリスさんを助けて仲良く暮らすと思ったら、アリさんはなんてけちん坊なんだろうと思ったラストでした。

地球上でも、コツコツするのが好きな国民、楽しいことが好きな国民、食うのにも困る市民、有り余る富を有する市民、本当にいろいろ。

コツコツ型の人から見たら、楽しいこと好きな人は、今に困る、と思っていて、楽しいこと好きな人から見たら、コツコツ型の人は、今を楽しまないなんてなんてかわいそう、と思っている。

あれ?どっちもいていいんじゃない?

コツコツ型の人はコツコツするのが好きなんだから、自分の道を進んだらいいし、楽しいこと好きな人も自分の道を進んだらいい。

問題なのは、楽しいことが好きな人が、無理にコツコツ型になっていたり、コツコツ型なのに、楽しまなきゃ損のような気持になって、無理に消費に走っていたりする場合。

私はコツコツ型なのか、無理に消費に走るのは、やはり苦しいです。

キリギリス型が将来困ったら、喜んで助けますよ。

だから、コツコツとまじめに一生懸命働いて、ささやかな幸せで満足する暮らしがしたいです。

派手な遊びというのが、苦手な種族もいることをわかってほしいです。

作家、ものや文化を創っていく人を応援する側でいたいです。

何も創造しなくても、同じ時代に生きているのも何かの縁、自分らしく生きていくことが、周りの生きやすさも生みます。

私は、やはりアリでした。でも、アリであることに誇りを持っているアリです。

 

 


私はダンスが好き^ ^けどまあ歳だし身体も強くないし毎日スタジオって訳にはいきません。だけどもスタジオ行かない日もダンス動画みたりダンスミュージック聞いたり、ウェアをググってうっとりしたり、時々は体幹レーニングとかしてみたり。足を鍛えてみたり。ダンス関連の事が頭の中も日常の中もいっぱい。仕事だってそのためにやってると言っていい。スタジオ通い始めて10年。それ以前とは明らかに幸せ度が違うー。お金にもならない無駄に好きな事やるってホントいいよ!!!

 

 

 

ただ、飯を食って出すだけ
ただ、空気を吸って出すだけ
ただ、生まれて、死ぬだけ
ただ、消費するだけ
ただ、病気になるだけ
ただ、迷惑かけるだけ
ただ、迷うだけ

 

 


世の中は
「なんかしらんけどうまくいく」が
いっぱいあるから。

 

 

 

「幸せになる」には「いま、これが幸せ」と
「気づく」だけでいいのだから。

 

 


「幸せ」になる
一番大切で一番の方法が

「力を抜く」
「気を抜く」
「手を抜く」

ということですね。

 

 

 

軸がないんじゃない。

誰かの軸を真似ようとして
自分の軸を見失ってるだけ。

それで、いい。


なんとなく、
ふと思う、
それでいい。

 

 


素晴らしい自分に「なる」のではなく
素晴らしい自分に「気づく」だけ。

だって、すでに、そうなのだから。

 

 


ようは、
自分がやりたいようにやって
自分が満足してれば、
それでいいんじゃね?!
そもそも他人と比べる必要なんてないし・・・

 

 

 

自分が持っているステータスを基準にして動かなければ
ただ自分をないがしろにして責めるだけになってしまう。


自分のステータスを把握して
活かしたり、諦めたりする。


それが「自分を認める」「自分を大事にする」ということに繋がるのではないのかなと

思いました。

 

 

 

与えられた環境の中でどのように振る舞い、
どう生き、苦しみ、学び、考え、自分なりの正解を見つけ
そして死んでいくか。

そこまで全てがワンセット。

 

 

 

そして「生きる意味とは?」という問いについて。

「生きていることにもう何にも期待が持てない」
こんな風に何かに対して期待をすることをやめようとも伝えていた。

そうではなくて逆に自分が問われていることに気づくべきだと。


与えられた運命に、苦しみに、出来事に対して
お前はどう生きるのか?
それは状況、瞬間ごとに毎回問われ
私たちはその都度答えを出していく。

そういうことが求められているのではないかと。

 

 

 

「問題」の「答え」は
 
「自分らしくやりたいことだけして生きること」

 

 


もういいひと、やめよ。
もう、自分の人生、生きよう。
 

 

我慢してたって
がんばったって
ひとはわかってくれないから