むしろ楽天的に、のんきに生きていくほうが賢く、人生はより豊かになります。

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この地と一体となっている、「今、ここにいる」という気づきを得ている自分がいちばん幸せなのです。人間は寂しがりやなので、しっかりとしたつながりを実感するだけで、それが安心感となります。

 


上り坂のあとには下り坂が待っている。調子が上向きのときこそ心の片隅に、こんな覚悟が必要です。どんなときも生活スタイルを変えないこと──これが心を安定させるための、ちょっとしたコツなのです。

 


種まきをやる上で大切な事は、気楽な気持ちであり、かつ同時に沢山まくことだ。何が自分にとって本当に食まれるものなのかを見極めるために、たくさんのものを試してみる。あれこれと結果を考えるのは始めた後にということにして、何も考えていない位がちょうどいい。

 


1つの種しかまかないと、他と比較できないため、それが自分に合っているかどうかもわからない。つまり、たくさんの種を同時にまくと言う事は、自分の前に複数の道を作ることでもあるのだ。すると、たいして興味がなく始めたものの面白さを発見することもある。

 


「やりたいこと、得意なことをやって、自分にとってストレスや負担になることはやらない」ということ。その中で、さらにスキルアップし、よりいいものが生み出されるというスタイルです。

 


私にとって漠然とした不安から脱するのに一番重要だったのは「足るを知る」事でした。

不安というのは「足りない」ではなく「分からない」事からきていると思います。

我慢ばかりして身体を壊しながら、使い途の無い大金を貯める意味など始めからなかったのです。

 


人には、自分で自分を慌ただしい気持ちにさせるところがあります。  しかし、いくら慌てたところで、人生はどうなるものでもありません。  どんなに悩んでみたところで、事態が大きく改善するわけでもありません。  むしろ楽天的に、のんきに生きていくほうが賢く、人生はより豊かになります。

 


過去への後悔や悲しさと寂しさに埋没するのではなく、「母から貰った一度きりの命なのだから、いつ死んでも悔いがないように、自分なりに精一杯に生きよう」という今後へと頭が切り替わってきた。

 


なぜ、今の僕が、存在するかも不明な将来の僕のために我慢して生きなければならないのか。まず大前提としてそこが全く納得できない。今の自分が納得できる生き方をする。それだけの話ではないのか?将来のことなんて、将来が今になったときに、やっぱり今の自分が納得できる生き方をすればいいのではないか?その連続でやっていくしかないのではないか?

 


将来のお金のために今を我慢しながら働くというのは、一見すると堅実で合理的な判断に思えて、実はすごく非合理的であると気付いてしまった。今より将来、健康よりお金を優先しているのだから。

 


今の僕が将来の僕に対して出来る事は、嫌々働き健康リスクを高めながらお金を貯めてあげることではなく、今日という1日を納得できる形で大切に生きて、自分なりの人生観を醸成していき、色々と経験もして、どんな世の中であっても楽しく生きていける人間的な強さを築いていくことだろう。

 


自分なりにやれる事、やりたいと思える事を細々とでもやりながら、散歩して、読書して、のんびりして、静かに暮らしたい。そんな平凡極まりない暮らしを僕の心は欲している。だからそれを求めていく。頭でゴチャゴチャと考えて心を邪魔する事はもうしたくない。

 


お金はあくまでも生活をするための手段だ。より正確に言うと、自分が納得できる生活を送るための手段だ。

 


私は今40代で30代くらいまで似たようなことで悩んで実践したのですが、小さな成功体験の積み重ねって大事だと思いました
(私の場合「スクワット15回」とか「ハンバーグをレシピを見ずに作る」などです(^-^;)
何もやらないと何もできないままなので、1ヶ月一つとか目標を決めるといいです
できたら自分を褒めてください
自分より出来る誰かとは比べ嘆くのではなく、過去の出来なかった自分と比べて褒めるんです
成功体験が増えていくと、「何もできない」って感情が薄くなっていきますよ
これは体験談です