結局は自分が幸せに生きたらそれで良いんだよな。
ある人は年収数億円で仕事をしている事が生きがい。死ぬまで仕事をし続ける事が幸せ。
ある人は年収700万円、結婚していて子供もいる。仕事は忙しいけど、家に帰れば家族がいて、休日は家族と過ごすのが幸せ。
ある人は年収300万円、年収は少ないけど、残業が少なく、休日もしっかりある。
仕事から帰って、一人暮らしの4畳半でビール片手にNetflixで映画を観るのが幸せ。休みの日は趣味を満喫してる。
全員違う人生だけど、死んだらみんな一緒なんだよな。
結局、幸せに生きたもん勝ち。
行き着く先が同じなら過程は少しでも楽しく幸福な時間にしたいよね
「人間は誰でも不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる」
名声を手に入れたり人を支配したり
金もうけをするのも安心するためだ
結婚したり友人を
つくったりするのも安心するためだ
人のため役立つだとか愛と平和のためにだとか
すべて自分を安心させるためだ
安心を求める事こそ人間の目的だ
人生なんて罰ゲーム
私の好きな言葉
この考え方だとストレスと別居しやすい
活動の過程こそ人生の輝き
お金を稼ごうとする人は自分の亡き後、家族が苦労しない、繁栄する為に残そうとする。
本当はお金よりも、知識、常識、技術、考え方を残すべきなんですよね。
馬鹿にお金だけ残しても、直ぐに失敗してしまっては意味が無い。
両方を残せた人だけが、お金を残す意味が有る。
暇つぶしだから、人生なんて楽しんだヤツが一番の勝ち組。
人間の終着点の姿のみを切り取って人生の無意味さを悟るのってのは単純過ぎる気がする。過程でいくらでも何かを残せるはずだし個人の楽しさを追求してああ楽しかったで灰になって死んでも人生に意味は無かったなんて思えないんだよな。」
道中を楽しみたい
自分を好きになりたいから良い人でいたい
ゴールが一緒でも過程が大事なんだと思った
高校までは、将来起業してビッグになるんだ!とか考えてたけど、ここ1年で、どうせ死ぬならできるだけ頑張らずに苦しい事から逃れて生きてたいって考えに変わった
自分の限界を知る。人は他人に能力以上の事を求めてくるけど、能力以上の事をするとストレスが、たまったりいろいろ大変だけど、限界を知ってできることをできる範囲出すること。能力以上できなくても仕方ない。毎日、虎視眈々と出来ることだけを怠けずにする事。
自分には人と比べて刺激受けることよりも、あの人とは人種が違うからと割りきって人と比べずに自分のペースで頑張るのが向いてるってこと。
湧き上がってくる感情はコントロールできなくとも、それをあっさり手放すという形でコントロールしていくことができるようになります。「ありのままで」の利点は一つの感情に執着しないことに加え、今ある感情を手放すことで、次の気づきや感情を受け入れる余白が生じることです。
もうぜんぶ許して、いびつでボコボコでちっちゃくてクソみたいにダメな私のまま、堂々と胸張って生きる(  ̄▽ ̄)
『ここに来ている人たちは
枠におさまらなかった人
変だから普通の人になろうと努力した。
でもできなかったやんか。
変な人でいきよう。』
要は、
「自分の中を何で満たすか」
「自分のいる場所をどう整えるか」
それがひいては
「自分にとって最も快適で」
「自分にとって最もパワーの発揮できる」
状態にしていくこと
「逃げる」には、「1時間だけ、その問題から逃げてみよう」と考えてみましょう。
1時間だけ、今とまったく別のことをやってみる。 本屋に行くのでもゲームをするのでも、インターネットを見ることでも、なんでもいいのです。問題からいったん離れると、感情が切り替わります。感情が切り替われば、行動も変わるのです。
逃げられない状況が続き、追いつめられていても、何かしら自分の楽しみがあるはずです。それを見つけましょう。
なるようにしかならない。自分の実力の範囲でしか仕事ができません。それでも、なるようにはなる。
世の中は
「なんかしらんけどうまくいく」が
いっぱいあるから。
素晴らしい自分に「なる」のではなく
素晴らしい自分に「気づく」だけ。
だって、すでに、そうなのだから。
自分が持っているステータスを基準にして動かなければ
ただ自分をないがしろにして責めるだけになってしまう。
自分のステータスを把握して
活かしたり、諦めたりする。
それが「自分を認める」「自分を大事にする」ということに繋がるのではないのかなと
思いました。