私は病んでた時、頑張って何かしようとするのをやめた。
休みの日は寝たいだけ寝て、無理してどこか行こうとかしなかった。
YouTubeとインスタとがるちゃんばっかり見てたし。笑
休みの日とか仕事終わった後のプライベートの時間なんて無理して頑張らなくて良いんだよー。
病んでる期乗り越えた今はあの頃が嘘だったかのように元気に筋トレしたりデパコス買いに行ったりしてるよ。笑
無理すると後で反動がやばいから、病んでてしんどい時期はポジティブになろうとかあれこれ頑張らなきゃとかしないほうがいい!
若い頃にはなんとも思わなかった、目がいかなかった事にも幸せを覚えられるようになった。
だから若い頃のがむしゃらとはまた違った、らく~な楽しさがある。
色々と開き直れるようにもなったし。(いい意味でも悪い意味でも)
結果、とっても楽です。
芸風とは最大の資産と制約
一周も二周もまわって、最近は同じ暇つぶしの人生でも、少しは笑って過ごそうかな、と思ってる
お金も仕事も家族も友達もいないけど、自分のご機嫌は自分でとろうかな、て。
俺は、このおじさんに言われた通り、ずるい人になってみた。
するとどうだろう。
人気者になってしまったのだ。
自分で自分を人気者のように扱ってみたら、なぜか周囲から人気者として扱われるようになった。
ずるい生き方をして愛される人って、人気者なんだよね。
そして生きるのがすごくイージーモードになった。
神様は楽しんで生きてる人にご褒美をくれるんだって。
真面目に真っ直ぐ生きるよりも、たくさん挑戦したり、失敗してもめげない人にチャンスをあげて色々な様子を見たいらしいよ。
なんか真面目過ぎるのも困りものというか、もっと適当でいいんじゃと思う事はあるな。
わかった!
真面目な人は地味な人が多いから損するのよ
真面目でもアピール力を持てばいいと思う
存在感が大事
稼いだお金をちょっとづつ嬉しいことに使う練習をしていったら、
お金稼ぎ=大変
って思いが、
お金稼ぎ=嬉しいことをする準備
きのう考えたこと
死にたいなーと思ったけど
ん?死ぬならもう何も考えなくていいのね
んじゃ何も考えず好きなように生きてやろうと思いました。
「放てば手に満てり」
ピンチと思うとそのたびに、良いもの、本物を使うきっかけにしていきました。すると、コストが増えるのではなく、気づき、知恵を得るとともに、長期的なトータルコストが減ります。
実は、もう私たちは、既に幸せである。
それに気づくために、減らす、削ぎ落とす、シンプルでいる。
ものが少なくなってくると、大事なものって服じゃなく、内面だな。
その日の気持ちだな。
という風に感じてくると思います。
「何かを手にいれようと思った途端に、面倒なことが起きるものさ。
どこへ行くにも、よっこらしょと、そいつを担いでいくんだぜ。
ぼくは詩にするだけでいいや。
その方がずっと気がきいてるからね。」
ひとはひとりで生まれ、ひとりで死んでいきます。
自分の意見を持って、貫いて強く生きていきましょう。
スペースが空くと必ず、新しい流れが入ってきます。
これは出会いも同じです。 新しい自分に出会うには、まず、捨てること、削ぎ落とすことなんです。
「むれるな、拝むな、自分でいろ。
好き勝手言ってくる人間は無視しろ。
上昇するあなたを引きずり落とすことで、この原理で上に立とうとする。
あれこれ言ってくるやつは、関わらないこと。
雑魚は相手にしないこと。
ノーと言えない人間は一生奴隷です。
不当な行為に怒れない人間は一生奴隷です。
あなたを解放しないもの、
あなたを否定するもの、
あなたを愛さないもの、
あなたを矯正しようとするもの、
あなたの自然を抑圧するもの。
これを全て捨てなさい。
全て拒絶しなさい。
今あなたがどうであれ、極限を超えた自由への道のりにいるのだから。
それを応援するもの、それが同士であり、兄弟姉妹である。」
モノに執着しない、人に執着しない生き方、それは易しいものではありません。
茨の道であるとも言えるでしょう。 しかし、同時になりたい自分になる、生きたい人生を生きる、そして、自分の現実を自分で作ることが可能になってきます。