デカいものを作るには時間がかかるのは当然だし、そのために色んなところで寄り道をして部品を集める。 人生全部を使って「1つの大きな作品」になればいいなとそう考えているのです。
「世界をいくらでも増やして広げて遊ぶことができること」
余白が生まれた生活には「遊び」が生まれます。 余白を遊び始めたあなたには「新しい世界」が生まれます。
野山やゴミの山でも「宝の山」と見立て、暮らしに必要なものを作り出す。
日頃の景色に少しルールや視点を加えるだけで、ワクワクする日常は簡単に作り出せます。現実がつまらないなら、楽しくなるように「こだわり」を追加するといいのです。
もっとこうあるべきだ!あの人みたいに私も!こんな遊び方しかできない自分が嫌だ!など劣等感や自分を見失うことは遊びとは言えません。 自分を知ってこそ、遊びは成り立つのです。活かされるのです。
ぜひ自分を誇らしく思えるゲーム作り、 あなただけの「遊びの哲学」を考えてみてください。
極めれば極めるほど、遊びに重さが掛かり、無駄なものが振り落とされ、 人生が「最適化」されていくのです。 そして、無駄なものが振り落とされることは同時に、無駄な「辛さ」や「苦しさ」をも削ぎ落とすことになります。
楽しむことで競争から降りられた。 好奇心によって視界が広がった。 面白さを共有することで仲間ができた。 好きなことだから工夫もできたし、自信がついた。 そして「生きる居場所」が見つかった。
「あるならあるで楽しむ。 ないならないで楽しむ。」
僕は「日常」や「世間から見向きもされないこと」からどれだけ楽しさや面白さを見つけられるか?が、自分の「遊びレベルの高さ」だと考えています。