引き算をすると物にオーラが宿る

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動き出すとエネルギーが変わります。  内側に沈んでいくような流れが、外に向かって発散されます。  エネルギーが動けば、自分にはまだできることがたくさんあるとわかったり、怖れが妄想にすぎないということに気づきやすくなったりします。

 


そして、考え込んでいるよりも、あなたにできることは何でもすることです。  できることがあるなら思い切ってやってしまうに限ります。  ちょっとでも動き出せば、その弾みで意外にいろいろなことができてしまいます。

 


「100年以上にわたりマルチステージの人生を生きるためには、健康を維持することがきわめて重要だ。不健康の代償は、経済的な面でもそれ以外の面でも、甚大なものになりかねない」

 


「やりたいこと」は最初に思ったよりも、成果がでるまでにかなり時間がかかるものだし、
「やらなければいけないこと」は、途中までやった時間よりも、
どこかで急激に成長(効率が上がって)して、思ったほど時間がかかりません。

 


成長曲線は、後半にいくほど爆発的に伸びるもので

それはプロジェクトの進行でも、終盤こそ10倍、50倍などの成果が出てきます。

 


そんなクソゲーでも、自分の設定した課題に対して試行錯誤してる間は楽しめるんですよ。

 


そんなクソゲーにこそ、クソゲーだからこそ自分からあえて挑戦してクリアを目指すのは楽しいわけです。

 


「普通はこうだ」みたいに全部他人の目で人生の全てが課題設定されてると、かなり理不尽なクソゲーですよね。それが全部「誰かとの比較」なんですから。

 


クソゲーをクリアするかどうかはどうでもいいんですよね。このクソゲーは何かしら自分で設定してそれにチャレンジしてる間が一番楽しいわけです。結果が失敗か成功か、儲かるか儲からないかはどうでもいいです。そこに誰との比較もありません。そのチャレンジを楽しんだらそれだけで勝ち組です。

ただ、その試行錯誤を楽しめるならもうそれは努力ではなくなります。努力する人より、楽しむ人のほうが体力や精神力をすり減らさず試行錯誤の量が相対的に増え、チャンスがより多くなり、クリアする可能性は高くなるでしょう。

 

 

 

自分で有利な基準やルールを作ってそれにそって生きることだ。他人や世間の基準、常識で比べるのは不毛。

 

 

 

人間は結果の比較ではなくチャレンジし続けてる時間が一番楽しいので、「あいつは3-4クリアしたのに俺はまだできない、、なんてダメな奴なんだ」とか比較してるのヒマなんかないでしょ。例え一生クリアできなくても、最後まで試行錯誤するのが楽しいんですよ。

 


人生死ぬまでの暇つぶしなら、他人の基準で生きるのではなく、自分でルール作って工夫しまくって、楽しみ尽くした人の勝ちですよ。

 

 

配られたカードに文句を言って「あなたのカードと同じになるよう取り替えて!」と文句を言い続けるよりも、物の見方、世界の捉え方を変える方が手っ取り早い。弱者はそもそもゲームのルールを理解するのが先だ。

 


配られたカードに文句を言う時間で、次のカードをドローしよう。さっさとゲームを進める方が賢い。最初にある程度役が揃ってしまった人は手持ちのカードを捨てきれないのも弱点だ。

 


一生ドローし続けても、どんなに才能があっても、ロイヤルストレートフラッシュや、リーチ・ツモ・嶺上開花・ダブ東・赤・ドラ・親の三倍満なんてこない人の方が圧倒的だ。正直運の要素は強い。だからって引かない手はない。世の中にはいろんな価値観、いろんなゲームがある。ゲームは結果ではない、挑戦することそのものが楽しいことなのだ。

 


売上目標を3倍にするときは、3倍楽にしないといけない。3倍苦労するのは間違い。壊れちゃう。


引き算をすると物にオーラが宿る