喜怒哀楽は1つを抑えると、全部が機能しなくなります。悲しさや寂しさを抑えると、楽しさや喜びも感じることができません。

自分が抱えきれない荷物を素直に「もう持てない!」ということはそんなに悪いことでしょうか。

 

(自分の命のあるあいだは食糧はあるはずだ。食糧が得られなくなったときが、自分の命の終わるときだ。そう覚悟すれば、すごく心が平安になった)

 


旅を楽しくするためには、荷物はできるだけ少なくしたほうがいい。重い荷物を持って旅をすれば、それだけで旅は苦痛になります。

 

 

 

人生の旅には「休憩」も大事です。人生の旅を歩きづめに歩いたり、走りづめに走ったりすれば、倒れてしまうにきまっています。やはり途中のどこかで休むことが大事なんです。

 

 

 

旅を楽しくするためには、疲れる前に休んだほうがよさそうです。へとへとになってから休めば、休んでいてもちっとも楽しくありません

 


疲れる前に休めば、休みそのものを楽しめます。愉快に休むことができるのです。

 


──急がず・重荷を持たず・疲れぬために休む──

 

 

 

仏教でいう「精進」は、仏に向かって歩むことです。わたしたち凡夫が、仏を目指してゆったりと楽しく歩む、その歩みが精進です。

 

 

 

実は、私生活における「無駄」には、豊かさを作る側面もあります。考えてみれば、ただ家族とまったり過ごす、などという時間は、生産性だけを見れば「無駄」以外の何物でもありませんが、それが豊かさを感じさせたりするものですね。

 


平凡で無駄にすら見えるような私生活の中にこそ、人間のバランスを保つ要素がある

 


「どれだけ自分らしく過ごせるか」「どれだけ自分の滋養になるか」

 


子どもがよく育つ社会には「無駄」が多いと言われています。様々な「無駄」の中に、人が健康に育つ要素があるというわけです。単に効率だけを求めてしまうと、育つべきものが育たなくなる

 

 

 

心を健やかに保つためには、「無駄」が必要なのだと思います。

 

 

 

自己が満足していないと、家の中が不要なものであふれてくるようになります。  これを解決するには、誰かに満たしてもらうのではなく、自分自身で満たすしかないのです。本当に欲しいものを買うこと、たくさん愛の言葉を自分自身にかけてあげて愛で満たし、自信をつけていくことが必要です。

 


本音で生きると決めたときに、無理なことや嫌なことには「ノー」と言う、そしてできないことや助けてほしいことがあるときには、素直に「助けて」とお願いをすることを実践してみたのです。

 

 

 

世間が言う『普通は○○』だとか『常識は○○』だとかは神話だからね! たとえ周りはこうと言っても、あなたの心の声や自分がこうと思ったものが違うなら、それはあなたの中で正解だからね


ふと感じる自分自身の中の違和感に気付いて「この違和感ってなんだろう? どうしてなんだろう?」と考えることで、人生の選択肢が変わったり、思い込みを手放していくことができたりするのだと思います。

 

喜怒哀楽は1つを抑えると、全部が機能しなくなります。悲しさや寂しさを抑えると、楽しさや喜びも感じることができません。