「汗、いいのに。生きてる感じがする。僕なんか、わざわざ炎天下で草むしりするもん。車のワックス掛けするもん。汗出るよ。だらだら流れる。限界になると塩が欲しくなったり。でも、生きてる実感がする。世界を感じる。僕は絶対、人に任せない」
「お金がなければ楽しいことはできないと勝手に思い込んでる。アンタはお金があるから言うんだと思うかもしれないけど、僕はお金がなくてもそう言うから。だってそうだもん。ゴミ捨てだって楽しいもん。ベランダのプランターの土づくりひとつで楽しめるもん」
「不安になっても、いいことなんてない。誰も近づかないから。だから笑うこと。不安でも堂々とする。そして、隣の人と比べない。いつも自分だけを見つめる。僕はデビューの頃から自分が世界でいちばん幸せだと思ってた。給料が7万円だったときも幸せだった。給料だと思えば安いけど、小遣いだと思えば7万円はすごいじゃん(笑)」
「大きな目標ばかりに目がいってる。幸せや才能の芽は、そのへんにたくさん転がってるのに、みんな見えてないだけなんだよ」
そもそも、別に生きる意味がなくてもいいのかもしれないとも思ったりしました。
意味なんてないのに、呼吸をして、ご飯を食べて、活動してしまう。無意味なのに、そうやって私は生きている……この状態が不思議で、奇妙で、なんだかおもしろいのかもしれない。
まるで他人ごとみたいに、そう思いました。
生きる意味がなくても、絶望していてもべつにいいのではないでしょうか。
でも、そのなかで一瞬でも、心地よい、楽しい瞬間があるといいなと思いました
自分の人生には確かに夢も希望もないけども、それでもなお楽しく感じられる可能性にめがけて身を投げるというものです。
これは、自身の人生には可能性はないとリアルに感じつつも、過度に頑張りすぎず絶望するわけでもなく、いまある生を精一杯いきるというものです。
得意なことを見つけたら、それに集中的にリソースを投下すべしです。
リソースを集中投下しても、常によい結果をもたらすわけではないです。
人生は予定調和にできていないので、うまくいくこともあれば失敗することもあるからです。
大事なことは最終的にプラスになるように、トライ&エラーを繰り返しながらリソースを集中投下することです。
途中で失敗しても、再起して再び集中する。
その結果として、残された選択肢に夢も希望もある状態を作れます。
長く生きていれば、自分の人生には思っていたよりも夢も希望もないと気づくものです。
でもそれは絶望のはじまりではなく、むしろ本当の勝負のはじまりなんです。
「私やあなたの人生には大した可能性はない」と直視しながらも、絶望したり、頑張りすぎたりせず、与えられた生を充実させていきましょう。
過去は忘れて、未来は想像しないようにしよう
その代わり、今ここに集中するために没頭できる作業を見つけて実際にそれに取り組もう