人生の半分は思い込みでできている
どう思い込んでるかで人生は変わる
最低限のことだけやって楽な方楽な方へ向かって生きようと思い始めました。
頑張ってもどうせ死ぬし、偉人になれるわけでもないし。
こんな考えな私はここでは、マイナスだろうけど…
今生きているんだよ。生きたくても生きれなかった人もいるのに。
悲しい、大変、辛い事たくさんあるけど、死んだら終わり。
何も感じなくなる。
それよりは、どーせ生きてるんだから、少しでも楽しい。嬉しい。美しい。って感じる事を見つける。何でもいい。
自分をコントロールできるのは自分だけ。
つまらない人生にするのも自分。
楽しいと思える人生にするのも自分。
人の言うこと。人の評価。人の目。
そんなの、クソくらえ!
自分の人生をセルフプロデュースしよう!
現在の結論は、人生は自分への接待だと思ってます笑
他人には気を使っても嫌われるし、助けても損をするし。
自分が望んでいることをしてあげることが幸せだと気がつきました。
職場でもお家でも、自分を最優先してたくさん大事に接待してあげることで、陳腐な言葉ですが世界が変わりました。
前は、よくこんなこと思ってました
でも行き着いた先は、生きることに意味を求めすぎてたなってことでした
意味を求めすぎると、疲れちゃうんですよ
すごい人はこの世にたくさんいます、天才もたくさんいます。
そういうところはそういう人たちに任せて、自分は自分で日々を過ごしていけばいいんです
人に任せればいいんですよ 苦手なこと やりたくないこと したくないこと
やらなくていいんです 人に任せればいいんです
最低限、やればいいの。
自分のためにお花いいなー
私も人に花束贈ろうって思う時
本当は自分が花束もらいたいって
思ってる
花束というか、祝福されたいって
思ってるのかな
私も自分に薔薇の花とか
買ってあげようかな
結婚はもちろん、もうすぐ30だってのに恋愛経験のひとつも無いから。それはバカにされること、人として欠落していると思ってたから。
昨日、通っている心療内科でカウンセリングをしていた最中に来たんです、パッカーンが。
「結婚って自然にするものと思ってたのに、だけど、どうやらそれには努力が必要らしいと聞いて、絶望したんですよね。」
と、カウンセラーさんに無意識に言っていたんです。声に出す力の偉大さを感じました。そうだった、私は子どもの頃からそう信じていたんです。
「結婚って自然にするもの」
だから「努力が必要」と聞いたときは絶望と共に本音が叫び声を上げた記憶が蘇りました
「ヤダ!やりたくねぇぇぇぇ!」と。
でも、そのホンネに蓋をしたんです、そんなこと言ったらバカにされる甘くないと言われるって。
そして、努力出来ない私は自己嫌悪に陥りました。
周りの人が立派に見えた、出来ない私は問題があると。
その通り、問題は私にありました。
でも、そもそも問題視する部分が違っていました。
ホンネを隠してしまったということです。
昨日になって、そのホンネに気が付いたら、何だか納得をしました。根底にあるものは覆っていなかった。
「結婚は自然にするもの」
いいじゃないか、私が信じてきたものを堂々と信じていこうと決めました。
『思考が先で現実が後』という、ぢんさんの最強の言葉もあります。景色が変わるかもしれない。
その時はいつ来るか分からない、一生来ないかもしれない、それもまた人生だなと。
「頑張らない」ってこういうことなのかな?と何となく分かってきたような…?気がします。
論点からズレているとは思いますが、一連の記事のおかげでホンネが分かりました、感謝です。