体験こそ命

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門をくぐって

 

『世◯仰天~~』より、食中毒による大病を引き起こした内容を見てみて、病気に対する恐怖感と共に感謝の気持ちが湧いて来ましたーーー。 ずっーーーと、不平不満たらたらの日々を送っていたものの、よく考えてみればノロ以外の食中毒にはかからず、今夏感染した皮膚炎も幸い重症化せず(重症化すると失明や命に関わるらしい)、よくぞここまで無事に生きて来たなぁ、、、、、とあらためて目が醒めるような思いがしました。 幸せは、今、決めるものなんですね(*゚∀゚*)ノ

 


最近、布団に入って寝ようかな~とモゾモゾしてる時、ふと今までのことを思い返す時があります。 あ~、もう人生50年近く生きてきて、気がつけば70歳、80歳って、なってるのかな? いや、病気でそれほど長くない人生を終えてるのかな? いや、来年、1ヶ月後、来週、明日の事もわかんないか~と。 そう考えたら、急に今までも、今もなんて幸せに生きてきたんだろうって。 家族がいて、仕事があって、美味しいもの食べれて、あちこち出かけて、、 そういえば10年程前に大病した時、自分死んじゃうの❓と思ったら、それまで考えてきた悩みとか、問題だと思ってた事とか、一瞬でどうでもいいと思ったな~って。 病気治ったら、そんな風に思ったこと忘れてた!笑 美味しいものは先に食べなければダメだ‼️)^o^(

 

 


わたしのお金への印象って『怖い』『不安』だったんです。 なんでだろうって考えたら、見たくなかったんです。入ってきたお金、出て行くお金、残っているお金。全て見ないようにしてました。無いって感じるのが怖くて。 あたかもお金に執着せずまわしてるようにみせかけ、お金の不安から逃げていました。 それに気づいたら、すごくお金に申し訳なくなりました。私を幸せにするためにやって来てくれたのに、見もせず感謝もせずただ使う・・。なんてひどいことしてきたんだろうって。ごめんって思いました。 あれだけお金を雑に扱ってきたのに懲りずに私のとこに来てくれてありがとうとも思いました。そう思ったら愛=お金っていうのがすごくしっくりきて。 今は究極にお金ないですが、与えられたお金(愛)と向き合って、自分と向き合って本当に欲しいものを考えるって事をこれからしていきたいと思います。なんだかお金と仲直りできた気分です(^^)

 

 

ふと気づいたのですが 無駄に動いてみたり 無駄に深呼吸してみたり 無駄に歌ってみたりしても 「空気を無駄遣いした!!」 とは思わない( ˊ̱˂˃ˋ̱ )笑 お金もそれでいいのかー! 空気を生み出すのは植物で、 その植物を植えたり育てたり手入れしたりする人。 じゃあ、 植物のお世話をする人以外は生きる価値ない? みんなが植物のお世話をしないといけない? 踊り子も歌手も画家もオリンピック選手も政治家も、 みんな二酸化炭素を出す(消費する)人。 中には自分で植物を育てる人もいるかもしれないけど ダンスも歌も創作もスポーツも政治も ぜんぶ二酸化炭素を生み出し酸素を消費する行為。 だから お金は、稼げる人に稼いで貰えばいいのか! 稼げる人は、その能力やアイデアを「金の猛者と言われるのが嫌」とかいう理由で封じ込めなくていい!

 


結婚披露宴とか見てて、良さそうって憧れはでるけど、そこに自分が居るイメージするとしんどい、飽きる(?)、違うのがいいなーと感じる。  コスプレ好きだけど、カメラに囲まれてずっと撮影されたらしんどくて嫌だった。  アイドルに憧れても、いつも注目されるのが疲れるって感じなのかすら。  自分が楽しいスタイルってそれぞれだもんなー

 

 


「私も弟も、自分の不運を嘆いたことは一度もありません。嘆くというのは虫のいい考えです。考えが甘いのです。覚悟がないのです。
 この世の苦しみを知ったところから真の人生は始まるのです。」

 

 

 心を入れ替えたい。あなたはこれまで一度も、人生の不幸を経験(体験)されたことがないのです。人生の不幸は病気、貧困、思想的挫折がおもな原因です。あなたがこれから先、もしまっとうな人生を歩まれるとしたら、これらの人生の不幸を乗り越えた時だと思われますが、あなたには人生の不幸を乗り越える力がありません。愚痴死が待っているだけです。
  不幸にして自分が劣だと認めざるをえなくなったとき、それを明るく肯定することが大事です。そこから新しい道が開けてきます。劣には劣の良さがあるのです。負ければよいのです。
  人はある年齢に達すると、自分にもいずれ死が来ることを、はっきり覚悟する必要があります。極端に言えば、そこからはじめて真(まこと)の人生は始まるのです。この死の覚悟のない人は、駄目な人です。
  破綻(はたん)して職業も名誉も家庭も失った時、はじめて人間とは何かということが見えるのです。はじめて人間の生とは何かということが見え、この世の本当の姿が見えるのです。せっかく人間に生まれてきながら、人間とは何かということを知らずに生が終わってしまうのは、実に味気ないことです。そういう人間が世の9割です。世の人はみな私のことを阿呆(あほう)だとあざ笑いました。でも、阿呆ほど気の楽なことはなく、人間とは何か、ということもよく見えるようになりました。阿呆になることが一番よいのです。あなたは小利口な人です。

 

 

最初は個性豊かな回答が強烈で、おもしろいと思いました。でも、どなかと同じ意見で、読み進めていくうちに、同じ回答の繰り返しで、しかも貧乏が美徳で、金を持つ事が悪、とも取れるような考え方には共感できません。本当に貧乏の怖さを知らないのではないでしょうか。貧乏が好きだと言いながら、自分より苦しい人に寄付をするのは、貧乏人にはできないことです。私は寄付をする人より、財を成して雇用を生み出している人の方が素晴らしいと思う。寄付は善の行為だが、その場限りの物。雇用は人に生活力を与えるものだから。それに、早く死にたいと言いながら、健康がなにより大事、と言っているのも矛盾を感じる。相談者に簡単に離婚をすすめたり、破滅的な道を歩む事をすすめるのも、まるで著者の価値観を全ての人に「あなたも貧乏になりなさい」と押し付けているようだ。

 


雑誌の連載の終了で「打ち切り」とされて、

自分は評価されていなかったのかとショックを受け、虚しさ、憤慨、

力不足を感じたが、

「雑誌は生き物という通り、そのサイクルに自分は組み込まれて

いただけなんだ。自分の連載が終わらなければ、新しい人は始められない

わけだから、連載の打ち切りは、雑誌の生命を保つ方法として自然なもの」

と過去の成功体験に振り回されずに、折り合いをつけられるようになったそうだ。

 


生物として存在価値のないモテない年齢のおばさんが、この先、どこで、

どのように自分の生を楽しく愉快に生きていけるかが勝負だと思った。

 


私に必要だったのは、諦めだったー。 出来ないのよ。落ち着きないのよ。稼げないのよ。センスもないのよ。怠け者でめんどくさがりで好き嫌いが激しくて短気でバカでヘタレな、どこにでもいるただのオバさんなのよー。後者でめっちゃなただのオバさんなのよー! んで、それでいいのよー。それで完璧な私なのよー。それでも愛されてるし大丈夫なのよー、だった。なーんだー!認めるだけだった。自分の事許してあげるだけだった。理想がエベレストより高かっただけだった!お疲れさん!!ハードル高かったねー!

 


教育も文化も社会も会社も 固定概念がとれたらいいのにねぇ そしたら少しは生きやすくなるかな

 


『自分はこうしたい!』

単純にただそれだけで、生きていきたい
なぜにこんにも、余計なモノがついてくるのだろう。余計な壁を造って、余計なことまで考えて、身動きとれてない。

『自分はこうしたい!』
それだけでストレートに素直に進みたいなぁ(*´∀`)