5年前に離婚の45歳、子供なし、毒親による迫害から絶縁して天涯孤独の身。
自分が想像している人生とは違ったけれど、今が一番私らしいのかもと思える
ようになった。特別なことを望まず、周囲と比較せず、静かに過ごす時間が増え
自律神経が安定してる。絶望、孤独を経てたどり着いた穏やかな幸せが今ある。
3年前、ずっと貧乏だった私は地域で一番高級と言われたマンションを購入しました。幸せと思ったのは一時だけでその後、虚無感に襲われ辛い日々が続きました。幸せってなんだ!改めて考えさせられています。
幸せに執着しない方が、
幸せに近づけそうですね!
私もいつか幸せになりたいと思っていました。でも、そのいつかとは永遠にくることはないのだと気づきました。幸せの青い鳥は探しても見つからない。今目の前にある一杯のお茶に幸せを感じることが幸せなんだと。
幸せとは一体何なのか、幼少期からお金の事で両親はいつもケンカをしていましたし、結婚してからも お金で苦労して、やっと少し余裕が持てるようになったら、それを維持する為にクタクタになりながら働かなくてはいけない状態で、今度は身体を壊すのでは?とか、毎日疲れから イライラで家庭がギクシャクしてしまうという状態です。決して、お金や物が幸せをくれる訳ではないと感じています。
仏教で言うところの、執着を去ると言うのに通じますね。この世的なものを捨て去ることで、本当の価値や幸福に気づくと言う意味です。
自分から出た欲がその人自身を苦しめると言うのは真理だと思います。
欲の放棄は一見諦めですが、そこから新しい価値としての幸福が始まるのだと思います。
「いつか幸せに」は「今無理をして」ということかもしれないですね。でもいつかなんてものは無くて、今が続いていくだけです。今を満たすように、今を遊ぶようにありたいと私も思います。
>幸せになる事を諦めたからと言って不幸になる訳ではない。
まったくその通りですね。
暗闇の中だからこそ、飾り物ではない本当の光が見える
そんな時代になるのでしょうね!
幸せについて考えたり、感じたり、語ったり出来る…それが幸せ。心臓発作で息ができない時、疼痛にひたすら耐えている時…人は思考を停止します。一息つけてああ助かった…それが幸せ。幸せはここにあって、そして人それぞれ。
幸せは結果ですよね
目指すものではない、ふと自分が幸せだと気づくことができる、それが幸せだと思います
綺麗事とかではなく、息をしていること自体が幸せそのもののはずです
それを忘れてしまうこと、自分は満たされていないと思ってしまうこと
それは私達の、一個人の「幸せ」というものの概念、捉え方が「本来の幸せ」とはかけ離れているから
"自分が考える「幸せ」が幸せそのものであると信じ込んでしまうから"、でしょうね
今が不幸でももう構わない~誰かが決めた基準の幸せはもういい!
「さんざん騙されてきた」私も同感です。「夢を持て」夢が持てないって悪いことなの?『今より幸せにならなくてはならない』『前向きな思考にならないと幸せになれない』そういった考え方に疑問がありました。
幸せになりたい!って強烈に思うほど、今を不幸だと決めつけている気がします。
若い頃、「一生一人でいいや。一人で生きてくもんね!」と突発的に実家を出たら主人と出会いました。不思議なものです。
人生楽しんだもん勝ち、というのも観念の一つですね。
諦めたところから別の次元が始まるような。
生を諦めたら、死を受け容れれば、逆説的に生が活き活きと始まる、と。
捨てたら入ってくる。
執着が無くなるから、かもですね。
私も誰かと結婚してしあわせになれる…
海外に来て、パートナーと暮らすようになっても、その幻想を抱き続けてきました。
でも、わたしにはその縁はないんだよな~
(占い師3人にあんたは一生独りと言われた)
自分の人生を受け入れて、一人でつつましく生きていく。
その選択肢のほうがスッと入ってくるし、合っているということに気づきました。
真理を話されていると思います。私も同じような経験をして、全てに絶望しました。でもそこからとても楽になった気がします。
考えないで生きてきたな、ただ、淡々と、目の前のこと、やってきただけ。簡単に、いきていきたいな。
やりたいこと、やっただけ。やりたくないことは、あまり、やらないで、いきてきた。