死んでも何も持っていけないし、死んだ後の部屋の掃除も大変だから最低限必要な物以外処分して、いつ死んでも大丈夫なくらい部屋をスッキリさせるといいよ。
そうすると心も体もスッと軽くなって、気分がラクになったりするよ。風が気持ちよく感じたりする
嫌なことは忘れたもん勝ち。楽しいことは楽しんだもん勝ち。自分の人生は少しでも充実させたもん勝ち。
人は他人にはなれないし、他人の人生を歩めない。
人生はただの暇つぶし、自分を好きで、楽しくしてればいいのかもしれない。
だとしたら「〇〇が達成できたらやろう」「成功できたらやろう」って思ってることを今やってもいいのかもしれない←今ココ
ちょっと自分勝手になったほうが、視野が広がります。
哲学している暇があったら、いろんな人に触れ合って気分転換した方が良いよ、そこから色々学んだ方が健全だよって思いますけどね。
掃除でちょっとスッキリする程度の充実感が些細な自信を呼び込み、うつむいた心を上向かせる切っ掛けとなる。大きな雪だるまを作るにも最初は手のひらに乗る程度の塊から始まる。小さな気力で動く小さな達成感が上向く心の軸と成って人生を大きく好転させ始める。大した気力など無くても好転は始まる。
楽に生きる方法の一つは、流行りものを一切無視すること。服や音楽に食べ物。流行りとはたくさんの人が好きだというだけであって、別に自分が好きだという物ではないのだから、追うだけで時間の無駄である。ワシはどんなにバカにされても、自分の好きな服しか着ないし、好きな音楽しか聞かない
いま、与えられた場所
いま、与えられた環境が
あなたのゲームの始まりだった。
そのなかで
自分のしたいことを
やっていく。
私結婚もしてないし、今は彼氏もいないし、体がさほど丈夫でもないから1日三時間だけのパート。
だからお金もないよー。
でも幸せ。
強制終了してから自分を責め続けて長~い間地獄にいたけど、やっと心から幸せを感じられるようになった。
生きててくれるだけで自分に感謝。
ありがたい。
いくら自分で自分のこと嫌って責めても、私の体はずっと私のこと守ってくれていた。
それに気付いてからは、自分にも周りにも感謝しかない。
嫌いな奴は相変わらず嫌いだけど(笑)
私はもうすでに一生分、自分を責めたから、たぶん飽きたのかな。
自分を責めて不幸にするのは、飽きた。
だから、やめた。
自分のこと幸せにしたいから、受け取るようにした。
人からの愛も親切も素直に受け取ると、こんなに気持ち良いとは……
今まで知らずに損しちまった。
そして気付いちゃった。
私の地獄はただの幻だった。
アホか、私(笑)。
でも、過去の自分を責める気にはならない。
だってあまりにもイジらしいし、頑張ってたし、勘違いっぷりもかわいいもん(笑)。
長年の思考や価値観を大転換させるのに、私はすごく時間がかかった。
私にはそのくらいの時間が必要だったんだ。
そのくらい、偏ってたんだと思う。
…というわけで、私の人生これからじゃい!(笑)
好きなこと、は環境ではないんだと。
好きなこと、はやってて充実すること。
もしも仕事に行き詰まったら、いっそ遊びに頭脳のほとんどを使って、その余力で仕事をするくらいに考えたほうが、じつは、ちょうどいいのではないでしょうか。
今は無になることもできるようになりました。
自分が、考えすぎたら壊れる性格なのがわかってるので、ひたすら適当でいることを心掛けています。
考えるのに疲れたら、直感というか本能にまかせて過ごすのが良いのかなと、最近思うようになりました。
リスクやらメリットやら理屈で考えるより、自分自身の感覚に任せたほうが、結局心身快適な方へ導いてくれそう。