いつかは死ぬ!その通りです。楽しんだ方が勝ちです。 元気に動ける間に時間とお金を使おう

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このゲームは不親切な側面がありますが、疑問点を一つずつ丁寧に解決していくと、しっかり攻略に進めます。ただ、本シリーズの仕様上のクセ(NPCに話かけてクエストをちゃんと読み込む)に気づくまではしんどかったです。ドグマ信者はこの不親切を含め、その先にある何かに快楽を覚え、覚者になっているのかなと朧気ながらに感じました。何とか最後までプレーしてみます。

 


「試したくなる」で自然にスタートを切れます。

「試してみたい」と思うものだったらなんでもいいわけです。

新しい技法を覚えたとか、

自分にとっての新しい武器が思想や哲学でもいい。

 


人は遊ぶために生まれてきているのだから、いくつになっても遊びたい。

ただ、平日に仕事に追われて、週末は疲労回復に努めている、都市部で忙しく働いている人の中には定年退職して仕事がなくなった時に呆然とする人がいる。

だから、趣味は退職してから探すのではもう遅いのだ。

趣味を問われて「特にありません」という人は常に上級者がいることに怯えているからだ。

そうではなく、今ハマっているものはコロコロ変わっても良い。

遊びは究めてはならないのだ。

 


笑ったのは、著者の『ファイナルファンタジー』へのハマりっぷりだ。

その時にはすでにマイクロソフトはやめていたというが、投資コンサルティング会社の社長で、出社もせずにゲームにハマっていたという。

社長であるにもかかわらず、社員からいくら呼ばれても会社に行かなかったという。

飽きるまでやって、飽きたので会社に行くようになったのだとか。

ここまで遊びに没頭するというのは羨ましいというかなんというか。

著者のこういう自由な生き方が好きだ。

 


この本では一貫して「遊びはテキトーでいい」「遊びなんだから途中でやめても誰にも迷惑をかけない」と主張されている.

それに救われる.

そしてそのように「別にいつやめたっていいや」「つまんなかったら別の遊びしよう」という心構えを持つと,心から力みが取れ,楽しむことができるようになる.

これは主人は趣味・娯楽ではなく自分であるということを思い出すことにも起因していると思う.

 


徹底的に気楽になること.

途中で投げ出してもいいんだ,とゆったり身構えること.

これは何も遊びに限ったことではなく,人生の多くの場面で適用できる思考法だと思う.

 


「自分にはこれしかない」と背水の陣で物事に臨むのはかっこいいし,それで結果が出る人はそうすればいい.

 


しかしそういう心構えで挑むと義務感からパフォーマンスがガタ落ちしてしまう人は多いと思う.

パフォーマンスが落ちるだけならまだしも,日常のあらゆる面において義務感が顔を出し,精神的に,結果的には肉体的にも息苦しくなってしまう人.

自分はそのタイプだ.

そういう人は著者の言う通り,テキトーに気楽に物事に臨めば,自ずと良い結果がもたらされると思う.

 


「いつやめてもいい」これを合言葉にして生きていきたい.

 


までクソ真面目であり、真面目はクソなんだということをこの本から教わりました。

具体的に真面目というのは、

・何をやるにしてもやりすぎる(結果、なぜか全く楽しくなくなる)

・趣味をやれば世界を目指してしまう。(結果、趣味が仕事みたいになってしまい、苦しみが伴う)

・規範や決まりごとを守りすぎる

そう、僕は悪い意味で”大人”になってしまっていたのです。それを、「もっとテキトーでいいんだよ(笑)」この本がブチ壊してくれました。

本の内容を実践しているうちに「成功」とか「人生論」とか、幸せになるためには何か難しいことなんだと思っていましたが、「なんだ、子供のままでいるだけでいいんか(笑)」と、めっちゃシンプルなんだなと。

今では、「成功するため」を理由に全くしていなかったゲームをはじめ(PS3買いました)、歌舞伎にも興味を持ち、小説を読み、そういった”無駄に思えるけど楽しいこと”をしているうちに、感覚的にですが子供の頃のワクワク感のようなものが蘇ってきていて、人生の素晴らしさというものを味わっています。

 


そうすると不思議なもので、いろいろと仕事でもいいアイデアが浮かんできたり、人間関係は良くなったりと、まさに人生が変わりました。

 


肝心なのは、遊びの本質。日本人はまじめでオタクになりやすいので、趣味にしても遊びにしても、すぐにムキになって頑張ってしまう。頑張れば優劣をつけたがる。それが嫌なら、「私などまだまだ初心者ですので~」とへりくだる。遊びはゆるゆると少しずつ上達するのが良いと、この本は説く。成長の余地があるから、遊び。なかなか簡単に言えることはないと感心。

 


著者は、一つの遊びを極めるのではなく、本を同時並行的に乱読するように、広く浅く手を出す遊びを提唱している。一つと決めると、周囲の人間との競い合いに発展し、リラックスできる遊びが、徒労感を生み出す行いへと変貌してしまう。自分が興味のある遊びに首を突っ込み、遊びは無駄なものと割り切りながら、我を忘れて打ち込める遊びに時間を割くことが、人生を楽しむために寛容なのである。

 


「遊んでいる人は魅力的だ。」これはどうやっても否定出来ない。

遊んでる人に対する印象は、遊ぶ余裕があるというだけでうらやましいとか、遊びの話が面白くてもっと聴きたいとか、何かやらせたら面白くしてくれるんじゃないかとか、友達になりたいなど、良いことづくめ。

ならばどう遊ぶか。それを教えてくれる本でした。

遊びはまじめに続けるような物ではなく、「やめてもいい」「飽きるまでやる」。

すでに遊びとして定義されているものを始めなくてもいいし、自分で名前をつけてしまえば、オリジナルの遊びになるという考え方はとても楽しい。

百名山を上らずに見るだけ」それも遊びなのだそうだ。

 


やりたいからする、遊びは人生を豊かにする、

義務感に追われてやるようなものは、遊びでなくなってしまう、

気楽に、楽しめる遊びをいろいろ見つけて、

今人生を楽しまないと、もったいないよー。

 


「何か自分が生き生きしたいな」と漠然と思うことはあっても、「よし、遊ぼう」とはなかなか思えない。

ところが筆者は、オリジナルの遊びの開拓者となるべき、これは、イノベーションにもつながると、爽やかに伝えてくる。趣味と趣味の意外な結びつけを見つけても良い、百名山を登らずに撮るでも、旅行に行ったら必ず市役所の写真を自撮りで撮るでも、面白いという。「こんなの、遊びなのか?」と思えるのだが、遊びに名前を付けると、立派な遊びになるのだそうだ。「積層系」(時間のかかる、盆栽や歌舞伎鑑賞)は、早めに始めたら良いと、背中を押してくれる。

本書を読むと、「遊び」を難しく考えずに、自分の思い通りのこと(さらにそれに微妙な味を加えて)をすれば良いだけであると、背中を押された。クリエイティブな積層系を始めてみるのも、面白いなという気持ちでいる。

 


『「できないこと」を無理に「しよう」とする必要はないのです。「できないのが当たり前だ」という感覚をぜひ忘れないでほしいです。』

そしてなるべく若いうちからしたいことを見つけること。

 


年齢を重ねるほどに、人生は「ありとあらゆることが実験だ」と思うべき

●60代以降が日々を楽しく暮らす上で最優先すべきは「やってみたかったことをやること」

●何よりも大切なのは「体も脳も使い続けること」

●「他人と比べる価値観」をいち早く捨て、とらわれなくなった人こそが、本当の勝ち組

 


日本人は元々心配性でストレスが溜まりやすく死因も癌が多い。

日本の医学会は西洋人の生活習慣病重視の考え方が持ち込まれ日本人に合わない。

心配性の日本人こそバランス的には『やりたい放題』と考える位がちょうど良い。

 


特に注目したのががんへの考え方。

がんになったら治療をせずに思う存分に生きようと書かれていて、確かにそうだと思えました。ちょうど兄ががんと闘病の末亡くなったばかりで、痛く染み入りました。

 


いつかは死ぬ!その通りです。楽しんだ方が勝ちです。


元気に動ける間に時間とお金を使おう


じっとしていることで何かに出会う人もいる