人間、死亡率100%
どう生きても全員死ぬ。人の目なんて気にすんな。努力なんてしなくていい。なにも頑張らなくていい。
でも自分を大切に。今日まで生きてきた自分に、声を出して毎日ありがとうと言ってます。
すみません、ひとりごとです。
事故で片脚を失った人が言っていました。 「そりゃあね、最初は残念でならなかった。何でこんなへまをやったのか、と、自分を責めてばかりいました。しかし、突然、気がついたのです。自分は、こんな姿できょう誕生したのだ、と。そして、この自分をしっかりと生きようと思いました」
生きづらさとは、一言で説明できます。 経済的な逃げ道の選択肢を持っていない状態。 これが生きづらさの正体です。
働き方を変えていくよりも先に、まずは疲れにくい暮らしを整えていく必要があります。
時間の余裕がない大きな原因は、「お金を使いすぎていること」です。
「体」が刺激に触れ、その刺激を「脳」が不快だと感じ、「心」が実体のない苦しみを生み出すことで、頭の中が余計なことで溢れ、最後には肉体的な不調にもつながる
強い刺激は必要ありません。 むしろ、刺激の少ない地味な暮らしだからこそ、より疲れにくく、より豊かに暮らせるようになるわけです。
自分にとって辿り着きたい理想の人生が見えていない段階では、蓄えたお金をどうやって活用すればいいのかも見えてきません。 資産運用や自己投資すること自体が正解ではないです。 あくまで自分にとっての理想を実現するための手段として、資産運用や自己投資があります。
自分のために無駄なことをして心地いい状況を作り、心地よさに注意が向いている瞬間を暮らし全体に広げ、心地よさを得るために生まれた副産物は身近な人にお裾分けする。
・五感を駆使して食事し、 ・日常的にとにかく歩き、 ・手を動かして何かを創作し、 ・スマホには触らず本を読み、 ・寝る前には紙を手書きし、 ・家事はアナログ化し、 ・毎日同じ時間に寝る
もし、あなたがビジネスをしているのであれば、
価格でしか判断しないような人をお客さんにしてるとほぼうまくいかないぞw
「安いものが選ばれる」というルールで生きてる人とビジネスをするのはガチでしんどいし、ぶっちゃけ死ぬほど儲からないからなww
そんな人は大手に任せて、
あなたは「あなたのことをちゃんと評価してくれる人」とビジネスをしようね(ᵔᴥᵔ)
あのね〜
ホントはねー
もっと、楽したくて
ボーッとしたくて
気を張らないで
生きていいのよ。
で、困ったことに
その方が愛されるの、よ。
生き方においては、自己満足を目指したヤツが最強だ。
もがき倒して、がんばり倒して幾久しく…。なーんにもなりませんでした。 それにも疲れ果てて、今は、もう他力、他力の毎日です。 お願いしまーすって、無理でーすって、言いまくって、いかに楽に生きるかです。 ほっとけ~ オッケOKー ♪
もう、何を置いても
自分が気分良くいることを最優先にした。
豊かになる前から
豊かなひととして、いき、よう!
とにかく人は色んなこと言いますが、責任は正味取ってくれません!当たり前ですが、厳しいこと言う人も、優しいこと言う人も、親も!っな感じです。
そのままの私とゆーのか長年分からなかった。 私が思っていたのはこんなもんじゃないスゴイ私、が本物の私でそのままの私で、今は表に出てきてないだけなんだみたいな。心屋やってれば幸せになれて素晴らしい私になれて、そしてキラキラした私になれるのーみたいな。イタすぎる。 けど、そのままの私って私がダメだと思ってた私だったー。 無視して隠して押さえつけて、そのうちいない事になっていたダメダメな私。 そんなダメな人をバカにさえしていたのに。残念すぎる(゚ω゚)
実際のところ、日常は未知の豊かさで溢れています。 未知はありふれた日常の中に転がっています。
実際のところ、手と足の両方を動かすことが当たり前になると、疲れにくくなることを実感するはずです。 なにより、手を動かして自分で何かを生み出すことには充実感があります。 深い喜びを味わえます。 もしかしたら私たちは、創ることの喜びを知るために二足で歩くように進化したのかもしれません。
より豊かに暮らすためにも、創る習慣を身につけることには大きな意味があります。
娯楽の消費による快楽は苦しみも一緒に連れてくるからです。
何かを創ることはお金を稼ぐことが目的ではありません。 疲れにくい暮らしを整えるためのものです。
創作活動とお金を稼ぐことは切り離し、自分が純粋に興味のあるものを創ってみることです。 最終的にその道のプロになれなくても、創作活動は一生退屈せずに暮らすための最高の娯楽になります。
日常生活の中で目の前のことに没頭している瞬間を増やし、心地よく毎日を過ごせるようになるための創作活動です。
「創作という無駄なことをするために、創作をラクに始められる環境を作る」
技術の習得や完成度の高いものを創ることが、一番の目的ではありません。 目的はあくまで、手を動かすという心地よい瞬間に没頭することです。
下手でもいいからとにかくまずは完成品の数を増やすこと。
質の追求はあくまでおまけであり、創ること自体を楽しめることが大切です。
そもそも創作は無駄なことです。 無駄に両足を動かして歩くのと同じように、無駄に両手を動かして何かを創る。 それだけの話です。
クオリティが低いうちは、恥ずかしくて人に見せられないかもしれません。ですが、楽しく創ることを続けていると、それなりの質のものを創れるようになっていくものです。
どこまでいっても自分が創りたいと思うものを創ることが大切です。身近にプレゼントする相手がいない場合は、メルカリなどのフリマアプリでまとめて売ってもいいです。お金を稼ぐというよりも、自分の創ったものを買ってくれる人がいる。それ自体が楽しいことであり、心地いい刺激のひとつになります。そういった快の刺激で日常を満たし、心地よさに没頭している瞬間を増やし、心地よさに気づくための注意を暮らし全体に広げていく。