自分を変えるとは、ごちゃごちゃと手を下して改造することではなく、逆にごちゃごちゃを取っ払って、本当の自分、変えようがない、もともとの自分を見出すということです。

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自分を変えるとは、ごちゃごちゃと手を下して改造することではなく、逆にごちゃごちゃを取っ払って、本当の自分、変えようがない、もともとの自分を見出すということです。
 
本来の自分自身に居れる心地よさ、ラクさ、落ち着き、くつろぎ、安心感。
そこに居るだけで、もう他に求めるものなどありません。
欲しいものなんて、何もありません。
 

とにかく人生がシンプルになります。
努力はありません。
努力する理由がないからです。
だってそのままでいいから。
何も変える必要がないから。
 

人生は全然スゴくなくていいのです。
人に自慢するために生きているわけではないのです。
あなたが納得すること。
これ以上はないのです。

 

 

 

歳を経て、私は逆に、世の中は金じゃないと思うようになった。 
自分が健康で、真面目であれば、自分の食い扶持くらいは日本では稼げる。 貧しくても。
それよりは、周りにいる人(夫や子供や実家、義実家、友人関係)の人間性の方がずっと自分ではどうしようもないことであって、また影響も大きい。
周りにいる人の人柄は本当に大切。 そのためにも自分の人柄も常に磨こうと思っている。 
類は友呼ぶというのも本当だと思うから。

 

 

 

 


うまく行かなすぎてなんとでもなれと思った瞬間、転職、出会い、結婚、出産といい意味で忙しくなった。悩んでたのがアホらしくなった。むしろ考え込んでいて進む事柄でもなかった気がする。

 

 

 

報が溢れるこの時代にたくさんの情報を求めて、歯を食いしばり肩に力を入れて生きてきました。

人生を楽しむならそんなに力まなくていいこと、花を飾って自分を整えればエネルギーはスムーズに流れること、楽に生きるヒント全てが詰まっているように思います。

 

 

 

もしかしてこれ、敵を倒しながらゴールを目指すゲームじゃなくて歩く過程を楽しむゲームだったのか?

 

 

 

 


どうでも良くなって

楽しく生きればいいや

死にたいくらいなら、金なくなってホームレスになってもいいから 、好きに楽しく生きよう 。

 

 

 

途中、どっちの道を選んでも、焦っても、ウロウロしても、
冷や汗かいても、慌てなくても、心配しなくても、ジタバタしなくても、、
 
どれを選んでも
心配しても、心配しなくても
怖がっても、怖がらなくても
 
結果は同じだから
 
 
怖がっても、心配してもいいし
気にせず楽しく暮らしてもいい
 
Aを選んでもBを選んでも「大差ない」です。

 

 

 

 


目の前に起こっている現象(問題、出来事)を通して、
自分のどんなテーマに気づき、
刈り取ることができたのか、もしくは
気づき、学べたのか
の方が
問題解決以上に大事だったとわかってきた。
 
そこに気づくと、嵐が過ぎ去った時
悩む前の0の状態ではなく
もっと高い場所にいることに気づくようになった

 

 

 

 


物事を明るく捉えるっていいですね! 明るく捉えても暗く捉えても結局そこにあるものは変わらないのに違って見える。それに+なんかしらんけど~でほっとく(笑) でも、結果良くなる。あれこれ人間の頭で考えること以上の事が起こるから、もう悩んで考えることすら私にはおこがましいとすら思う。神の味噌汁。 自分の問題なのに、ほっといてなんか変わるんか? と思ってたけど、考えて解決することは私の仕事じゃなかった!神様のお仕事に口出ししてた(笑)

 

 


勝手にこうやって生きるべき!って決めてる…って衝撃です。 幸せな人生を生きるべき! 楽しい人生を生きるべき! って決めてるかもしれないです。 不幸で楽しくない人生もありじゃん?って思えたらなんか笑えました(笑) どんな人生もあっていいんだぁ~って通勤中に泣きそうになりました。 なんで幸せで楽しい人生がいいって思うんだろ?って考えたら、なんか楽しそうです。