「自分なりの境地を求める」というのは、「紙を一日に一枚重ねる」というような、一見するとなんでもないような、地味なことを続けることにほかならないのです。地味でぱっとしないかもしれませんが、平凡なものでも積み重なると、途方もなく大きなものになっていくのです。

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あなたの全責任を肩から降ろして、すべて宇宙意思に委ねるのです。
あなたは、すべての力みを抜いて、人生のすべてを宇宙意思に委ねれば、人生はスムーズに流れます。

 


シンプルな生き方から私たちを遠ざけ、人生を複雑にしている要因をただ1つあげるならば、それは
「抱えすぎ」
という事です。

 


悩まずに本当に好きな事する = 楽しい

 


今、変人になろう。歳を取るのを待ってから紫色の服を着なくてもよい。

 


便秘の改善には無理をする生き方を改め、ストレスから逃れる努力をしながら、薬に頼らず、腸が動く食事を心がけましょう。その筆頭がキノコ、海藻、野菜などの食物繊維です。

 


不調に気づいたから「即! 薬」ではなく、働き過ぎていないか、悩み過ぎていないか、食べ過ぎ飲み過ぎはないか、睡眠不足や運動不足になっていないかなどをチェックしてみます。

 


人生を変えるために必要なのは、 「ずっとラクな気分でいる」という決断だけです。 決断には「時間」や「行動」は必要ありません。 長々と思い悩む必要もありません。 ただ「ラクでいよう」と決断するだけで、 あなたの人生は瞬間的に変わっていくのです。

 

 

 

願望とは、所詮「気分を上げるための道具」に過ぎません。 その道具のために必死になることほど、非生産的なことはないのです。

 

 

 

より早く、確実に願望を叶えるためには せかせか生きるのをやめる、ということが大切です。 実際に成功をおさめ、豊かに暮らしている人は 余裕に満ちているものです。


ただ自分が楽しいと思うことを楽しみたい 興味があるものは経験したり、感触を確かめたい。それだけでいいのです。

 

 

 

「恐れからお金を増やそうとする」

「焦りからお金を増やそうとする」

これらをしないでください。

その在り方で投資やビジネスに向き合えば向き合うほど、

「お金は減っていく」

ことになるでしょう。

・お金を使わないで幸せを感じられる体質

・お金を使わないで楽しみを探せる人生術

・節約

・貯金

こういう地味なこと、

大切にされてくださいね。

 


そこで僕が思ったのが、「損するつもりで生きる」というものでした。

なぜなら、多くの人が「得したい」「損したくない」という気持ちで生きているからです。だからこそ、その逆の姿勢で生きるだけで、多くの人と違う視点を持ったり、違う行動ができるようになるのです。

 

 

 

いまの時代、非生産的に生きたほうがいいのです。

「お前、何やってんの?」って思われるくらい「ユニーク」な存在を目指すのです。

 自分の頭で考え、自分の興味のあることに没頭し、楽しみながらユニークな体験をし、様々な経験と能力を身につけた人こそが社会に必要とされる人材だったのです。

 


今もパートナーを得るという夢は叶ってないけど、もう頑張らなくていいし、夢を途中で諦めてもよいと「今」の私が1番安心する「がんばらない」選択をして過ごしています。

安らかに、心豊かに居心地よく…そんなことが何よりも大事だったと「今」は思えます。
身体も喜んでいるのがわかります。

 


適当に手を抜いた、やっつけ仕事で人に認められても、ほとんど「生きる意味」を実感することができません。  逆に、わたしを認め、ほめてくれる人がただ一人だけだったとしても、その仕事に熱心にこだわり、思いを込め、やり抜いたという思いがあるなら、「生きる意味」「つながり感」をそこから得ることができ、そのことで「自分は何者か」の定義を確認することができるのです。

 


 「人生の意味」は、あくまで「主観的」なものであり、「客観的に状況がどうであるか。つながる対象は社会的に高評価を得ているものか」ということは、必ずしも重要ではないのです。

 


「自分自身がその事柄にどのように取り組んだのか」ということが、「つながり感」を得ることができるかどうかを決めるのです。

 


自分が働きかけ、つながる対象がどんなものであれ、それに対して真摯に、心を込め、エネルギーを注いで取り組んだ、という主観的な確信が「つながり感」となり、「自分の定義」を確認し、「人生の意味」を実感させるものとなるのです。

 


これまでの歩みもまた自分の大切な一部であると受容して、更にこれまでの道を極め、深化させていく

 


「私なりの道」「私なりの真理」「私なりの世界観」「私なりの独自性」といった、他者と異なっている自分自身のオリジナルで主体的な選択や思考といったものを信じて個性化の歩みを深め、極めていく、というところに中年期の歩みがあるのではないでしょうか。

 


小さな「できること」を重ねているときは、それほど「思い煩う」ことがありません。無心になって取り組めることが多いのです。

 


年齢を重ねるということは、「人との違い」が大きくなることであり、それは人と比較することができない「唯一の自分」へと成長していくことにほかなりません。

 


 個性化の道を進むということは、人と自分が「違う」ことが善いことである、という考えを抱くことです。自分自身の境地を求め、自分自身の理論や世界観を突き詰めていくなら、人との違いが大きいほど、個性化しているからです。

 


「自分なりの境地を求める」というのは、「紙を一日に一枚重ねる」というような、一見するとなんでもないような、地味なことを続けることにほかならないのです。地味でぱっとしないかもしれませんが、平凡なものでも積み重なると、途方もなく大きなものになっていくのです。

 


だれにも評価されないとしても、「それが自分の道だ」とわきまえて、続けていくのです。それがやがて、「自分なりの境地」という花へとつながっていくのです。   「ほかの人にできないことで、自分にはこれができる」という、自分の得意技や得意分野を、まっすぐに掘り下げていくことで、オンリーワンな、自分独自の歩みが可能になってくるのです。

 


今目の前に与えられている課題は、神からあなたに託された使命であると考えてみませんか。今、自分が手を伸ばせばすることができる仕事を、今日のうちになし続けること、それも力を尽くしてすることが、「自分の死」を受容することにおおいにつながっているのです。「今日」の延長にある「自分の死」だからです。その「今日」に真摯に取り組むことがないなら、死を受け入れることも不可能です。