「これまで誰にも頼ることができず、たった一人で頑張って生きてきた」 こうした生き方が限界にきている、ということでもあるはずなんです。

人とくらべない。

みんな違う。

後半の人生の方がいい人もいる。

あと半分人生あるからね


今がスタートだと思ったらいい。

 

 

 

そして、歩きながら又は走りながら、自分にとって生きる喜びってなんだけろうと考えて、何もないなと思ったらさらに早く走ったりしてみてください。汗が出てきて息がハアハアしてきても一時間程は最低体を動かしてみてください。

 


体を動かす苦痛がなんと喜びに転換します。そしたら、心身一体だと実感できます。騙されるものかと半信半疑でも実行してください。それが人生です。

 

 

 

 


死にたいんじゃなくて逃げたい

本当に死にたい人って多分少ないよね

生活が立ち行かなくなったり、人間関係がうまくいかなかったり、色々なマイナス要素が「生きる喜び」を超えた時点でみんな死にたくなるだけ

状況を変えたくて、逃げたくて、1番簡単な死を選ぶ

だって高いところから飛ぶだけで死ねるなんてすごいよ、努力ほぼゼロだもん

生きて欲しい

死ぬのは簡単だから出来るだけ先延ばしにすればいい

そして死ぬ以外の方法でなんとか苦しみから逃げてほしい

 

 

 

真面目で穏やかに愛想よくニコニコして誰にでも平等に接して自分の行動が誰かの迷惑になってないか考えて行動してどんな人の意見にも真剣に向き合って悲しんでたら慰めて怒ってたら宥めて

いいことなんてなーんもなかったわ☺️

 

 

 

 


「これまで誰にも頼ることができず、たった一人で頑張って生きてきた」

こうした生き方が限界にきている、ということでもあるはずなんです。

 

 

 

人生は、心の知識を1つでも多く得ることで、自分の力で生きやすくしていけるものだ

 

 

 

努力なんてのは、生まれつき親や環境に恵まれて、誰かが常に慰めて癒してくれるような人生を送ってこられた幸運な人間が遊びでやることだと思ってる。
自ら好んで努力する道を選んで、それで死ぬやつなんていないよな。部活だって辛い辛い言ってるが、辛いなら辞めればいい話。そんなものは本当の努力でもなんでもない。遊びだ。
本当の努力っていうのは、生まれつき辛い人生を強制され、辛いと思っているのに親から貶され、学校でいじめられ、社会にも居場所はなく、それでも日々生きている人達の風前の灯のような歩みの事を言うと思う。
その様な人達が、生きづらいのは当たり前で、本来人生というものは生きづらいものだと思うのだが、恵まれている人は幸運にも常に誰かが癒してくれただけの事なのだ。
生きづらい人生を送る人にとっては、人生というものは、給水も受けられずにマラソンを走らされているようなものだ。割に合わない勝負をさせられる。

 

 

 

理想の自分がどうこうという話ではなくて他者の評価を気にしすぎる事が問題なのでは?

 

 

 

3つ目は、年がいくつであろうと、
今どんな状況に置かれていようと、
誰にでも必ずある、得意分野を見つけるチャンス。

私は会社に勤めながら、さまざまな人を見てきた。
それぞれに好みがあって気質もちがうが、
誰にでもうまくやれることが存在する。

仕事を辞めてそれを探せと言っているわけじゃない。
もちろん、自分が望むならそうしてもいいけれど、
大切なのは好きなことを見つけるのをあきらめない姿勢だ。

誰の人生にも、好きなことを探すチャンスがある。
そのチャンスを捨ててはならない。
好きなことはたいてい、
時間が経つにつれて得意なことになっていく。

 

 

 

生きていれば、どんな慰めの言葉も耳に入らず、
二度と立ち上がれそうにない困難が訪れることもある。
積み上げた砂の城を波がさらっていくように、
一瞬にして心が崩れることもある。

そのときにできるのは、
自分をもっと愛することだ。
あなたには、自分を愛するチャンスがあるということを
忘れないでほしい。

自分をもっと理解して
自分にもっと寛大になり
生きる速度が速すぎるときは立ち止まって
自分のためになることとは何なのか、
真剣に考えてみるといい。

 

 

 

 


どうせいつか死ぬんだから、限られた条件のなかで少しでも楽しく生きたいわ

 

 

 

 

 

 

私は「全てを手放した」「ゼロからのスタートだ」と思っていても、ちゃんと過去の経験は活きてくるんですよね。何も無駄にならない。自分の意志さえあれば、生き直すことは何度でもできる。人生まだまだなんとでもなる、そう思います。

 

 

 

メメントモリ」。死ぬことを忘れるな、いつ死んでもいいような後悔しない人生を。4年生になった今年は、「これは私の人生だから好きなように生きる」。

 

 

 

いくつになっても、学ぶ意志さえあればスタートは切れると思っています。

 

 

 

本当に数えきれないほどの失敗をしてきました。でも、その失敗は、今もわたしの支えになってくれています。ただし、その失敗もちゃんと自分の「もちもの」として受け入れられていれば、の話です。だから「失敗や間違いをなかったことにするのはやめよう」と思いました。自分の人生を生きられるのは自分自身しかいないのだから、何が起きても笑ってしまえばいい。そして、誰かが自分と同じ失敗をしたときには手を差し伸べて「わたしもそこから立ち上がれたから大丈夫だよ」と伝えることができれば、わたしの失敗も、過去のわたしも、おそらく成仏できるだろう。そんなふうに思うようになりました。

きっとこの先、わたしやあなたが生きていく道には、無数の「選ばなかった道」が現れると思います。そして自分が選んだ道が間違いだった、と思う瞬間が来ることもあるかもしれません。でも「してしまった失敗」も一緒に引き連れて、またまっすぐに歩いていれば、きっと明るくてすてきなどこかにたどり着けるはず。だからきっと、何があっても大丈夫。そんなふうに思うのです。