「いったん死んだ自分だから、残りの人生は〝おまけ〟。第2章は主人公じゃなく、サブキャラの村人として生きるか~」と考えてテキトーに生き始めると、「あれ? 第2章、意外と楽しくね? 村人、悪くなくね?」と思えるようになりました。
「願望なんて、放っておいて、今起きてくることを楽しもうよ」っていう、この一言に尽きるのです。
私たちにできることは、目的達成のために、性格を変えることではなく、なにがなんでも、実現しようとするガムシャラな努力をすることでもなく、ただ、今の状況がどんな伏線となっていくのか、他人事みたいに、楽しんでいくことだけかもしれませんね。
たいてい、戦ってしまうのは、思い通りにならないとき。でも、思い通りにならないときに、戦っても、あまりうまくいきません。運良く、うまくいっても、自分が疲弊してしまっては、その戦いは負けです。
前の自分に戻るのではなく、新しい自分を作り上げていく。
自然体で生きるコツは、「自分を操作しない」こと。
非モテは人生をネタ作りと思おう。
やってみる・みないを判断する時、「ネタになるか」を判断基準にすると良い。そこにコスパや自己研鑽の概念・合理的な思考はいらない。失敗すらもネタになる。
これをとにかく続けること。
合理的に考えたら到底受け入れられないことをし続ける
人間万事塞翁が馬。これに尽きる。
失敗したと言った人はその後、これで良かったんだとどこかで言ってると思うわ。
そういう歩みや経験をするために人は一生を生きているのかもしれないと思うおっさんであったw
失敗しても良い、損しても良いと思うことで
人生が好転します。
損したくないという思いに縛られている人は、本当にやりたい事が出来なくなります。そのために、やりたくない事をイヤイヤやる人生になってしまいます
成し遂げたとか、むしろいらんかったという
全く逆なんだよな、その時その時を楽しんで
ればよかったと。成し遂げるとかに縛られて
自分がわかってなかったのが1番の後悔ですわ
むしろ、なんもいらんかった。
誰かに作られた
幸せの形に自分を合わせると
高くてコスパ悪い
自分自身のワクワクに
忠実に暮らしてると安い
強いていうならば、あなたの手元にある資産を見返してみましょう。引きこもりという要素がなくなったら、自分を説明するコンテンツはなんなのか。 なんでも良いです。 何をすることが好きだったのか。
コツコツと小さいことでも成し遂げて、やるじゃん私っていう達成感や自己満足を日々感じられることが幸せかなと思ってます。
逆転ってのじゃないけど、最終的勝利かなと。
自分自身について考えないでください。あなたが創造しなければならない作品、まだ生まれていない作品に目を向けてください。あなたがどんな人かは、あなたがその作品を作ることではじめてわかることなのです」
人生の道はもともと決まっていますから、嫌なことが起こっても「あーそうなんだー」て感じで深く考えすぎなくても良いんですよ。
どうせ、一時のことで次の人生がはじまるし、悩もうが楽しく生きようがあなたの人生の道は変わることないのだから…だったら楽しく生きればいいんですよ。
人生は大した意味はありません。しっかり楽しく演じきってください!