ゴキブリのように強靱な活動力と、まずこのたるんだ心身を改造すること。そっちのほうが先で、私は本末転倒していたのです。ゴキブリ精神の育成が先で、結果として、就職やフリーとしての成功があるのです。こうして私のマインドセットが変わりました。

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あなたも、存在してくれているだけでいいのです。  すべては生きていればこそ。自分の命を大事にしていただきたいと強く願っています。

 

 

 

この世界(地球)で「私を生きる」という私探しをした結果、やっていることを全部ひっくるめて「職業:私」。何者でもなく、何にでもなれる自分なのだと、自分への無限の可能性も感じたのでした。だから、好奇心旺盛でなんでもやってみたくなるのでしょう。

 

 

 

 

「おれのことなど、誰も求めていない」  そのことがはっきりと見えてくるんです。  バブルの頃はブイブイ言わせていた私は、仕事もなく、地位もなく、人気もない、ほんとうにただのオッサンになったのです。  でも。そこから。そこからなです。

 


そこを自覚すると、新たな視野が広がっています。

 

 


私が彼をさすがだと思ったのは、組織に属していながら、心はフリーランスで働いているようなマインドを持っていることです。  私は会社にしがみつくことばかり考えていました。ところが彼は会社から飛び抜けることばかり考えています。彼はいま、将来の独立に向けて、技能を磨き、人脈を広げています。私はいかにしたら、楽ができるか、組織に潜り込めるかばかりを考えていました。  ここが決定的に違うのであり、彼は独立しても成功するでしょうし、私は会社に入ってもまたスポイルされて脱落していくことでしょう。  彼の話を聞いたり、彼に励まされることで、私は決意しました。  そうだ、おれもゴキブリになろうと。  私はいま、一応、フリーランスとして、いくつかの仕事を掛け持ちしています。

 

 

 

 


ゴキブリのように強靱な活動力と、まずこのたるんだ心身を改造すること。そっちのほうが先で、私は本末転倒していたのです。ゴキブリ精神の育成が先で、結果として、就職やフリーとしての成功があるのです。こうして私のマインドセットが変わりました。

 

 

 

 


東京の自宅でぬくぬく過ごしていた娘が、軽トラを買って、大きな古民家の空き家を借りて、一人暮らしをしているのです。野菜も作れば、ニワトリなどをしめて、自分でさばいて鍋にしたりもするそうです。

 

 

 

 


人は本当に生活がピンチになり、危険を察知するとどこかで野性のDNAのスイッチがオンになります。そのときは、人はゴキブリへと変身して、思わぬ力を発揮するものです。  まずはとことんいまの苦しさをかみしめる。自分が崖っぷちであることをごまかさず、自覚する。そして自分が変わることで、状況が少しずつ好転するという、昔からある自己啓発の言葉を信じる

 

 

 

 


結局、転職とは自分にとって一体何だったのか? 職場を変えることでいまの自分が変わるのではなく、自分が変わることで、仕事の仕方が変わる、人生が変わるのに気づいたのです。

 

 

 

ジムに通うなど現役時代の感覚と肉体を失わないようにすることは案外重要です。精神は肉体に宿る。

 

 

 

 


私もあなたと一緒。ゴキブリ精神でともにフリーとして這いつくばっていきましょう。

 

 

 

 


食べ物や衣類、住居よりも、精神的、人間関係的、霊的な満足の方を求めるべきなのです。これらは、必要となるお金の額がまったく違います。

 

 

 

働いてもらったお金を、人生の向上のために使う」という習慣ができてこそ、人生を建て直すことができるのです。   身体的に「生存する」ための費用を削ることができれば、残ったお金を人生のクオリティを高めるために使うことができるのです。

 

 

 

 


 「生存する」ことは手段であって目的ではなく、目的はむしろ「社会に貢献する」ことなのです。

 

 

 

 


ということは、「社会に貢献できる人間に成長する」ことが、「人生の向上」であり、クオリティがあがるということなのです。「人生の質(クオリティ・オブ・ライフ)」を「貢献」に見出し、「身体的快楽」には見ないようにする、ということです。

 

 

 

そして、「社会に貢献できる人間になる」ためには、「生存」の領域以外のところにお金を使い、継続的な学びをしなくてはならないのです。   現代は「情報社会」であるため、「社会に貢献する」というのは、いろいろな意味での「情報処理」ということと、深く関わっています。

 

 

 

 


快適な家、おいしい食べ物、素晴らしい衣類は、ある程度お金が与えられたときに買えばいいのであって、人生を建て直すときにこれらを求めていては、悪循環に落ちていくだけです。

 

 

 

娯楽を消費する」ことは基本的に人生のスパイスであって、少しあれば十分なのです。スパイスばかり食べていれば健康を壊しますが、娯楽ばかりを求めていると、人生は確実に壊れます。   家庭崩壊の多くが、娯楽消費への耽溺から生まれます。また、人生をよりよくする気力を奪われてしまうのも、娯楽の楽しみに取りつかれてしまうときです。

 

 

 

 


年齢があがるにつれて、知識は吸収しにくくなります。肉体も動かなくなります。よりよい仕事ができる可能性は、時間の経過と共に減少していきます。

 

 

 

 


お金がそれほどかからず、満足感の大きなものを楽しみとするのが最上です。本を読むこと、音楽を聴くこと、散歩しながら瞑想すること、運動することなどの楽しみに満足を得るようにすると、人生の向上のためにも非常に大きなプラスになります。

 

 

 

自分は、だれも求めていないようなものを、求めてもいいはずですし、他人が嫌うようなものに、意義と価値を見出しても構わないはずです。

 

 

 

なにかを渇望しているとき、「本当に、わたしはそれが欲しいのか」を自問してみる価値があります。「それがなければ、自分の人生は失敗だ」と感じているとき、「それは、本当か? それがなくても、別に成功する道はいくらでもあるのではないか」と疑ってみてはどうでしょうか。

 

 

 

 


 「自分自身の価値観」を追い求めるべきなのです。「自分で自分と、自分の周囲を肯定し、受け入れることができる価値観」を形成することができれば、生きるのは格段に楽になります。

 

 

 

 


人生の建て直しをするときは、「自分はどう考えるのか」がすべてです。その「自分の価値観」に徹底的にこだわり、掘り下げていくことが、新しい出発をするうえで、とても大切になります。

 

 

 

 「お金」というのは、「貢献料」にほかなりません。「私の役に立つことを提供してくれて、ありがとう」という思いを、「お金」という形で表現しているに過ぎないのです。だから、「お金」をもらうためには、だれかに「貢献」しなくてはなりません。

 

 

 

 「知識」の素晴らしいところは、身体的な領域よりも、各段に「お金がかからない」ということです。

 

 

 

 


 「ほかの人が知らない重要なことを知っている」ということが、なによりの「力」になるのです。その知識が社会に貢献するものであるほど、多くの人々は高額なお金を払ってでも聞こうとします。

 

 

 

自分のオリジナル商品を作ることもできますし、他社が作った商品を転売することもできます。とにかく、なんらかの形で自分が販売する、「自分の商品」を持つ必要があるのです。

 

 

 

 自分が経験してきた、数々のオリジナルな経験と、新しい知識が組み合わされることで、自分だけが深く分け入ることができるフィールドが形成されてきます。

 

 

 

 


商品の開発は、終わりのない作業です。「もっとよいものを」と求め続けていく必要があります。

 

 

 

 「自分だけのフィールドを持つ」ということは、それによって人に貢献できるというメリットがある反面、人と同じ次元のものとして生きることができなくなる、ということでもあります。   一つの会社のなかで、似たような知識や経験を共有している人々の間では、ある程度の一体感を持つことができ、孤独を感じにくいかもしれません。   しかし、自分の分野を形成して生きるということは、ある意味ではその全領域を他者と共有できていないから、働きとして成り立つものですので、常に理解されない、一体感を持つことができる人がいない、という孤独感と隣り合わせになるのです。

 


このような働きを進めているとき、「自分は孤独だ。だれも理解してくれない。だれにも一体感が持てない」という思いがあることは、異常なことではなく、ごく当然のことなのです。自分独自の歩みを深めているわけですから、孤独にならざるをえないのです。

 

 


人が自分の孤独を埋めてくれるとは期待せず、自分が人になにができるかに集中する、ということです。

 

 

 

自分が人になにができるか、それだけが問題なのだ、という点に集中し続けるのです。   人から「もらう」ことではなく、人に「与える」部分に目を向け続ける、ということです。   こうした集中ができると、人に無理な期待をしなくなり、また与える自由と幸福を味わうため、孤独感は消えることはないにしても、かなり和らぎます。生きるのが楽になってきます。

 


わたしの場合は。

いろんなことを試したい。

試してキャーキャー言って

それで死んでオッケー。

 

ということで
「先に幸せになる」
「あーーー幸せ」

という
ほんとバカみたいなことで
現実は変わるんですけどねぇ。