父が34歳で自死いたしました。私は29歳です。父の享年が近づいてきました。中学生頃に双極性障害を発症しましたが、現在は服薬をしながら寛解に至っています。
もう30歳になるので、自分の今までの人生振り返るようになり、今まで生きていていいことってあったかな?と思うようになります。
人と深く付き合えません。仲良くなるまではいいですが、人恋しい癖に仲良くなりすぎると途端に全て面倒くさくなります。今の職場の人たちはいい人ですが、今度職場が変わるのでもうしおどきかな、とも思っています。不仲だった母とも、最近はお互いに年を重ねたせいか衝突も少なくなりましたが、それでも生んでくれなきゃ良かったのに、と親不孝にも思ってしまいます。
これからは精神障害者として生きていかねばならないので、余計な希望や期待は抱かないようにしようと思います。
母が期待しているように、私は家庭を持つことはないでしょう。
今はとりあえずいつ死んでもいいのだから、やりたいことをやっていこうと、捨て鉢だか、前向きだかわからない気分です。
生きづらさと歳をとることの抵抗感から、死にたいなぁ、と日々頭によぎりますが、まだ死ねないとも感じます。
就活が面倒くさい
なんでみんなそんなに頑張れるんだろう
就職しなければお金が手に入らなくて生きていけないのは分かる
でも頑張れない
なんでそんなに頑張らなければならない?
どうしてそんなに頑張って生きなければならない?
どうして生きるためにそんなに頑張らなければならない?
自分で「産んでください」って言って親を選んで生まれてきたわけじゃない
親が好きで勝手に産んだのに まあでも親から子への「孫が欲しい」だとか育ててもらったんだから自分も育てる経験をするだとかそういう世の風潮もあるんだろうな
でもそうやって生まれてきたらこんな生きづらい大変な世界で必死に生きていかなきゃいけない
でもこんな世界にも自分を楽しませてくれるものもあって
それを楽しむためにまだこの世界にいたいと考えてしまう贅沢な自分もいる
こんな考えを持つこともちゃんと就職をしないことも親不孝とか言われるかもしれないけど親孝行ってそもそも何?
「良いこと」「悪いこと」ってそもそも何?
人が考えた価値基準に 物差しに 善悪の判断に みんな従わなければならないのか
親が過干渉な人だから放っておいてくれない
もう少し楽に考えてくれないかな そんな甘い考えじゃ生きていけないから厳しく言われるんだろうな
同じような考え方ができる人がせめて身近にいたら 分かち合えたら 少しは楽になれそう
「あぁ、これほど失敗を犯してしまったのか」
つい最近外に出るようになり、人混みに行くたびに感じる。
親は私を産み、育て、お金を稼ぐ。
私は産まれ、育ち、お金を稼ぐ。
なんのために。
考える。理由なんてどこにもないのに。
「人間は考える葦である」なんてよく言ったもんだ。
考えるほど、親に言ってはいけないことを言ってしまいそうになる。
だから、人間は思考放棄をする。
これでやっと楽になれる。動物の誕生だ。
だから、人間は子孫を残す。
他の動物と同じこと。思考放棄をした人間は欲に身を任せる。
私はまだ思考放棄できないまま。思考放棄できたら楽なのに。
「考えすぎじゃない?」思考放棄したあなたの意見は聞いていない。
でも、それは多分正しい。考えていたら生きてなんかいけないから。
あーあ、ニコニコと没落してみたいものだ。
仕事、真面目にやるのがバカらしくなった。人の嫌がる仕事でも何でも引き受けてきたし、人員不足の時は掛け持ちで休憩もろくに取らず、黙々と働いてきたけど、結局、ダラダラ休憩行って仕事中もおしゃべりばっかの人や汚れ仕事や力仕事は絶対やらない仕事選ぶ人が評価がいいんだね。その人達からしたら、私はひどく要領の悪い人間なんだろう。そんなこと分かってるくせに一生懸命やってたら見てる人は見てるなんて淡い期待持ったりして、馬鹿みたい。都合よく使われてるだけのただのマヌケなのにね。
人を傷つける人ほど偉くなる
人を傷つける人ほど上に立つ
人を傷つける人ほど楽しく暮らす
人を傷つける人ほど褒められる
人を傷つける人ほど許される
人を傷つける人が正義
傷つけられる人の方が悪い
傷つけられる人の言葉は言い訳
私が初めて自殺についての話題に触れたのは、おそらく中学の時。
自殺についての作文で、自殺を選んだ人のことを悲しむのは分かるけどその人が決めたことだから認めてあげて欲しい。そんな思いを書いた気がする。母に後で泣かれた。それ以来自殺を肯定する気持ちや、死にたいって気持ちは人に話してはいけないんだと深く刻んだ。
だから逆に辛かった。死にたいほど生きるのが辛いのにその思いを持つことさえ異常なのか、許されないのかと。
もうすぐ30代になるけど昔より今の方が辛いと感じる。未来に期待して頑張れていた若い頃よりどんどん年齢が過ぎていく今の方がとても怖い。あの頃からずっとずっと頑張ってきたはずだけど、私は何一つ変わっていないんだな。何も手に入れられていない。
でも、たとえ人から見たら馬鹿にされる存在でも、見苦しくても、もがいて見せると決めた。自分の寿命が尽きるまで自分ととことん向き合って、私は自分を幸せにしてあげたいんだ。だからカウンセリングも受けるし、自分のこと理解するために自分の問題と向き合う。長い時間かかったとしても。
死にたい気持ちはお守りとしてあっていい。それがあるから生きていられる。大事な気持ち。それほど生きるのが辛いというSOS。
いつかそのお守りを外しても、生きていて良かったと、死なないでよかったと思える自分になれるように自分を認めてあげたいと思う。
ニセ明のREALという歌があります。歌詞の一部に
甘いもの食べて心騙したらなんか生きるのさ
とあります。なんかそんなことでいいのかもと思わせてくれる心の軽くなる歌です。
そんな風にわたしに意識を向けないようなことを探しながら、少しずつ誤魔化しながら生きていけたらなと思います。