自分に満足していれば、あなたはもう外の世界に自分を満足させてくれるものを求める必要はなくなります。

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33歳ならまだ若いよ。いくらでも今から好きなもの見つけられる。もうちょっと、ずる賢く生きて人生楽しんでみれば良いと思いますよ。

 

 

床は、言わば”自分自身“です。 モノを手放すと床面積が顕になるように、本来の自分 自身 が明らさまになっていきます。

 

 

意識って高めるものじゃなくて

下げていくもの、なんです(笑)

そして、「下げてもわたし大丈夫なんだ」と気づくこと。

これがとても大切です。

 

 

 

ほんとうに成し遂げたいなら、五〇回でも、一〇〇回でもアタックすべきです。  一回であきらめることは誰にでもできます。簡単にできることは、たぶん他のみなもやっています。

 

 

 

カオスでいいので 、 「自分にとってのゴミ 」を出し続けるのです 。 「ゴミ 」を出し続けていると 、次第とそれらを貫く一本の筋が見えてくるので、それが貴方にとってのより本質的な価値になります

 


「自分独特のライフスタイルを 、他の人に与えていく 」

 

 

 

「自分以外 」になろうとすると 、うまくいかなくなる


負けと言うのは、他人を羨ましがることではなく、自分が持っているものを忘れてしまうこと。

 

 


こんなところにいたら惨めだ。と思ったら逃げればいい。

 

 

 

僕の人生も、その足し算の終わらないループでぐるぐると回っている人生でした。足すための努力は半端なかった。足して足して足して足して、穴を埋める。埋まることのない穴は、心の中の穴でした。幻想の穴でした。

 

 

 

適当にやってる人のがしぶとくうまくやってる気がする。

 

 

 

毎日4時間ほど働いて、余った時間は、近所の友人と将棋をさすなどして遊ぶ。  知り合いと楽しくオシャベリをする。  落語を聴きに行く。  春には花見、夏には花火見物に出かける――。

 

 

 

 


大事じゃないから大事にできる
 
私、自分が将来死ぬことわかってない気がします。
 
苦労したり、我慢したりしてる間に
年とって死ぬのに、
なんとなく永遠に命は続いていくような
気がしてるみたい。
 

最近思うんです、

遠い先の未来のために今を大切にしないんだなぁって。

高い化粧品もったいなくて
特別な日しか使わなかったら、

消費期限はとっくに過ぎて、
私も年をとり、

いつからかその古い化粧品を肌に塗るのが
気持ち悪くなった。
もう古いから捨てたいのに、
なんか捨てられないし。
 

自分をそんな化粧品みたいに扱ってるんです。
 
とてもとても大事だから、
 
いつの日か本当に幸せになるために
エネルギーを使わなかったり、

精一杯しなかったり、
今日したいことを後回しにしたり。
 
なんか不快なのにそのままにしたり。
 
いつかのために、
今日を大事にしなくても
未来を大事にするからって思ったり。
 
私よ、私は死ぬよ。
未来より今の私を大事にしてあげて。
 
大事な私と今日を楽しんで。
 
私に私が言いたいことです。

 

 


自分に満足していれば、あなたはもう外の世界に自分を満足させてくれるものを求める必要はなくなります。
あなたが満足させるべきは、他人ではなく自分です。
自分自身が満たされたとき、そこから溢れ出るもので勝手に他人は満たされます。
自分自身を最大限に大事にすべきです。

 

 


最近常々思うのは、 『上品は下品(ゲス)に負ける。  努力はエコ贔屓(他力)に簡単に負ける。』 ってこと。 いいか悪いかは別にして、誰かに認められようと承認を得る為の努力や行為は、往々にして残念な 結果になりますね。 随分悔しい思いをして来ました。 でも、その前提(在り方)が間違っていたんですね。

 

 

 

 


季節の移り変わりを感じるようになりました。夏が秋に変わっていく感じ、冬の寒さをうれしいとなぜだか思うようになりました。

秋はとても色とりどりで、とてもまぶしい。

冬は光が突き刺すようで、今までもそんな風に感じてはいたのだろうけど、

秋は切なくて、冬は終わりでもの悲しいというのが大きかった。

 

冬の光がとてもクリアに感じられるのは、たぶん夏のように地上が太陽の熱を反射することで空気を揺らがすことがないからかもしれないなぁ。

風がふくと、夏のように葉っぱの音がほとんどなくて。 だからとてもしずかで。

でも川の流れる音とかして。 この“自然”だとか呼んでる“なにか”の四季の移り変わり。

これずっとあったんです。ずっとずっとあったんです。

それにオレはなにもしてない。

自然がそうする“ため”に、オレなにもしてない。

なんだけど、そんなものすごい変化がどの葉っぱにも草にも木にも、自然に起きてる。

もちろん、それが“変化してる”と思えるこの脳だかなんだかしらないけど、

すごい“なにか” 人生は大したことない。

“今”も大したことない。

オレも大したことない。

すばらしいものがまるで大したことないように、簡単に冬になって、春になって

“ここ”はそんなとてもとてもすばらしいものが大したことないく見えるくらいにたくさんたくさんある場所なんですね。

 

どれだけやっても虚しいなんて、なんてすばらしいことなんだろう。

自分がちっぽけで大したことないなんて、なんてすばらしいことなんだろう。

自分を限りなく0にして、自然に変化していく“あなた”の美しさをただただ見ていたい。

明日は今日よりももっとすばらしいものがくる。

それだけでとてもワクワクする。