どうにかしようとするとどうにもならず、 どうにかしようとするのをやめると、想像以上の展開があるもの。

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 魂自身が本来持っているプログラムどおりに生きようと思ったら、ただひたすら力を抜いて、気を抜いて、流れに身をゆだねることです。  ゆだねるとは、目の前で起きる現象、神のなせる業に対して、不平不満、好き嫌いを言わないで、すべてを受け入れていくということです。

 

 

 

基本的に、自分の中に「これが好き」「これが嫌い」というのが強くあると、好きな方向に思いを持つものですが、自我(好き嫌い)による選択を超えて、目の前に提示されるものを、「はい、はい」と言って素直に受け入れられるようになると、おもしろい展開を見せ始めます。  それは、宇宙が示唆している一連の流れに乗っている、ということでもあるのです。  いったい、どこに流されていくのかわからないけれど、たどり着いた場所がいつも楽しいところで、連れていかれたところが美しい風景のところと喜べるようになったら、もうどこに連れていかれてもいいわけです。  思いを持たないで、風に吹かれるまま、川に流されるままに生きていくと、まったく予想外の人生が広がりますから、間違いなく楽しいですよ。  もしかしたら、人は何かを手に入れるために、生きているのではないのかもしれません。

 

 

 

実は、みなさんが悩み、苦しみを持っているというのは、ほとんどが何かの狙いや目標を設定しているからなのです。 

 

 

 

 


「今、自分が置かれている状況がどうであるかということに、感想を持つ必要はないし、評価・評論はいらない。今、自分がやるべきことというのは、自分の目の前にいる人を大事にすることです。やるべきことがあったら、それをやることであって、結婚も就職も死も、自分の目の前にないのだから、考えなくてよいのではありませんか?」

 

 

 

この空間の中で、 精いっぱい工夫して、生活を楽しむことはできる。 そういう自由は許されている。

 

 

 

掃除はすごい力を秘めている。 私にはどこか邪気を祓う神聖な行為に思える。 それをするだけで、 明らかに気分がよくなるし、家の氣も浄められる。 宇宙は埃がたまらず、汚れない環境を与えなかった。 ということは、 掃除をする気持ちよさを味わえるようにしてくれたのだ。

 

 

 

 


そして、もうお手上げだ、 宇宙の好きにしたらいいさ、 私も私で好きに生きていくよって、 「これさえ手に入れば」を思いっ切りぶん投げた

 

 

どうにかしようとするとどうにもならず、 どうにかしようとするのをやめると、想像以上の展開があるもの。

 

 


何も考えず、何も思わず、「ああ、幸せだなあ」と心の中で、決めてしまうのです。  欲しかった物が目の前になくても、何か夢を叶えずとも、目的を達成せずとも、誰かに褒められたりせずとも、幸せを感じることができるのに気付くでしょうか。  そう、ただ生きているだけで、幸せは感じられるものなのです。  この応用で、豊かさも感じられるのです。 「豊かだなあ」と、心の中で感じてみましょう。

 

 

 

 


最初に、「豊かになる!」と心の中で決めてから、「豊かだなあ。実に、豊かだなあ。ああ、豊かだ、豊かだ」と、豊かさを感じてみるのです。  思考さんが、「そんなこと言ったって嘘にしか聞こえない。お金も無いし、欲しい物も買えないのに、豊かなもんか」と言ってきたとしても、聞き流しましょう。  豊かさを感じることだけに集中します。  何も考えず、何も思わず、「ああ、豊かだなあ」と心の中で決めてしまいましょう。  お分かりでしょうか。そこが自分の部屋でも、電車の中でも、人混みの中でも、公園でも、自然の中でも、どこでも豊かさは感じられるのです。

 

 


そこに行くから愉しくなって、満足できるのではなく、「愉しむぞ」「満足するぞ」と決めるから、そうなるのです。  あなたが、そうなろうと決めるから、そうなるわけです。