人は生まれ持ったものによって、在るべき場所にどこか導かれていくのだろう。

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ゆるめるとホッとします。
「ま、どうでもいいよね」と、テキトーになり、楽になります。
ゆるめる、脱力。
全てはここから始まります。

 

 

 

すこしずつ自分をゆるめて癒していき、いまとなっては、しあわせかどうかとか、何がしあわせなのかとか、どうすればとか、もうどうでもいいことに思えます。そんなことで悩む時間がもったいないし、そもそもそれは楽しくないし、だったら好きな本を読んだり音楽を聴いたり、寝転がってもふもふしてるほうがいいな~と。
でもきっとそれがいわゆるしあわせな状態なのかなあと。

 

 

 

 


幸せって面白くない。
幸せって大したことではない。意味ない。
幸せってしょぼい。

↑ほんとそうだと思った。
私の幸せと感じる時って、
・猫と一緒に布団で寝る夜
・友達とおしゃべり
・庭に出て虫を捕まえる
・地元の海で磯の生き物を捕まえる
・お母さんの手料理(別に豪華でも何でもない)を食べる
・車を運転する
スマホいじりながら寝る

↑誰でもいつでも出来るし人から見ると死ぬ程どうでもいいくだらない行動なのもあると思う。
もちろん、金になるものなど何一つない。
でも、今アラサーでニートで働かなきゃいけないんだけど、これらが出来なくなる程には働きたくない。
(もちろん根本として生きていく事が出来ないほど貯金減るほどにはしないけど)
漫画家になりたいとか、海外で仕事したいとか色々大きな夢あって、ずっと叶わない事に不満があったけど、結局上に挙げた幸せが出来なくなるくらいなら、それらの夢は叶えたくないという魂の本音が聞こえた。
そのくらい、これらのくだらない全く無価値な行動は自分にとって重要なんだな

 

 

 

 


もう頑張らなくていいし、夢を途中で諦めてもよいと「今」の私が1番安心する「がんばらない」選択をして過ごしています。

安らかに、心豊かに居心地よく…そんなことが何よりも大事だったと「今」は思えます。
身体も喜んでいるのがわかります。

昔はそんなこと思えなかったけど

 

 

 

 


まずは、入れない。
ごきげんになれないものは断りました。
 
つぎは、捨てた。
大切だと思っていたものも、必要じゃないものは手放してみた。
モノだけじゃなくて、空間や関係や時間とか・・・
目に見えないものも・・・手放してみた。
 
 

そうしたらね、
手に入れたいと思っていたものがすでにほとんどあることに気がついたんです。
家で昼寝していても不安じゃなくなった。
毎日、エステ行って、自分のことだけ考えていても
罪悪感がなくなった。
エステで自分の貯金がどんどん無くなっていくけど、
「ま~しょうがいないよね~」って(笑)
ずっと、自分をないがしろにして、いじめてきたから。
40年分くらいのご褒美を・・・

 

 

 

本当に欲しいもの。
ワタス。 高い高い マットレス買ったら ピタッ と 他のもの 買わなくなりますた。マットレス 我慢している間は 底なしでした。 そうか そんなに欲しかったんか〰️っ(ーωー) 自分が本当に欲しいもの って 案外 探り当てて無かった。 この経験を生かして 今は とにかく 自分に 聞いてから よくよく 聞いてから 買ってます。 値段じゃない。 満足じゃ! ( ̄ー ̄)

 

 

 

 


残念な人になることを覚悟する
がっかりされても、いいじゃないか
期待に応えることを手放すには、何を受け入れればいいのでしょうか?
それはがっかりされる人になるということです。
自分の得意なことを手放して下さい。
自分の手柄を捨てる。どんどん人にわたす
褒められることを手放すというのは、つまり役立たずになることですから、ビジネスに関わっている人にとっては、かなり怖いことかもしれません。

 

 

 

 

 

すべてを諦めなさい。
すべてを捨てなさい。
早く終わらせなさい。


無駄な抵抗はよせ。
もうカッコ悪くてもいいやん。
ようがんばってきたのう、もうええじゃろ。

「助けて」「手伝って」「できないねん」「ごめん」
これを体験して繰り返す必要があるのです


わがままで、身勝手で、つねに自分の都合を優先させるような人間になること

 

 

 

 


名誉と自分の体はどちらが大切か。財産と自分の体はどちらが大切か。ものを得るのと、失うのはどちらが苦痛か。

 名誉に執着すれば、それだけ気疲れも多く、財産を蓄えれば、それだけ損失も大きい。

 現状に満足することを知れば、恥を受けることも無い。ほどほどを知れば、危険な目に会うことも無い。このようにすれば、身は安泰だ。

 

 

 

 


「与えられた生まれや環境を受け入れ、無意識の状態に突入すること」こそが、一つの「道」の実践なのではないか

 

 


人は生まれ持ったものによって、在るべき場所にどこか導かれていくのだろう。

 

 

僕が伝えたかったのは「いざとなったら寝そべればいい」である。

 

 


成功の呪縛から自由になれば、目の前の仕事に気楽に取り組み、淡々とやり続けることができます。

 

 

 

 


周囲と足並みを揃えること=幸せ
だと思ってる人は後悔しそう
落伍者だとバカにしてた人の方が充実した人生で満足して死んでいったりする

 

 

 

最近おもう。
自分の人生、人の評価とかきにしないで、やりたいこといっぱいやって、楽しんでいいんだ。
自分の為に生きよう!と