終わらない冬が来たのなら、アリもキリギリスも結局は死んでしまう。それならば、現在の「生」を全身全霊で堪能するべきなのである。バイオリンを弾き倒すのが、僕の考える正しい生き方だ。

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ゆっくりと普通から離れる覚悟。

いや、覚悟なんてなくても、大丈夫。

勝手に離れていきますので(笑)

 

普通から離れて、私は私になる。

私は元に戻ります。

私は元に戻るだけ。

 

 

 

運が向いてきたというより
「本来の流れに乗った」のです。

そう

「本来の流れ」って

「ほっといても幸せになる流れ」です。

「必死にやらなくても」
「必死に何とかしようとしなくても」
「焦らなくても」
「怖がらなくても」

ちゃんと
幸せになる


それが
自分本来の流れ、
なんです。

 


長いこと、自分のこんな性格や現状、スタイルは、なんでだろう。って思ってた。

けど、なんで。なんて考えなくてよかった。

 

自分のせいでも人のせいでもなかった。

かみさまのせいだった。

 

このスタイル、能力、境遇が、「お題」

はい。この状態でおもろいこと言ってください。
考えて下さい。笑わして下さい。

 

て言われてる。

 

幸せの大喜利だ。

 

今まで、普通や常識の形になるように考えてた。

この形で、今の私でおもろいこと考えればよかったんだ。


そして、シールは「○」だけ持っておく。「×」は要らない。

そんで、出てきた気持ちに片っぱしから「○」シールをはるんだ。

 

 

 

 


わたしはゴロゴロして浪費してるだけのうんこ製造機です ゴロゴロ最高! 浪費最高に幸せですけど何か? そしてもっと好きなこと楽しいことやりたいことやっていこうと決めました。

 

夢なんて叶えなくても、私は
すでに多くを手に入れているし
すでに愛されているし
すでに認められているし
すでに尊敬されている。
つまり、すでに私は幸せで安心なんだ。


ダメな自分に、負けて
素晴らしいみんなに、負けて


そして
素晴らしい自分に負けて
素晴らしい自分を認めてしまおう。


いまから
人生変わるよ(*^▽^*)

 


生とは生きることであり、生きることとは食べることである。ニートよ、まずは鍋を炊くのだ。

 


寝ていれば転ぶこともない

 

 


 思うに、人生には、「納得」が非常に大切なのだ。納得できたのなら、死ぬことさえ不幸ではないのかもしれない。

 

 

 

終わらない冬が来たのなら、アリもキリギリスも結局は死んでしまう。それならば、現在の「生」を全身全霊で堪能するべきなのである。バイオリンを弾き倒すのが、僕の考える正しい生き方だ。

 


ニートになるのもギャグだし、鬱病になるのもギャグ。これからの展開は分からないが、もっと面白おかしいことが起こるのかもしれない。死んでしまったとしても、それも一つのギャグである。

 


人間は最終的に絶対死ぬ。最後には、全てを失うようになっているのだ。そんなことも含めて考えると、この僅かな数十年間で、誰が何を持っているだとか、持っていないだとかは、等しくくだらないことであるようにも思えてくる。

 


虚無を乗り越える方法とは、この瞬間を強く遊ぶことなのだ。

 

 

「自分のライフスタイルに好きなものを集めてる人は強いんだよね」そこに論理性がないから、つまり論理では倒されない、。「なんとなく」の集まりだから、意味不明だから、本人もなぜだかわかってないから強い。
 
論理的じゃない人は強い。「なんとなく」を信じてる人は強いよ。「だって、好きなんだもーーーん」としか思ってない人は強いよ。

 

 

 

 


時間になったら帰る。平気で休む。生活全部を仕事中心に回さない。帰ったら仕事のことは忘れる。これができたらいいなぁ。 どうせ私は愛されてるし、すばらしいし、価値はないし、ゲスだし、それで大丈夫だし!むしろ、それがいいんだし!

 

 

 

 

 

 

鼻歌歌いながら仕事したり、一人の時は小躍りしたり、夕飯お酒飲みながら作ったり、面倒くさいときはめっちゃ手抜きしたり、物事や生活をあまり深く考え過ぎずに頑張り過ぎずに暮らすとなんか楽しい。やはりストレスは大敵だと思う

 

 

 

 


死ぬまで、どれだけ楽しい思い出を作れるか。
その為に今何ができるかを考える。勉強したければする。お金が必要なら働く。元気な身体が必要なら健康に気をつける。
今日のEテレで、ふなっしーが語ってて、ハッとしました。私、まだまだ楽しい思い出ないや。作ろうともしなかった。作ろう。

 

 

 

 


この人生は夢だと思ってたら楽
世間体も関係ない。だって夢なんだから
歴史も全て自分の脳が作り出した物語

 

 

 

 


思い出づくりはそんなにこだわらなくても大丈夫。その時々を真剣に生きていれば仕事でさえキラキラした過去の思い出となって残るものです。 ~セミリタイア済みのおじさんの意見

 

 

 

 


老後に遊んで暮らすために今がんばって貯金する、そんな風に考えていた時期が俺にもありましたw

でも死んだら終わりだしむしろ貯金額が多いほど急に死んだときに損だと数年前に気づいてからこれ以上貯金しても無駄だと思って仕事をやめた

仕事をやめると毎日自由だが自由すぎてだらだらしてしまうのでむしろ適度に仕事をしたほうがいいと思った

しかし今仕事をしてまた貯金を増やしても仕方ない、かといってそんなにほしいものもないからあまり金が減らない

となると一体何のために仕事を頑張ったのか、こんなことなら若いときに金を使って貯金をしないほうがよかったと思った

つまりむしろ給料を全部使い切る人のほうが正しい、実際やたらめったら貯金するのは日本人くらいで海外では貯金しないのが普通だ、俺は間違っていた、必要な分だけ働いて後は悠々自適に暮らすのが最適解だと思う。

 

 

 

老人ホームで働いていますと、残したお金のなんと争いを生むことか

 

 


年金を含めた生活防衛資金さえ担保する意識をもちつつ、あとは食べ物が美味しく食べられる時に食べて使っていくほうが良いかと感じます。

 

 


お金は結局は自分の選択肢を無限に増やす万能ツール。その選択肢で、使って人生を豊かにする満足感のある消費もあれば、使わなくても人生を豊かにするの行動や思考もあるよね。

 


「45から60歳で取り崩し始めなさい」という話も私の年齢ですと納得ができますね。訪れたことのない場所への興味や長旅への意欲、おいしい食べ物への食欲、若いころにくらべて減退を感じます。暖かいチキンラーメンとドリップ式のインスタントコーヒーでもあれば満たされてしまいますから。40代に入ったら積極的に使うことをお勧めします。遅くなりましたが私も、年休をためて、重い腰をあげて年に1回は海外へ旅に出ようと計画しています。まずは、学長推薦の国内旅行で沖縄から始めたいですね。


自分の心が豊かなら使いきらなくても良いと思いました!

 

このうちの40代から資産取り崩すってのは資産が減る状態に慣れるためかも。

 

鉄鋼王、カーネギーは「財産を残して死ぬことは惨めだ」と言った。スコットランドから来た貧しい移民からアメリカ屈指の億万長者になった彼の名前を冠した大学や図書館が多いのはそういう理由だ。実際僕もそうしたいかな

 

お金に執着してしまうと、結果的に使えなくなり不幸な人生を送るということか。確かに気にせずにお金使える人も才能だね。

 

100か、0かで語ったり、コスパといいつつ本当に欲しい・必要なもの以外を買ったりするのは幸せにはなれない気がする。

 


「(会社に頼らず)金を稼げる技能」は定年退職した後に"貯金"よりも安心を生み出すと思いますよ。

その為に若いうちから経験に投資していきたいものです。

 

 


お金の価値は加齢とともに下がっていく。。。たしかに。

『人生は思い出づくり、経験の合計である』紙に書いて貼りました。

 

 


介護施設で働いています

入居者の方々は日中ずーっとテレビを見ていらっしゃいます

動きたくても体に力が入らない、気力が湧かない、などなど理由は様々です

動けるうちにやりたいことをやるのは本当に大事だなと思います

 

 

 

 


人間性「野生みたいなものに近くて、自ら足で経験を積んで、体も頭も使って遠回りしながら無駄を楽しみながら糧に・・・」

 

 

 

 


没頭したい。集中できるのは幸せ。

 

 

 

みんな知ってるんですよね、

子供の頃に走り回ったとか虫を探して捕まえたとか、お金がなくても幸せを感じていた子供の頃。その時には戻れないけど近い場所がアウトドアで今の自分なりの楽しみ方を追求してくとハマっちまう

 


お金があっても、基本的な家事ができないためにゴミ屋敷化してしまう。信じがたいかもしれませんが、現実です。

 

 

 

 


やらなければ単なる知識、やる事で身につくのがスキルです。まずは小さい事からやることを見つけて、続けることで、自分と家族に起こる変化を感じてみましょう。  自分がやれて、家族が嬉しいと思う家庭内の行動は何ですか?