人生のつらさを解決するには、執着を控えて気楽になることです。何かに執着しても、それは自分からかならず離れていきます。

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夢と希望があればあるほど、失望します。うまくいかないのです。夢と希望があると、怒り・嫉妬・憎しみが出てきます。とんでもない精神的な病気にいっぱい罹って、生きる力がむしばまれて終わってしまいます。ですから、「夢と希望に生きるぞ」というのは、とてつもなく危険なことなのです。このことをぜひ、理解してください。

 


 私がいることが苦であるならば、どうしましょう? 苦が嫌だからといって、皆さん、自分を殺しますか? そんなことをしてもなんの問題の解決にもなりませんね。この現象は、人間にたちうちできない管轄外の問題なのです。「現実苦は管轄外」と憶えてください。くれぐれも、「なんとかしよう」と思わないでください。

 

 

 

 


バカげた妄想はやめて、現実的なことを考えて生きてみればいいのです。

 

 


徹底的に苦を研究して、「あ、なるほど。こういうものか、生きることは」と理解すれば、それで十分です。それが人生を学ぶことでもあります。正しく人生を学ぶということは、苦を学ぶことなのです。

 

 

 

「生きることは苦であると知った人が解脱に達しますよ」と説かれています。

 

 

 

人生のつらさを解決するには、執着を控えて気楽になることです。何かに執着しても、それは自分からかならず離れていきます。

 

 

 

 命はあまりにも短いのです。この短い間で、闘うこと、憎しみ合うこと、自我を張ることをやめて、一切の生命を慈しんで生きることにしましょう。つらい人生は楽になります。

 

 

 

というわけで、落ちるのです。
すべてを手放して、落ちるのです。

人はだいたい何かにしがみついています。落ちるのが怖いから。
人であったり、環境であったり、地位であったり。

それらがなくても大丈夫になりましょう、ということです。
あってもなくてもOK。何にもしがみついていない、ということです。

 


「40年間生き残るために意識してることはなんですか」
と訊かれて
「適当に手を抜くことだね」
と答えられていました。
「だって、必死だと圧迫感がすごいでしょ」

 


・金もない。仕事もない。友もない。だから、すぐに旅に出られる。

・余分な富で買えるものは、余分なものだけ。

・楽しみにお金のかからない人が、最も幸福。

・人間は、自分の作った道具の道具になってしまった。

・機械のように働かない。人間らしく生きるため。

・頂点を目指すうちに、自分が自分を奴隷にする奴隷監督になっていく。

・「みんな」という言葉に惑わされてはならない。「みんな」はどこにも存在しないし、「みんな」は決して何もしてくれない。

・誰にも出し抜かれない生き方がある。それはゆっくり歩くことだ。

・ 人間のすべてを耕してはいけない。森を残しておけ。

・春という季節は、すべてを一度許すために巡ってくる。

 

 

 

私も弟子たちも、心の中には悩みや苦しみが全くないのですよ。期待することも希望することも、しがみついて頑張ることも、心配することも、何もありませんから、心はやすらぎを味わっているのです。だから明るいのです。

 

 


余計なことを考えずに放っておけばいい場合もあります。どんなものでも必然的に壊れてゆきますからね。ピラミッドも、古代文明も壊れてしまいました、ローマ帝国を見ても、今あるのはガラクタだけでしょう。  そういうことで、誰かが強引に壊さなくても、自然の法則の中で、ものごとは必然的に壊れてゆくものです。

 

 

 

 


幸せとは「心の喜び」のことをいうのです。  では、いったいどうすれば心に喜びが生まれるのでしょうか? それには「終わった」という気持ちが必要なんですね。

 

 


どんなに些細なことでも、それを終了した瞬間に心はやすらぎを感じるのです。

 

 

 

日常生活の中で何かの仕事を最後まで成し遂げたとき、「終わった、やったぞ」と思う瞬間で心に喜びを感じませんか? 解脱というのはその延長線上にあるのです。決してわけのわからない神秘的なものではないのです。

 

 

 

 


古いものは消え、新しいものが生まれています。この変化に対して常に心を開いておくことが重要である。

 

 

 

つまり、変化といっしょに生きるということです。そうすれば何か問題が起きたときも、その場で適切に調整し、対処することができるというわけです。

 

 

 

幸せとは心の状態のことをいうのです。心に充実感があるかということ。

 

 

 

お釈迦さまとお釈迦さまの弟子たちは、人々が捨てたものを食べ、木の下で寝て、「私こそ幸せだ」と言っていました。なぜなら、貪らず怒らず智慧を持って、一瞬一瞬、充実感を味わいながら生きていたのですから。

 

 

 

無病は最高の利得であり、 満足は最高の財産である。 信頼は最高の親族であり、涅槃は最高の幸福である。 (法句経 二〇四偈)