死んでも生きても今のところ大した意味はないからとりあえずは生きとくかとか

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大きな充実からではなくまずは身近で小さな幸せから感じていきましょ。 空がキレイだな~と背伸びしたり、季節ごとの花を楽しんでみたり、おいしい空気を吸いに山にいってみたり。ありふれた毎日のなかの当たり前の日常に目を向けられるということは、それだけ自分に余裕が生まれてきたという証でもあります。

 

 

 

 


「生きるのは山登りとは違うのよ。そこに山があっても登らなくてもいいの

 

 

メディアやSNSで発信される理想のライフスタイルや女性像は想像上のもの、いわば創作です。そのストーリーを『素敵だな』と思うぐらいならいいのですが、『そうじゃない自分はどうなの?』『そこからずれたらどうしよう』という視点になってしまって、生きづらさを感じている患者さんは多いですね

 

 

 

 


上手くいかない人生にうんざりしているのなら、思い切って人生を諦めてみませんか?

 

 

 

 

 

 

これならいくらでもできるって、意外と危険なのよね。

24時間歩き続けたら倒れたり怪我したりもするでしょ。

これならいくらでもできることを、適度に休みながらやる。

それぐらいがちょうどいいのよねえ。

 

 

 

 


最近考えてた所です

40を過ぎて、いよいよこの先、中高年らしく年をとっていくんだろうな、 なんか信じられないって そして色々ぶつかってる。

親も死んで、時間が過ぎた時 きっと、

一体何にこだわり、恐れて行動出来なかったんだろう。

もっと好きな様に生きれば良かったな、って思うんだろうな、って思います 。

 

 

 

 

 

ひとを使いまくって

ひとに頼みまくって

今まで無理をすればできた事、やりたくないけど私がやらないとまわらない(と思ってた)事。

無理に引き受けないで、周りの人達にお願いする事にしました。

私に対して、あれをしろ!これをしろ!!と言う人には 出来ません。 と伝えるようになりました。

まだまだ怖くて、自分の気持ちを言うまでにもすごい決心が必要ですが… だけど全部やりたくない事まで1人で背負うのはもう嫌なので、やりません。

 

 

 

 

 

 

恐怖心というのは、
繰り返すと「減る」のよ。
 
不安感も
繰り返すと「慣れる」のよ。
 
どーせ、
大丈夫だとわかるから笑。

 


怖いのは「不慣れ」なのよ。
不安なのは「慣れてない」からなのよ。
そんだけ。
 

 
慣れると、減る。という当たり前すぎるけど超強烈な仕組みだ(・∀・)これを使えばいいのだ。

 

 

 

「思う存分楽しむために必要な道具は 、全て自分の手の中にある 」

 

 

 

 


いろいろポイポイ投げ捨てたら

わかりました。

私はびびっていたのです。

だからいろいろ不必要なものを

つないでいたと思います。

恐れているとダメです。

沢山物がなくても大丈夫、

友達いなくても大丈夫、

家は広くなくて大丈夫、

結構平然とやれるわ

と開き直ったらとても

自分とまわりが

清々しくなりました。

 

 

 

心の底から納得できたとき、むさぼるような「学び」をやめ、

自分の人生の役割を全うするための行動を始める。

 

 

 

周りがどうでもよくなり
本当に嫌われる覚悟の時、たしかに
私は逆に周りから認められてきた

何なんでしょうね本当…

 

 

 

 


成長への執着によりストレスが増大し、私たちは自分で自分の首を絞める状態に陥っている。

 

 

 

 


今は何かをする、成し遂げるというよりも、内から湧き出るものに身を任せて身体ファースト。そしたら、新しく始めたテニスとハープの進歩が凄まじくて。両方の先生から「数日で1年分の進歩をしている。そんな初心者は初めてだ。もっと早く始めなかったのがもったいない」と絶賛されます。そんな時はちょっぴり嬉しい。でも褒められなくても続けると思います。だってテニスもハープも身体が求めているから。死ぬ前はいろんな計算が働いて絶対やろうとは思わんかった。

そういうわけで身体ファーストだと承認は別になくてもいいけど、もらえたら気持ちよくいただくようにしてます。

 

 

 

 


『なら今を楽しんだらいいぢゃん。失敗してもうまくいかなくてもそれでいいぢゃん!』
そぉ思った瞬間
ストーン!と気持ちが楽になりました!

キャパオーバーなのに常に
やらなきゃ!と言う完璧を求めて
理想が大きかったみたいです!笑

無理するな
自分の出来る範囲でいい。

 

 

 

 

 


自分の思いとは違うけど。

自分の希望とは違うけど。

自分のコントロールしたい姿とは違うけど。
 
 

不思議なことに

負けたほうが

手放したほうが

あきらめたほうが
 

それを、潔くやればやるほど

それを、本気でやればやるほど
 

流れがうまれて

自分の人生が進んでいくような

今、自分が体験しているプロセスが進んでいくような

そんな感覚にたくさんなりました。
 

結果的に、とても幸せである。

 

 

 

 


軽薄でありたい。行くかどうか迷ってる場所は行ってから考えるとか、買うかどうか迷ってるものは買ってから考えるとか、誘っても断られそうな人については断られてから考えるとか、死んでも生きても今のところ大した意味はないからとりあえずは生きとくかとか

 

 

 

けもの道人生をひた走ってきた身からすると、人生がうまくいったと思うかどうかは「ただの結果論」「当人の受け取り方次第」でしかない。前にEテレ「オイコノミア」でも言っていたが、人生の大半は単に運に流されているだけだと思った方が良いらしい。ならば「結果の受け取り方」を工夫する方が建設的

 

 

 

 


 どんな人生を選ぼうと自由なはずなのに、「これはなし」「これはあり」と、最初にいろんなものを除外した狭い選択肢の中から、生き方を選んでいるわけです。でも多くの場合、除外したものの中に「答え」があるのです。

 

 


その体験が積み重なるほど、「立派にならなくちゃいけない」「がんばって成長しなくちゃいけない」という思い込みから解放されます。「どうしても、もともといた世界に、あれほどこだわっていたんだろう」と、不思議に思うでしょう。

 


休んでもいいよ。投げ出してもいいよ。逃げ出してもいいよ。好きに生きればいいよ。やりたいようにやればいいよ。誰が何と言おうと関係ないよ。

 

 


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