「人生に葛藤しながらも、それでもやっぱり人生を諦めたくない」

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体が覚えていて無意識にできることの積み重ねこそが、ハウツーと呼ぶに相応しいものです。

 

 

「おカネを稼ぐこと」は、その人の人生を豊かにするための「手段」に過ぎず、「目的」ではないことをお忘れなく。

 

 

 

実社会では、「心根」などどーでもよくて、何事においても、評価の対象は「結果」です。だからこそ世の中は「フェア」であり、「残酷」なのです。

 

 

 

ガス抜きというか、「憂さ晴らし(自分のやりたいこと)」を「社会のルール」にあまり抵触しない範囲で行なう必要がありますし、

 

 

 


会社以外のところにも自分が評価される場所を確保しておくことは、長い人生を楽しむ上で、とても大切なことです。たとえ会社の仕事が上手くいっていなくとも、趣味の分野で得られる評価が、その人を支えてくれる面もありますから。

 


 当時の江戸の町人というのは、実はさほど働き者ではありませんでした。具体的には、家督は30歳代の半ばぐらいで倅に譲って、自分は「隠居」するというのが、当時の〝粋な人生〟のありようだったのです。一生懸命に働いた後の残りの人生は趣味に生きようというわけです。

 

 

 

いくらおカネがあったって、仕事以外に何もしてこなかった人の老後は、虚しいものになります。

 

 

 

大事なのは無理をせずに、「今一番、心も体もラクになる生き方」を見つけることです。どんな生き方が一番楽しいかは人それぞれですから、自分と違う行動をとる人を嫉妬したり、非難したりしないことも大事でしょう。大切なのは、あなた自身が「ラクに生きること」なのですから。

 

 


「変わりたいのに変われない」 「情熱をかけて打ち込める仕事を見つけたい」「なのに、結果を出せないダメな自分に、いい加減心が折れそう」 「でも、諦めて人生の負け犬にだけはなりたくない」

 

 

「生きる喜びを感じたい。  望むことはただそれだけなのに、どうしてこんなに難しいのだろう……」

 

 

「ここに至るまでの道のりはすべて、諦めなかった人間にのみもたらされるご褒美のような出会いが積み重なってできたもの」

 

 

「人生に葛藤しながらも、それでもやっぱり人生を諦めたくない」

 

 

 


自分が自分でなくなる失望感を、人生で二度も三度も味わうのはイヤなのです。  とはいえ、そう思ってはいるものの、今いる世界から飛び出そうと何度も格闘しているのに全然うまくいかない。でも、やっぱり現状に留まり続けるのもイヤだ。自分の納得いく人生を生きたい――。  そんな出口のない葛藤を抱えながら私は、もがきながらも冒頭でご紹介したように学びに時間とお金を費やし、自分の腕一つで生きていく基盤を求め続けました。

 

 

 

 


「切望感を満たすために、人は生きる」

 

 

 

 切望感とは「あなたの人生の根源的な欲求」を意味します。単なる表面的な欲などではありません。人生を突き動かすほどの情熱を持って行動できるのは、そこに大きな切望感があるからこそ。

 

 

 

どんなに大きな成功や人がうらやむ成果でも、自分が意図したものではないと自分を支える自信にはなりづらい。   逆に、どんなに小さな出来事でも、自ら求めて得た結果であれば大きな自信となる。

 

 

 

手っ取り早く誰かから最適解をもらおうとする心、それが依存心。  そして、その依存的な自分のままでは、いつまでもさまよい続ける可能性があることを認識しておきましょう。