どうあがいたって自分は自分でしかないのだから、これで生きよう。今生は諦めよう。人と同じように生きるなんて無理だ。俺は俺を生きよう。そんな思いが腹落ちした時期から、生きることが途端に楽になりました。

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ないものはしゃーない。そう考えれば喪失感は消えます。心の穴なんかなかったことに気づきます。穴がふさがったのではなく、最初からなかったのです。
そう。実は、逆説的ですが、喪失するからこそ得られるものがあるのです。獲得したから勝ちではないし、失ったから負けでもない。そう思えると、自分自身というものが、とても満ち足りたものに思えてくるのではないでしょうか。

 

 

 

おいしい物を食べましょう。
太陽の下を歩きましょう。
海に飛び込みましょう。
あなたは自分の心を隠された宝物のように運んでいる、というのが真実です。
馬鹿げたことをやりましょう。
優しく生きましょう。
人生にはその他のために使う時間なんてないのですから

 

 

 


お金というのは自分というエンジンを回す燃料であり、愛というのはオイルのようなものではないでしょうか

 

 


経験上、少しでも迷いがあるならやめといたほうがいいよ。私も結婚前、迷いがありましたが、親兄弟とか、世間体のことを考え、今さら引けないと思い、マリッジブルーということにして結婚しました。
13年経った今、やっぱりやめとけばよかったと後悔しています。こんな結婚生活なら、独身のほうがまだマシだったと思っています。
世間体とか気にしてしまうと思いますが、あれこれ言う世間や他人は、人生の責任なんて取ってくれないんだから、気にしなくていいです。あなたの人生は、あなたのもの。後悔しない人生を送ってください。

 

 


自分をいたわろう。どうせ誰も私たちを十分にいたわってなんかくれないし、いたわってくれる人は、私たちをもっと働かせようと目論んでいるだけかもしれない。
自分を慰めよう。どうせ誰も私たちの悲しみを完璧に理解してくれることなどないし、理解するフリをして私たちを操ろうとしているのかもしれない。
自分を励まそう。私たちの頑張りなんて誰も見ちゃいないし、私たちの成功に誰も興味なんか持ってくれない。

 

 

 

一度でも遠くに逃げた経験をもっていると、たぶん連れ戻された日常のなかに「ここでの逃げ場」を探したり、見つけたり、つくったりが、ほんの少しだけ上手になるのだ。
 
 
たいせつなのは逃げることじゃないんだ。「逃げかた」を、おぼえることなんだ。一度「逃げかた」をおぼえてしまえば、どこにだって自分の居場所はつくれるから。バカなやつらの、バカさ加減に気づいたきみだったら、きっとできるから。

 

 

 

自分の好き嫌いを知り 拾い集めて削ぎ落としていくことで、使命やライフワークといったものの輪郭がはっきりと現れてくるのです。
それを年齢や立場などを盾に諦めずに探してあげるのって、自分への最高の愛情なんじゃないかなって思いますよ。
ないんじゃないんだよ。埋もれてるだけ。

 

 


まずはなによりも自分の心と体を守ることをちゃんと自分の責任としてやっていこうと思います。どうしても「登っていく」プレッシャーに追い立てられるようになるけど、この歩き方が十分立派なスピードなのだと自分に言ってあげたいと思います。

 

 

 

ぼくは今、よく「自然体ですね!」
「無理してないのにうまくいっているんですね!」と言われます。
それは、やめる力を身につけたからです。
自分が無理だと感じることは手放し、自分らしいと感じること、
自然にできることを選択できるようになりました。

 

 


私は「今世は諦めてください」と自分が自分に言えた瞬間、最悪の時期を脱することができた気がします。それまでは、どうしても「周囲と同じように生きられるようにならなくては」とか「人並み以上になんでもこなせる自分を演じなければ」などと思って、肩肘の張った生き方をしていました。

 

 


一般的な人々が持っているものを自分も持たなくてはならないと思っていたのですが、その思いを諦めました。

 

 

どうあがいたって自分は自分でしかないのだから、これで生きよう。今生は諦めよう。人と同じように生きるなんて無理だ。俺は俺を生きよう。そんな思いが腹落ちした時期から、生きることが途端に楽になりました。

 

 

真の充足感に、他者の承認は不要であることを学びました。

 

 

ですからわたしは、人生を楽に生きるには、面の皮を厚くしていく方向でどんどん好きな枠を壊していくことだとつくづく思っております!!

 

 

自分を一番軽々しく扱うのって、誰かじゃなくて自分ですよね。

 

 


「人生を降りる」という言葉を僕なりに言い換えると、
「社会的幸せから解放される」ということになります。
 

 

 

あるべき論からの離脱”これが、人生のテーマだと、最近はつくづく思います。
いかに世間から逃れるか、如何に“あるべき論”から解放されるか。人間の人生はそれとの戦いだと思う。“自由”、“精神の自由”を得ようと思うと、「いい人」「できる人」「思いやりのある人」ではいられない。

 

 


結局、人生しんどい人は、自分にフィットしたゲームをやってないんよね、きっと。
苦手なゲームに取り組んでるからしんどいんだよ。

 

 


自分にコントロールできないことは、いっさい考えない。 考えても仕方ないことだから。 自分にできることだけに集中するだけです。

 

 


「楽しい?それ?」
「平べったい何もないとこ進んで楽しい?」
「ダンジョンに潜ったり敵の陣地に乗り込んで戦うのが楽しいんでしょ?」
「ただ何も無い平原を何のアイテムも獲得できないままテクテク歩くの楽しい?」
「人生はゲーマーでなんぼよ」
「経済が崩壊したり、コロナがあったりさ、気候の変動とか世界情勢とも戦わなきゃならないし、従業員は言うこと聞かないし…」