結果の受け取り方」を工夫する方が建設的

すこしずつ自分をゆるめて癒していき、いまとなっては、しあわせかどうかとか、何がしあわせなのかとか、どうすればとか、もうどうでもいいことに思えます。そんなことで悩む時間がもったいないし、そもそもそれは楽しくないし、だったら好きな本を読んだり音楽を聴いたり、寝転がってもふもふしてるほうがいいな~と。
でもきっとそれがいわゆるしあわせな状態なのかなあと。

 

 

 

 


もう頑張らなくていいし、夢を途中で諦めてもよいと「今」の私が1番安心する「がんばらない」選択をして過ごしています。

安らかに、心豊かに居心地よく…そんなことが何よりも大事だったと「今」は思えます。
身体も喜んでいるのがわかります。

昔はそんなこと思えなかったけど

 

 

 

「自分にとって本当に必要なモノだけ残す」  「本当に必要なモノ以外は捨てる」

 

 

 

 


実は、幸せを感じながら日々を過ごしている人は、モノをほとんど持っていません。

日常に満足できるほど心が豊かな人は、お金やモノがありすぎると幸せが離れていくことを、知っているからです。

 

 

 

 


ずっと生きていられるわけじゃないんだから

サクサクお金作って、

そのお金で人生を自分好みに彩りたい

 

 

 

貯金の本質は安心感を得ること

 

 

 

 


副業を始めますが、この段階で目指すことは、「お金を稼ぐことではなく、娯楽として楽しむこと」です。 副業を娯楽化できれば、自分を楽しませるためにお金を使う必要がなくなります。

 

 

 

日々の暮らしを楽しむには、もっと非効率に、もっと不合理に暮らしたほうがいいです。

 

 

 

 


ギリギリのレベル、ギリギリの装備で敵と戦うからこそ、そこには緊張感が生まれ、勝利したときの達成感が生まれます。

 

 

自分で野菜を育てる最大のメリットは、 「泥だらけになりながら汗水流して体を動かすのが、シンプルに気持ちいいこと」

 

 

 

僕が1番お金を持ったほうがいいと思っている理由は、

自分が本当にやりたいことを知って欲しいからです。

お金に不安がある状態だと、「自分のやりたいこと」に気がつきにくいと言うことです。

 

お金をある程度持つと、本来の自分が出やすくなってくるし、自分じゃないことをやめたくなっていきます。

 

 

 

お金がない状態だと、どうしても欠乏感やら罪悪感から選択してしまう。

たいして欲しくもないものを欲しいと感じたり、たいしてやりたくないことをやりたいことだと思ったり、偽りの自分が本当の自分だと思ってしまいます。

 

 

 

 

 

 

けもの道人生をひた走ってきた身からすると、人生がうまくいったと思うかどうかは「ただの結果論」「当人の受け取り方次第」でしかない。前にEテレ「オイコノミア」でも言っていたが、人生の大半は単に運に流されているだけだと思った方が良いらしい。ならば「結果の受け取り方」を工夫する方が建設的

 

 

 

 

人間いつか死ぬ」「私がいなくても地球は回る」と自分自身に言い聞かせていたら気持ちが楽になり、体調不良もなくなった。

 

 

 

自分にできることを最大限駆使して伸ばしている時間こそが最高に充実した今を生きているということ。

ひたすら目の前のことに夢中になる。

そしたら結果が出るし、そうしないと結果は出ない。

自分の手の届く範囲のことを一生懸命やることが一番の宝だ。