必要無い事や気持ちの湧かない事にお金を使うのは心の健康に良くないと思います。

f:id:rockmanlife123:20211028034345j:image

高齢になってから資産が減らないのは、富豪の方が使い切れないお金を捨てようと思ってカジノに行気、増やしてくるのと同じ現象が起きるのかな?とも思いました。

0に向かっていくと、無理して使う脅迫観念が出てきそうです。お金の使い方が雑になり、今、自分の中で育てている価値のあるものを選択する事を失くしていくような気がするので、1つの考え方とは思いますが反対です。

 

 

 

それはそうと自分の場合は遺産相続の問題が起きないように子供に残すことは考えてないです、子供にはただお金を与えるよりも稼ぎ方をしっかり身に着けさせておけばお金をあげなくても困らないと思ってるからです。

 

 

 

今、53歳で9300万円。55歳になった時には順調に行けば1億の資産が出来ている予定です(また暴落が起こるかも知れないけどw)

で、55歳で退職し、セミリタイアに入るつもり。

仕事はそこそこにして、見たい風景、食べたい食べ物、働いていた時は出来なかった時間を使った余暇を楽しみたい。でもまた飽きて働くかもしれませんね。

そんなこんなで、運悪く60歳で死んで7000万円残して死んじゃいました~!てなことになっても、別に良いかな。

生涯独身で、辛い事や、惨めな事も多かった人生でもありましたが、ちょっと多い目の資産も出来たし、今現在は、あれこれやってみたい事を、思いめぐらせることのできる、意欲と健康がある。

お金がすべてでは無いけど、希望と選択肢を提供してくれる状況はそれだけで価値があると思います。

 

 

 

キリギリスの生き方を、たぶんアリは憧れていないと思います。

しっかり蓄えた「お金というスーパーアイテム」を「価値と交換したい」という余生があるのは羨ましいこと。

倹約し蓄えを成し得た人ほど、「足るを知る」スペシャリストに成っているわけですからね。

お金は城のようなもの。大切な人を守れるも増える。

稼いだ金を使い切って道端で死ぬのも粋かもしれないが、築き上げた城で死ぬのも悪くない。

 


人生の出口戦略は、これからの一大テーマになるかと思ってます。

どデカい家に生き残ってしまって、1人暮しの富裕層の方の苦しみも有るんですよ

深いんです、なんとも

 

 

 

使いきる資産がないから気楽です。ZEROでしか死ねないの私。。。

 


老人でお金をもってると周りが優しくしてくれると勝間和代さんが言ってましたが、その通りだと思いました。

老人になった時に

孫にお年玉とか進学祝とかを躊躇なく渡せる位の豊かさを保ちたいですね。

 

 

 

57歳男性会社員です。私は【DIE WHTH ZERO】に賛成です。来年3月で早期退職し退職金と預貯金を取り崩して無職で過ごし65歳から公的年金を受給したいと考えています。妻と3人の娘との同居、一戸建て持ち家所有でローンは完済しています。私は海外旅行に行きたいとか、いい車が欲しいとか、いい服が着たいとかという欲はなく、まあ食べ歩きと読書、PCゲーム、「観る将」くらいできれば幸せです。ボーっとして一日過ごせるタイプです。隣に住む80代の老親の様子を見ていますと確かにほとんどお金を使っていません、というか使う体力・気力がないと言っています。もらっている年金は貯まる一方です。また、知り合いの80代の認知症のお婆さんは病院のベッドで経鼻栄養補給でただ生きているだけです。結局、75歳くらいまで、健康年齢に達する前までにしかお金は有意義に使えないんだと思います。人生、見切りが大事かと思いました。投資の話は私には響きません。資産運用・投資は失敗する人が多いと聞きます。よく資産運用や投資の話をする人は失敗の可能性が大きいことをあえて詳しく語りません。また仮に資産を増やすことができても使う間がなければ意味がありません。また、国や社会は人生100年時代といいますが、そもそも現在50代の人間が100歳まで生き残る可能性は何パーセントなんですかね?1パーセントもないでしょ。それに医療技術の進展があったとしても、少子高齢化社会保障制度の水準が今のままで推移することを前提としての議論には疑問があります。空き家や独居老人だらけの近所の様子をみても若いうちが華だなと思います。

 

 

 

私は欲しくも無いものを無理に買ったり、やりたくも無い事に無理矢理お金を使う必要は無いと思います。お金持ちが寄付をするのは、お金持ちが寄付をしたい気持ちが湧いたかもしれません。必要無い事や気持ちの湧かない事にお金を使うのは心の健康に良くないと思います。

 

 

 

今年に入ってから、現在は自由を手に入れてますが、やはり仕事をし続けて資産は増やし続けたいなと思います。母との二人暮らしでお金はあまり使わない生活です。

 


正直、億を達成してもまぁこんなもんだよね程度しか感じませんし生活も変わりませんし更にコンパクトライフにしたいそんな日々ですので将来がある甥や姪が生きる過程で何かを感じた時の助けになれたら良いと思い資産は残すつもりです。

 

 

 

ゼロで死ぬ方向を地で行ってます(笑)。

それを「自転車操業、でもハッピー」と自分に言い聞かせていますが、健康が害された時がネックだと思います。

保険はかけてますが、最低限の葬儀代以上の貯金は無いっす。50代で夫婦だけ、子供もいません。

毎日を楽しんで、来週のご飯の心配がなければ良いか、ぐらいの感覚で生きてる自分がめっちゃメンタル強いのかもしれへんって時々思います。特に学長のビデオ見始めてから。

もうちょっと貯める方向で、でも基本ハッピーゴーラッキーな人なので、こんな感じなんやと思います。あっはっは!😜

 

 

 

うちの父は家族がお金に困らないようにと毎日株式情報を入手してせっせとお金を増やしています。本人は身体が衰え、外出もあまりせず、物欲はほぼ皆無でほとんどお金を使いません。一方、妻である私の母は旅行に行きまくり、理解も出来ないのにパソコン教室に通い、漆塗りの高いパソコンを買わされたりしています。父が哀れだなと思う反面、母はアホだけど幸せだと思います。

 

 

 

「いつでもとんかつ定食が気兼ねなく食べることのできるぐらいの生活。これが幸せだ。」

まんが「美味しんぼ」の中での名言です。

自分は、ずっとこれぐらいの生活でやってきました。これからも、そんな生活が続くだろうと思います。

この幸せをずっと続けていき楽しく生活していきたいと思います。

 

 

 

父が1年半前になくなり、1年前に子供を授かり、半年前に母をなくしました。遺産は数千万円ありました。

遺産貰う前、私自身は住宅ローン等一切のローンもなく、資産形成で老後問題もすでに解決しています。が、何かあると不安なのでお金は無駄なことには使わずにコツコツ貯めて資産運用もしてながら、子供にもできる限りのことをするつもりです。

話しはそれましたが、父も母もお金を使うことで幸せを感じない人で、自然とふれあうのが好きな父は山菜採りや釣りをして、知人に配りお礼に食べ物をたくさんもらうのでお金はあまり使わず、母は洋裁が趣味で家族や知人の服ばっかり作っていました。新しい家に住んだり、旅行にいったり等勧めても、今で十分だし幸せだからといつも言ってました。毎年株の配当金がいくら入ってきてるか知ってましたので、ザックリとした資産は把握してました。両親がなくなる前の私は、お金を残して逝ってしまうのは、馬鹿げてもったいないだろう。と思ってましたが、死んでからもお金はかかるから、残しておくわ。とよく言ってました。

結果、お葬儀代等すべて私の負担はなく、法事等のすべてそのお金でできるので、感謝してます。

妻は娘を抱っこして毎日仏壇に手を合わせてくれていますし、何より家族を大事にしていた両親にとっては      喜んでくれていると思います。

 


いくら残したか、いくら遣うかも大事なんでしょうが、誰のために、何のために残しておくかが大切なのではないでしょうか。

 


中年、一人っ子、両親も死んで独身でそこそこは持ってるので使いきって死にます。コロナが終わったら海外旅行しまくる予定。

でも最期の入院費などのために500万くらいは残しておくようにします。

 

 

 

53歳で死んだ僕の父親はタバコと酒をやめた事を後悔してました。他には特に趣味も無かった人なので。好きなこと優先か健康優先か、どちらにしても後悔するパターンもあるんだなと思いました。

 


裕福じゃないけど、自分でそこそこ美味しい食事を作って食べていることは幸せだ。

 

 

 

昔、友人に後悔した事あるか?という質問に「後悔なんて存在しねぇよ。そんなもん考えて何の意味があんの?」って言われた事が一番インパクトだった。別に後悔なんて言葉は存在しないと思っています。

 

 

 

後悔するより、まだ今出来る事に心を集中させた方が良いのでは!死ぬまで努力し続けたら後悔する暇無いのでは!諦めるのが早過ぎ!

 

 

 

無用の用」って言葉を著してます!

ムダだと思われる事に実は

大切な要素が隠れている事があるって意味です。

この本の紹介で感じた事は

死ぬ時に後悔しない生き方に拘るより

人生にとって後悔する事も大切なだって思えるような生き方がしたいな!

って思いました。