大丈夫を増やしていくことが成長。 増やしていくといっても、 元の自分に戻っていくこと。 これまでにどんどん重ねて着てきた 鎧を脱いでいくこと。

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「隠居生活をしていると、買いたいものがなんでも買えたり、行きたいところにどこでも行けるわけじゃない。むしろ経済的にはできないことの方が多く、とても不自由に見えます。なのに、実際はなぜか毎日ハッピー。これはどういうことかというと、隠居生活のなかで、楽しみごとをお金に依存しない方法が身についたからだと思っています。・・・もうひとつの自由って、『幸せをお金に依存している状態から自由になること』なんですね。お金があってもなくても、どこで何をしていても、ハッピーを感じられるような心のありかたと言いますか。ここではないどこかではなく、身の回りの身近なところから、楽しみごとを見出していくこと。それがやがて、お金があってもなくてもどちらでもハッパーな生活につながっていきます

 

 


炭酸泉にゆっくり入って、天気がいい日に露天風呂なんて入って、出た後にお昼ご飯を食べたりなんてしちゃったら、「私、前世でそんなに徳積んだ!?」と思えるくらい幸せを感じるんです

 

 

 


私も仕事を減らして、生活にかかるお金も減らしてみたところ、働いても働いてもお金の心配をする生活から、
あまり稼いではいないけれど経済的に自由を感じるようになりました。
少ないお金で豊かにする工夫を考えるのも楽しいです

 

 

 

「東京での6年間の隠居生活が破綻しなかった理由のひとつは、社会や他人からの『いいね!』を求めなかったことだと思います。・・・誰からも褒められもしなければ、けなされることもない。ですから、他人の言動に影響されることなく、自分の実感するところに従って、よりよい生活をつくっていくことが容易にできました。・・・世間の評価というのは、数年で、ひどいときには数日で変わってしまう、当てにならないものだということは、覚えておいたほうがいいです。そんないい加減なものの上に、大切な自分の生活を築いては危険です」。

 

 

 

 

 
自分が持っているステータスを基準にして動かなければ
ただ自分をないがしろにして責めるだけになってしまう。

自分のステータスを把握して
活かしたり、諦めたりする。

それが「自分を認める」「自分を大事にする」ということに繋がるのではないのかなと
思いました。

 

 

 


「生きる意味とは?」という問いについて。
「生きていることにもう何にも期待が持てない」
こんな風に何かに対して期待をすることをやめようとも伝えていた。
そうではなくて逆に自分が問われていることに気づくべきだと。

与えられた運命に、苦しみに、出来事に対して
お前はどう生きるのか?
それは状況、瞬間ごとに毎回問われ
私たちはその都度答えを出していく。
そういうことが求められているのではないかと。

 

 

 

周囲の人の素晴らしい部分を見つけに行くと、
今度は周囲の人達が
自分の素晴らしい部分を見つけてくれると
無意識で思うようになる。

無意識で思ったことが
どんどん実現化していくから、
投影のメカニズムを知って活用すると、
結構絶大な効果を出すんだぜー

 

 

 


「あれが幸せだから」
そうと信じて手を伸ばしても、手に入らない。
 
「もう知らん」
今まで幸せと信じてきたものに
手を伸ばすのをやめたら、幸せが手に入った。

 

 

 

変なこと言うけど
この世って全部、細かくしたら原子だの素粒子なんだよ。岩も人もぜーんぶ同じ。
たまたま今、密度がちょっと集まってるかな~って状態ってだけで宇宙の歴史みたいな時間感覚の中では一瞬の事よ。
言ったら他人なんてのは林檎の木やミカンの木と同じだから林檎の木は林檎しかならないしミカンもそうだから期待するも何もないよね。
主も、主という木なんだから好きに自分でいれはいいよ。そのままでいいんじゃん。
そんな主の事、嫌な人は避けて通るし問題ない。
主の人生は主が主人公だから遠慮すな♪

 

 

 

私、失敗がこわくてこわくて、
なんとか失敗しないように
いつも先回りして、
 
 
失敗を防ぐために
できる手立ては思いつく限り
ぜーーーーんぶやって
いっつも、
備えに備えていた。
 
 
その結果、
疲れてた(笑)

 

 


神様に、
ひとり分の人生の時間をもらって
「人生を遊びに」この世界にやってきたんだ、
 
いろんな「体験」をしに
この世界に遊びに来たんだ、
 
 
そんな風に思うようになって
「失敗という体験もしてみたい」って
少しずつ思うようになった。

 

 

 

自然にしていると、
物事は「進んでいく」もの。
人間の体だって、常に新陳代謝している。
「変わっていく」のが自然な形。
 
 
それなのに
自分だけ同じ場所に
とどまろう、とどまろう、とすると、
置いていかれる。
 
 

 

 

 
失敗したくない、というのは
「うしなう」ことや「まける」ことが嫌だということ。
 
 
それはつまり、
減らさないようにばっかりしてる、ということ。
 
 
たくさん「ある」のに、
減らさないように
増やそう、増やそうとして、
 
 
「やっといた方が得」なことばっかりに
エネルギーを使っているということ。

 

 

 


それまでは
失敗したら
「価値が減る」「評判が下がる」(失う、なくなる)
と思ってた。
 
 
でも

失っても
そもそもいっぱい「ある」から
大丈夫や
と知った。

 

 

 

 

失敗したときは、
リカバリーしようとしない
言い訳しない
取り繕うとしない
隠さない
 
 
失敗は失敗のまま、
そのまま目の前においていくと
「大丈夫だ」が分かる
 

 

 


大丈夫を増やしていくことが成長。
 

増やしていくといっても、
元の自分に戻っていくこと。
 
 
これまでにどんどん重ねて着てきた
鎧を脱いでいくこと。

 

 


本来
ナチュラルに生きていれば
変化して進んでいくものなのに
 
そこに留まろうとする人たちがいて
それだと
滅びていくことになる。
 
 
変化しないまま
失敗が怖くて守りに入り
武器や鎧をつけて
重くなってゆく。
太ったり
糖尿病になったりする。
 
 
周りは変化して進んでいくから
 
自分が変わらないままだと
バックしていくようなもの。

 

 

 

自分で何かを得たなんて幻想さ
俺らは自分の体を含め、もらったものだ
全てのものは授かりもの
だから「何かを得よう」と思えばうまくいかないのは当たり前
「感謝を味わいつくそう」ってやると好転するよ

 

 

 


 「生きちゃってるから仕方ない。」

のとこに個人的にオオウケした(笑)


そだよねー
生きちゃってるからしょーがない

なんとかするもよし
なんもせんもよし(笑)
なんとかしようとして
どーにもならんのも、またよし(笑)


生きてるってスバラシイ(・∀・)

 

 

 

 

考えてみたら、得意なものはチョロいと思ってるからか、失敗しても深刻にならずに、ここをちょっと直せば上手くいくんでしよー、とエラーの後のトライが素早く出来てる。
得意でないものは失敗すると、やっぱ駄目…、もう駄目、と深刻に思って、次のトライを諦めたり、時間かかったりしてる。
ってことは、得意でないものも、失敗しても深刻にならずに、だよねーミスするのなんて普通だよねー、とさらっと流して次のトライすればいいのかも。

 

 

 

最近よくあるけれど、自分の人生設計をしてしまうってつまらんですよね~!
一人で生きてもいいかと覚悟した矢先に、年下の男性に一目惚れされて2週間くらいで婚約して、結婚しました。
今も仲良く、とても幸せです。思うことは、自分の楽しさや心地よさを誤魔化さず、自分に妥協しなくてよかったなぁと強く思っています!

 

 

 


人ってどこか鎧をつけて生きていますよね。
社会はなかなか厳しくて、そう勝手に思って、、、
しっかりがっしり鎧を身に纏って平気なふりをするクセも身につけて。。。

でも、その鎧を脱ぐととっても楽で、まるで羽がついたように軽やかに歩ける。

弱い部分認めることは強さだったりする。
優しさも強さですよね。

これからも、軽やかにナチュラルに笑顔で歩きます。私らしくマイペースで♪( ´▽`)

 

はっちゃん最高

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