「もしかしたら、今のままでも十分なんじゃね?」
と気づいてから、
そこからはひたすら引き算しました。
仕事も
人間関係も
努力も、引き算。
「今の自分で100%」を毎日唱えます。
自分のことが好きじゃなくても、嫌いな人がいても、
それでも自分は100%なんだ~
だから愛されちゃうんだ~
調子乗りすぎですか?笑
「ほっときなはれ」
「手は打たなくていい」
「信じて信頼して待っててみなはれ」
「ダメだけど素晴らしい」
これを「思う勇気と覚悟があるか」ということです。
ダメな自分に、負けて
素晴らしいみんなに、負けて
そして
素晴らしい自分に負けて
素晴らしい自分を認めてしまおう。
いまから
人生変わるよ(*^▽^*)
もしかして、人間って
頑張ってどうにかしようとしなくても、
ちゃんとどうにかなるように出来てるんじゃない?
と言うか、そもそも問題視しなくて、
ほっとけばいいんじゃないの?
と、思うようになりました。
自然治癒力と言うのとは違うのかもしれないけど、
色々しないでほっといた方が良くなるのかも?
「答えが分からない、そういう時は何もしなくてもいい時」
自分が余裕のある状態をキープすることがいきやすさにつながるのかなと。
与えられるし、条件だけに縛られずにすむ、居心地の良さを優先できる。
余裕があるというのは、金銭的にもなんだろうけど、心の余裕かなと思う。
どんなにお金があっても心に余裕がないならあんまり意味が無いというか、、、
そんなふうに思うと自分に心の余裕を与えることが真っ先にすることだなあと思いました。
じゃあ心の余裕ってどうやったら増えるのって考えると、
素直に考えれば心の容量をおおきくするか、心に置くものを減らすか、だよなあ。
女の幸せについて、特に考えさせられました。
私は寡婦で十年以上前に夫を亡くしました。
子供は三人、まだ小学生の子もいました。生命保険も医療保険も夫にはかけていませんでいた。ずっと専業主婦だった私は途方にくれました。どうなるんだろう、不安でいっぱいでした。 細々働き出し、最初は人間関係でいっぱい悩み、何度か転職もしました。遺族年金も十分な額ではありません。
それでも、二人大学に出し、一人専門学校を卒業し、三人とも立派な社会人になりました。結婚した子もいます。孫も今年生まれます。 仕事内容も今の接客業が一番性にあっています。働く仲間にも恵まれて毎日楽しいです。 自転車操業だったお金のやりくりも、今はたまる一方です。
でも、夫のいない寂しさは例えようもなく、何を見ても、何を食べても、一緒に味わいたかったと思う気持ちは変わりません。
人をうらやましいと思う気持ちが私にはあまりないですが、お店で仲のよさげな老夫婦が来店されると、最初はちょっと切なかったです。
でも、今は、どんな人にもその人なりのドラマのような人生があり、切り取った一部分だけでは、他人には何も見えないものかもしれない、と思うので、 何かの縁でうちのお店を選んできてくださったのだから、うちでお食事をされるひと時は精いっぱい楽しんでいただこうと思うようになりました。
悪感情を抱くことも、もちろん私にもあります。 でも、それに引きずられてる時間が私にはもったいないのです。 自分にあとどれくらいの時間が残されてるか、神様しかしらないことですから。 親の小さくなった背中をみると、この年まで生きてくれた奇跡に感謝したくなります。 決して、よい親子関係ではありませんでしたが、夫を亡くした私を子供三人とも実家に住まわせてくれたのですから、どんなに感謝しても足りません。 女の人生には、結婚、出産、育児、介護の当事者として生かされる時期があります。その上に仕事も家事も看病も。 その時には先が見えなくて、不安で一杯でも、どーーーにかなるんだなあって今は思います。 女の人生、フルコースを味わっちゃいましょうね。