雪景色。豊かだなぁ。
「自分の評価が下がるのを受け止める勇気。」
この一言に尽きるな、と感じました。
残念な人になることを覚悟する
がっかりされても、いいじゃないか
期待に応えることを手放すには、何を受け入れればいいのでしょうか?
それはがっかりされる人になるということです。
自分の得意なことを手放して下さい。
自分の手柄を捨てる。どんどん人にわたす
褒められることを手放すというのは、つまり役立たずになることですから、ビジネスに関わっている人にとっては、かなり怖いことかもしれません。
私がそうしたいと思った。これが一番大事
誰かが困っていても、知ったこちゃない。
誰かになにかを言われても、知ったこっちゃない。
子供が勉強しなくても、知ったこっちゃない。
冷たいと思われても、知ったこっちゃない。
「その問題は、わたしの問題ではありません。」ということです。
ドキドキしますね。
こんなふうに、周囲に対して距離を置いたら、冷たい人に見られるでしょう。無責任に見られるでしょう
すべてを諦めなさい。
すべてを捨てなさい。
早く終わらせなさい。
無駄な抵抗はよせ。
もうカッコ悪くてもいいやん。
ようがんばってきたのう、もうええじゃろ。
「助けて」「手伝って」「できないねん」「ごめん」
これを体験して繰り返す必要があるのです
わがままで、身勝手で、つねに自分の都合を優先させるような人間になること
私もこの言葉使うことにします。 「1ミリも関係ない!」 ハー、すっきりヽ(^o^)丿 何もかも自分(の罪悪感や至らなさ)と 結びつけるなんて、なんて傲慢な考え方を してたんだろう。
魔法のうたⅣの ウソつき が大好きです♪ 泣けます しみじみ。。 そして、仁さんみたいに「成功」してるひとでも そんな、立場の人でも 自分とおんなじように、引き裂かれるオモイや 悲しい気持ちになることもあるんやで、って 思ったら、いわゆる「成功」しとっても してなくても、人生いっしょやん、どっちにしろ、素晴らしい どっちでもいいんやん、ハッハー❗ って思えました(^ー^)
うん、体験そのものが全て愛だと思う。それに対する感想は関係ない。 あるに気が付くか、気が付かないかの話だと思う。 選別して、こんなの愛じゃないと言いたくなる気持ちも愛だから、いつかほどけるといいなと思う。
愛はきっと奪うでも与えるでもなくて、気がつけばそこにあるもの。 いつだっておかしいほど誰もが誰か愛し愛されていきるのさ、それだけがただ僕らを悩める時にも未来の世界へ連れてく。
『愛=心が向かうこと』だと思っていたので、 『愛しているけど無関心』はちょっとわからない。 でも、『愛』は自分が思っていたより、 幅広いものなのだということはわかる気がする。 自分が心地いいものばかりじゃないんだろう。 包み込む愛、認める愛、ほほ笑む愛、許す愛もあれば、 憎む愛、支配する愛、にらみつける愛、許さない愛もあるのかも。 どれも愛なのだから受け取ったほうがいいんじゃなくて、 自分が嫌だと思う愛は受け取り拒否していいんじゃないかな。 「それはあなたの愛なのね。わかりました。でも要りません」 って、嫌なものは断ろうと思う。
そうなんですよ!疑うんですよ やりもしないで ダメでしょ?とか、無理でしょ?とか やる前にぐたぐた言って そのものの見方は染み付いてるから 本当にバンジージャンプを飛ぶみたいにしないと かわらない きづけない 体感できない やってみたらおもったよりよかった
30才超えると自分に主人公感が無くなってくるからか他人からの評価も自分自身への評価も急激にどうでもよくなってきて焦燥に潰されてた20代より余程楽しいのでとりあえず30+あたりまで生きるのおすすめです
20代に焦燥感に追われながらも培った事が、肩の抜けた30代で生きて、評価とか気にせずに大胆に動けるようになるのも、30代の楽しいところですね( ´∀` )
30手前くらいからいろいろ面白くなってきたというか面白く捉えられるようになった気がする
めっちゃ人に会いまくる。
世間も周囲もあなたに大した興味がないので、他人の視線なんて気にせず、
もっとのびのびと楽しんだらいいと思います。
しぶとく生き残ろう!辛いと思うのは、人生を真剣に、よりよく生きようと考えている証。悪いことではありません。ただ、人生と戦うのはやめましょう。
たいてい、戦ってしまうのは、思い通りにならないとき。でも、思い通りにならないときに、戦っても、あまりうまくいきません。運良く、うまくいっても、自分が疲弊してしまっては、その戦いは負けです。
人生は、勝たなくても、負けなければ良いのです。負けないとは、とにかく、生きること、逃げても、例え、恥をさらしたとしても。生きていれば、そのうち、運が向いてくることもあるし、状況が変わっていくことを体験できるでしょう。そのなかに、思い通りになることも、いくつか、でてきますよ。
スピリチュアルだと、自分の内面を変えて、どうのこうのって説明があるかと思いますが、一番手っ取り早いのは、できるだけ放っておくことです。もちろん、命の危険があるとか、実害があったら、そのときは、しかるべきところに相談するなり、なんなりの方法も必要だと思いますが。
これは、武術の心得とかにも通じるんですよ。武術って、勝つための技の練習だと思うでしょ?でも、違うんです。生き残るための術なのです。だから、戦って勝つためだけの技ととらえた時点で、負けです。状況に応じて、逃げるもありなのです。
その基本姿勢こそが、冷静な状況判断と的確な攻防を生み出せるというわけです。これって、日常生活にも通じるでしょ。勝とう、なんとかしてやろうと、はやるより、目の前の基本的なこと、ごはんをしっかり食べるとか、今できることをやるとか、規則正しい生活をするとかができていれば、自然に生き方が整ってくるのと一緒です。当たり前っちゃ、当たり前ですけど。
また死にたいと感じている人たちは、今の自分の環境から逃れることができず新しい世界へ一歩を踏み出すことができないでいます。
単純に言えばコーヒーが飲みたいと思ったら、自分で台所に入ってコーヒーを作って自分で飲んでしまうことです。
苦しい生活習慣を継続するのは、馬鹿です
成長するということは
今まで知らなかった世界に手足や心を伸ばすことかもしれない。
過去に経験したことのない世界
「こわいよ」と言われた世界
一度失敗した世界
そんなところに行くのが、成長かもしれない。
常識がない人=頭おかしい人って思いますよね? ということは 私は私にとって「頭のおかしい人になってみる」って思うようにします。 すると、すごく楽になります。 罪悪感が薄れて、楽しいことばかり思いつきます。
恐怖心というのは、
繰り返すと「減る」のよ。
不安感も
繰り返すと「慣れる」のよ。
どーせ、
大丈夫だとわかるから笑。
怖いのは「不慣れ」なのよ。
不安なのは「慣れてない」からなのよ。
そんだけ。
↑
慣れると、減る。という当たり前すぎるけど超強烈な仕組みだ(・∀・)これを使えばいいのだ。
やりたいことやる→キラキラした自分になる→人に素敵だと思われて自分のことも好きになれて認められる→存在許可証がもらえる 結局、何するにも、
存在許可証ゲットするために動いてきた(または存在許可証がないから、と堂々と動けず引きこもってきた)なあ。
今だって、結婚や出産への焦りや不安は、存在許可証が得られないことへの恐怖なんだよなぁ 自分で自分を認めようとしても、他人にそんなんじゃダメだよと言われたり、見下されたりすると、すぐ心が折れてしまう
「役割」に追い立てられて
「人間」を忘れてきてしまう。
人間を忘れたら
自分の「魅力」もなくしてしまう。
そしたら
ひとは離れていきます。
そんなに
「立派ぶらなくていい」