そういった甘言をくぐり抜けた先に広がる世界は、きっとめちゃくちゃ退屈な日常だと思いますが、それを「おもんないな~」と感じるのは、あなたがおもんないからです。

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フリーランスにおいては「人脈が大事」と言われることが多いですが、そこで重要なのは「自分を応援するために仕事を投げてくれる人の数」ではなく「信頼してオーダーしてくれる人とそれに応えるだけの実力」であって、仕事をする上で「技術的には劣ってるけど、友達だしこいつに頼んどくか」という判断が往々にして失敗の原因になるこ

 


「アーティスト」を名乗られておられるのであれば、そういった「チャレンジを面白がられること」ではなく「作品の価値」によって評価されるのが本筋ではないかと思います。

 


「すごい」と思われたければ「すごいこと」を実際にやればいいという話で、その「すごいこと」の「すごさ」をどう伝えていくかみたいなところは、あくまでも「すごいこと」ができてからの話です。なので実態が伴わないものを「こんなにすごい!」と囃し立てたところで、それはブランディングではなく単なる喧伝であり、ブランディングには根本のところに「実績」や「信頼」といった確かなものが存在している必要があります。

 


「そのために必要な資質は何か」「その資質を示せる実績は何か」「その実績を作るために何をすれば良いか」というところからちゃんと整理して、その上で一貫性のある言動を心がける必要があると思います。

 


自己認識と現状の実像が一致した段階からでないと「じゃあどうすれば良いのか」というふうに考えることができないので、イメージを良くする為に何をやっても結局空回りになってしまいます。

 


まずは周りをよく見て、相対的な自身の立ち位置を正確に把握することが必要で、その上で「何故自分のポジションはここなのか」「理想のポジションに行く為には何が必要なのか」を考える必要があると思います。

 


他人に支えられないと維持できない程度に脆い自己同一性(アイデンティティ)は自己同一性とは呼ばないですし、必死になって守る程の価値は無いです。

 


自己救済の為に作ってる

 


社会から外れて「自由に」暮らすことは、高いサバイバビリティを持っていることが必須条件となりますが、実際にそんな能力と最後まで貫く覚悟を持っている人はそんなに多くなくて、なんとか食いつないでいる人が圧倒的多数ですし、それどころか「俺にはこれしかない!」と近視眼的になってるだけで何もできていなかったり、与えられたロールで「やれてるつもり」になってたりする人もかなり多いです。

 


平成狸合戦ぽんぽこ」の終盤において、人間に化けることができたタヌキの一部は人間社会に溶け込み、苦労しながらも生き長らえることが出来ましたが、人間に化けることが出来なかったタヌキは更に森の奥深くに住処を移したり、人里でゴミ漁りをしながら生き延びたりする一方で、自ら死出の旅路に出ることを選ぶものも出てきました。

 


人間は本質的にこのタヌキ達と同じで、洗練された教育によって訓練されたからこそ大半の人が化けれられるというだけで、少しでも気が緩んだり体調を崩したりすると尻尾が出てくるものだと思いますし、何かのきっかけで化けれなくなることもあると思います。

 


「自分の力も弁えずに戦場に出てきたやつが悪い」

 


古代の戦において若者たちが功を焦る余りに勇み足で死んでいったのと違って、インターネットの戦において実際に命を落とすことはないですが、むしろ「死」という形での強制退場が無くなってしまったことによって、死に場所を失ってしまった「ゾンビ=何者かになろうとし続ける人」が出てきたのではないかと思います。

 


「何者かになろうとしている人」がその自己同一性の不安定さ故に「安心感を得る」という目的のために集まっているのが『界隈』の正体な気がしていて、インターネットによって劣等感の地雷に溢れた現代社会において、いわばシェルター的な役割を果たしているようにも思えます。

 


「何者かになる」というのが自分を構成する箱の中身を埋めていく行為だとしたら、やはりそれは事実の積み重ねによって構築しない限りは脆弱なままだと思います。

 


目の前に降りかかることを楽しむように心がけていたら、いつの間にか自分だけのポジションに到達してる

 


明日にはどっちに転ぶか予想できない社会なんだから、せめて目の前のことを楽しんでたら良いことあるかもしれないぜ

 


ここで大事なのは「自分の足で」というところだと思っていて、「何者かになろうとする人」の多くは、自分の足が着いている場所を正確に把握できおらず、一足飛びで別の島に行きたがる傾向があります。

 


自分のリアルな立ち位置を受け入れるところから始めていかないと、本当に文字通り「地に足の着いた」行動は取れないと思います。

 


こういう夢の無い話をすると「何かを始めるのに遅すぎるということはない」という話を持ち出される方がおられますが、そういう捉え方次第みたいなマインドの話の遥か上位に「費やした時間(=経験)と成功確率は比例する」「老いと共に残り時間は減少していく」という絶対的な真理が存在していることを忘れてはいけません。

 


大体の人は「現状から手の届く場所に行く」くらいのことを繰り返していくしか無いと思いますし、それはキャリア形成だけでなく、自己同一性を確立していくプロセスにおいても同様です。

 


そういった甘言をくぐり抜けた先に広がる世界は、きっとめちゃくちゃ退屈な日常だと思いますが、それを「おもんないな~」と感じるのは、あなたがおもんないからです。

 


本来こういう「何者かになろうとする人」の主な受け皿となっていたのは地域のコミュニティだったんだと思います。ずっと地元に残ってるマイルドヤンキー的な存在は、そのコミュニティの中で「ケンカが強い」「メカに強い」「飯作るのが上手い」といった自己同一性を担保しながら、そのスキルを活かして小さな経済を成立させることで生活を維持していて、ある意味それってイケダ先生の「年収150万円で僕らは自由に生きていく」の完成形なんじゃないかと思います。