そこで彼らに聞いたんだ。『あまり飲まないんだね』って。そしたら『飲んだり食べたりしているのは外国の観光客か田舎から来た連中さ。さもなければ家族連れだよ。ぼくらは飲みにきたのではなく、楽しみに来たのさ』だって。周りを注意してよく見たら、たしかにみんなのジョッキはなかなか空かず、つまみもテーブルにあまり並んでいないんだよ」
豊かな生活にマッチするのは、電化製品より、夏の夕方にボーッとして本でも読める庭です。
ドイツ人にとって家の庭は大切なもので、そこに置くテーブルや椅子に大変こだわります。また、座ったときに視野に入る風景にもこだわります。ドイツ人は庭で本を読んだり、食事をしたりするのが大好きです。だから、草花の手入れは入念に行っています。
大切なのは、おカネを貯めることではなく、貯めたおカネを人生や生活の楽しみに使い、心に潤いを得ることなのです。
分相応のおカネで人生、生活を楽しむ。つまり、心の余裕、リラックスを得ることがが最も重要だと思います。私はそれがその人なりの豊かな生活だと信じています。
最後に。
「自分の道が正しかったのかどうか」
は考えなくていいと思っています。
人は自分で生きているようで
ちゃんと生かされていますから。
いつも最善が与えられてますから。
最善以外の道は
ちゃんと閉じるようになってますから。
安心してくださいね。
俺も鬱とその他精神疾患持ってて手帳も持ってるけど、
もう全てどうでもいいやと思って外で一晩寝たり、山頂で寝たりしてたら外人に写真撮るよう頼まれて、で今その外人と友達の関係になれて、外で寝るのが逆に趣味になってキャンプ始めたから、もう本当に人生もういいやと思う人はまじで訳わからないことを適当にし続けたらいいと思う
贅沢しなくて良いから
毎日ゆっくり過ごしたい
ひとつの作業を何時間もずっと続ける行為は、脳を疲弊させてしまいます。 「飽きたら、やめる」「疲れたら、違う作業を間にはさむ」を習慣づけてください。
①あー私こういうの苦手だな(ダメなところを受けいれる)
②頑張って克服しようとしたけどやっぱ無理だわ(諦める)
③できなくても誰か死ぬ訳じゃないしよくね?これも私の個性だわ。(悟りを開く)
私結婚もしてないし、今は彼氏もいないし、体がさほど丈夫でもないから1日三時間だけのパート。
だからお金もないよー。
でも幸せ。
強制終了してから自分を責め続けて長~い間地獄にいたけど、やっと心から幸せを感じられるようになった。
生きててくれるだけで自分に感謝。
ありがたい。
いくら自分で自分のこと嫌って責めても、私の体はずっと私のこと守ってくれていた。
それに気付いてからは、自分にも周りにも感謝しかない。
嫌いな奴は相変わらず嫌いだけど(笑)
私はもうすでに一生分、自分を責めたから、たぶん飽きたのかな。
自分を責めて不幸にするのは、飽きた。
だから、やめた。
自分のこと幸せにしたいから、受け取るようにした。
人からの愛も親切も素直に受け取ると、こんなに気持ち良いとは……
今まで知らずに損しちまった。
そして気付いちゃった。
私の地獄はただの幻だった。
アホか、私(笑)。
でも、過去の自分を責める気にはならない。
だってあまりにもイジらしいし、頑張ってたし、勘違いっぷりもかわいいもん(笑)。
長年の思考や価値観を大転換させるのに、私はすごく時間がかかった。
私にはそのくらいの時間が必要だったんだ。
そのくらい、偏ってたんだと思う。
…というわけで、私の人生これからじゃい!(笑)
素敵なブログに出会えて本当に良かった。
ありがとう、仁さん。
心が豊かでない、というのは
「ないないない」と考えて、何も楽しんでない。
「あれをしなければ」
「これはしてはいけない」と
世間の目でがんじがらめになって
一番大切な「楽しむ」ということをしていませんよ、
というサインです。
心落ち着けて
大丈夫
愛されている
なんとかなる
落ち着く時間を
自分で作るのです。
例えば、人生=目的地もペースも自由なマラソン大会だとしたら、 「とどまる」は休憩。「行動する」は走る。
たぶん、休憩してたら、走っている人がたくさん目の前を通る=目立つ。
そうすると「休憩してていいのかな?」と焦る。
でも、目的地も自由だから、今とどまっているところがゴールでもいい。
そこが綺麗で空気のいいお花畑なら、わざわざ走らなくてもいい。 そこが大好きなら、そこに定着してもいい。 寝る間も惜しんで走り続けて、誰よりもたくさんのところを走った人は「すごいね!」と評価されると思う。 たしかに偉大なことだけど、必ずしもそれだけが素晴らしいわけじゃない。