厳しい若さ競争で息切れしながら走るより、「わしゃ老いぼれなんじゃ」と老けて見せるくらいのことをしていろいろ配慮してもらうほうが、ずっと気楽で得な生活を送れる。

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次の新しい周期へとバトンを繋ぐために自らは犠牲になり、サポート役に回ること。

 


あなたの持っている強情な「所有欲」をダイエットすることが特効薬です。

 


自分で稼いだ金を、なんの得にもならないものに、還元するなど、この利己主義の社会では、本当に馬鹿げたことに思えます。

 


ここで大切なのは、感性(=センス)の革命です。

 

 

 

世の中の正解を求めてしまうと、自分自身の中にある答え(実力や自然の欲求)との違いに思い悩むことになってしまうのです。

 

 

 

「ああ、桜のつぼみが膨らんだなとか、月が満月になってまた新月になったなとか。これまで、そんなことを気にしたこともありませんでした。同僚が気候のこととか前の日に見たテレビの話なんか口にすると、〝ムダな話ばかりして〟と思ったんです。

 でも、そういう一見、ムダな時間とかコミュニケーションからしか、心のゆとりって生まれないんですね。これまで全然、気づかなかった……」

 ムダを省き、合理化、削減化を極限まで進めていけば、人間の心には必ず無理が生じるものなのだ。

 

 

 

効率的に何かをやろうとすればするほど、むしろムダな時間を大切にすべきだ。

 

 

 

長く楽しく自分らしくやりたいからこそ、少々のムダやだらけは、むしろウェルカム。逆に、ムダな時間を楽しめなくなったら、要注意。

 こういった心がまえでものごとに取り組めば、はっと気づいたときには身も心もボロボロに……といった事態は防げると思う。

 

 

 

そうなってどうする、という具体的な目的はないけれど、とにかく有名になりたい。

 こういう考えが生まれたら、「とんでもないビョーキにとりつかれたぞ」と思って、とにかくスポーツジムにでもカラオケにでも行ってからだやのどを酷使し、その考えを頭から追い出すことをおすすめしたい。

 

 

 

話をすり合わせよう、とにかくひとつの結論に持っていこう、としすぎないこと。お互いすれ違いの会話だって、話すことに意味がある、とハラを決めること。

 

 

 

「卒論は、盆踊りといっしょです。まずお作法や型を覚えること。そして、気楽に踊ること。目立とう、として力を入れると、おかしなものができ上がります。しっかり基本の動作を身につけたら、あとは手抜きしてとりあえず完成できればいいや、と思う精神が大切です」

 

 

 

案ずるよりも産むが易し、じゃなくて年取るが易し。

 

厳しい若さ競争で息切れしながら走るより、「わしゃ老いぼれなんじゃ」と老けて見せるくらいのことをしていろいろ配慮してもらうほうが、ずっと気楽で得な生活を送れる。