私は常々、「何事も〝八十%主義〟でいい」と考えている。いや、年を重ねた近年は、「六十%でけっこう」とさえ思っている。
「たとえば、仕事が忙しくていらいらしているようなときは、あまりしあわせではないでしょう? でも、デスクには大好きな花が飾ってあるから、私は大丈夫。仕事の手を休めて花を見て、『あ……またしあわせになっちゃった』と呟くだけで安らげます。 あと、とにかく食べることが好きだから、おいしい食事をすれば、それだけですごくしあわせになれます。海外に旅行したときなんて、食事のたびに『あっ……またしあわせになっちゃった』って言ってますね。そうすると不思議と、旅がより楽しくなります。
心が安らぐ感覚にほんの少し敏感になるだけで、ストレスフルな毎日の〝ガス抜き〟ができる、心にいい趣味がきっと見つかるに違いない。
「たとい雨降、雪降ともおもしろかるべし。童心の時には雪遊びをせしものと思い出すべし」
自分が変われば世界も変わるということに気づいていない
「変わると、楽しくてしようがなくなるんです」
ユーモアは、自らの「窮地」を笑い飛ばして客観的立場に立ち、解決方法をうまく見つけるための一つの「知恵」ともなっているのだと私は思っている。まずは、なにに対しても「おもしろい」という言葉を発してみることだ。そこから人生は、想定外の楽しい方向に展開していくはずだ。
老後が不安ならお金を貯めるのもいいけど
それ以上に自分の中に何を貯めるのか
自分を幸せにできるのは自分だけ
お金を使って今から自分を幸せにしましょ
「なんとなく楽しそう感」が人を集める
風が吹いていないときは、何をやってもダメだし、逆に、風が吹きはじめたら、何をやってもたいていうまくいく。だから、今は風が吹いていない時期だと思ったら、ジタバタとムダな抵抗はしないで、淡々と過ごしていく。 ただし、いつ風が吹くかは誰にもわからないので、風がいつ吹いても全力で走れるよう平素から準備をしておくことが大切です。
グチグチ悩んでいるより、「今日は1つ面白いことを何かやってみよう」と行動したほうがいい。 今の自分が幸せか不幸かなどは、極論すればどうでもいいのです。 そのようなことをいちいち考えずに、毎日毎日を楽しむ。
いろんな人がいるってこと。
自分ってダメ人間だなぁクズだなぁって思ってても、もっとクズな人間は世の中にいくらでもいるし
自分ではダメ人間と思ってても周りは全然そんなこと思ってなかったりする。
アラフィフだけど、我慢とか忍耐とか努力は報われるとか嘘。
周りを気にせず好きなことやったもん勝ち。
他人(親兄弟も)がどう思おうがどうでもいい。
自分が楽しいか楽しくないか。
周りの評価ばかり気にして生きてきたけどそれが間違いだとやっと気づいた。
現在の結論は、人生は自分への接待だと思ってます笑
他人には気を使っても嫌われるし、助けても損をするし。
自分が望んでいることをしてあげることが幸せだと気がつきました。
職場でもお家でも、自分を最優先してたくさん大事に接待してあげることで、陳腐な言葉ですが世界が変わりました。
自分の人生が他人と違うことを不安に思うのではなく、プライドを持とうと考えた。こんなユニークな人生、誰も生きられないぞ、と。
だけど考えてみたら、人の人生はすべてユニークだ。世界中探してみても同じ生き方は二つとない。
平均や標準モデルと比較しないで、自分の選んだこと、合ってることを淡々としてたらいい。
体力や気力は若い頃より落ちてきてるから、手当たり次第、危険スレスレなことはもうしない(選ばない)けど、それは自分らしさの精度が上がってきてるってことで、より自分らしい体験をこれからは選ぶんだろうなぁ…と思うと、歳を重ねた甲斐があります。
既製の何かに当てはめようと目指すのではなく、自分をますます極めていく作業にとりかかるタイミングなのかなぁと思って、これから楽しみです。
「八」は神様の気配を表し、「向」は窓明かりが差し込む祈りの場の意味がある。2つを組み合わせて、祈りによって神の気配が現れたことを表現する。