ずっとずっと一人で頑張ってきた
両親の介護も
子供が障害児として生まれてからも
ずっと、ひとりで頑張ってきた。
旦那はモラハラ。
行政は全く頼りにならない。
どんなにSOSを出しても、酷い対応。
福祉サービスもほぼなく、
必死に、ひとりで頑張ってきた。
もう、とっくに限界超えてる。
そろそろいいよね。
天国のお父さん、お母さん
許してくれるかな?
生きてるだけで偉いんだったら愛と金をくれよ
才能があって頑張れる奴は良いよ
才能もないし頑張らないし成果も出ない癖にしがみつくしそのくせ何にもないからみっともない
だから殺してくれと言ってるのに、みんな助けようとする
手を差し伸べて欲しい相手には無視されっぱなしなのに
毎日生きてるのが辛い。小さい頃から勉強、部活、習い事、何をやっても長続きしなくて社会人になった今でも職を転々としている。家族からも見放されお金が無く友達と遊ぶ機会も失い次第にどんどん離れていった。何故みんなが出来ていることが自分にできないのか。生きてるのが辛い。同じ世代の方は結婚してる人も多くいるのに自分だけどんどん取り残されていく。いや、まだやり直せるスタートにも立てていない。早く死にたい。死んでいなくなっても悲しむ人はいないだろう。
私の人生。
薄っぺらい紙飛行機。
紙飛行機は、必ず墜落してしまう。
ドローンのように、
この世から、ドローンしたい。
飛び上がりたい。
小学校、中学校の時。
運動会では、必ず惨めなビリ。
大人になった今も惨めなビリ。
一生涯、ビリ。
死にたい、と思います。
仕事仲間も友達も子供も、私を必要としていない。
私が死んでも誰が悲しむのでしょうか?
生きてたらいい事あるよって言う友達。
その人達にはきちんとした旦那さんがいる。
私にはいない。
旦那なんていなくてもいいじゃないっていう友達。
誰にも愛されない孤独を知らないから言えるんだよ。
誰かに必要とされたい、愛されたい。
それが決して叶わないまま生きていくには人生は長すぎる。
もう終わらせたい。それくらいのワガママ許してほしい。
前々からおもっていたことはパパゲーノという名前がついているのだとびっくりして、たくさんそう思う人がいるのだとなんだ、そうか、という気持ちになった。
とても幸せである。ありがたいと思って生きている。死に直面したことも無いくせに、あまっちょろく生きていて大して苦労もしてないのに、死んでしまってもいいかと思う時がある。
家族や母の行く末に私は必要だなとおもうから現実には死なない。
でも、死ぬならば誰がの役にたって死にたい。
自分が今まで生きてきて後悔してることや、やりなおししたいことが頭をよぎるたび、重い気持ちになる。最後の最後くらいは人の役に立ちたい。
もう4月だと思うと。時の流れが早くて
大人になってきたのかなというきがしている。
毎日、めんどくさくて
もう死んだ方が幸せかもと思った時もあったけど
毎日、一つでも小さな幸せをみつけれたら
それでいいということにしようかな。
辛くなってどうしようもなくなった時、ここに来る。
自死という選択肢を選んでしまった方々を大事に思っていた方々の意見がたくさんある。
読んでいると、自分もこんな風に友達を悲しませたくないな、と思う。
自死してしまった方々が「君はきちゃダメ」と止めてくれているような気分になる。
ありがとう。メッセージに救われています。また、ここに来ちゃうことはきっとあります。
何度でも、止めてください。生きる希望をなんとかください。
本当にありがとう。今は、大事に生きようと思います。
仕事、趣味、人付き合い。全てにおいて、生きづらい、なんか違う…と思ってきた。20代の頃から、自分の生きる意味は何かと考えながら、それでもなんとか生きてきて、41才になった。
思えば、いつもいい子でいなければ、と無意識に自分を縛って来たのかもしれない。自分を自分で肯定したり、認めたり、許したり、慰めたり、大切にすることが出来ない。
趣味で、アマチュアのオーケストラに入っている。難しいフレーズを上手に演奏出来なかった日、他のパートの団員に、全然出来てないね、楽譜見てる?音源聴いた?と責められた。結局、「音楽を楽しもう」なんて言ってても、楽しむ仲間、人は大事にはしないようだ。下手なやつは排除したいらしい。結局、上手な音楽を奏でる人以外は、不要なんだ。
復帰しておいで、と言ってくれる人もいるが、残念ながら、排除されるとわかっていて戻る気はない。
自分が、私が、音楽を楽しむ前の段階でつまづいた。他人がどう言おうと、私が楽しみたいと思って行動すれば楽しめるのだろう。しかし、今の私には、自分を、認めてあげることができない。
モヤモヤのまま、この先の人生も送ることになるだろう。
美容師です。頑張っても頑張れてなくて上手く行きません。
出来なかったら殴る蹴る叩かれる首締められる引っかかれる、暴力振るわれます。
これが普通の美容師なのか、他のサロンもおなじなんでしょうか。私が出来ないからダメなんでしょうか。家族とも上手くいかない辞めたい、1人で誰も知り合いのいない所に遠くに行きいたい。死にたいきえたい生きたくない疲れた
つらい、苦しい
そう感じるごとに
このサイトに訪れて
同じつらい苦しいと感じている方のメッセージを読み
思いを共感することで自分の気持ちを落ち着かせている
死にたい、逝っちゃえばどんなに楽になれるだろう
もう何も考えなくても、心配しなくても、もう誰にも迷惑もかけなくて良いと、何度も、いや何百回も考えた
底なし沼から脱出しようにも、何者かの手によって沈められているようで、なかなか這い上がれない
もうどうすればいいの?
「この世から出て行け!」と、言われているようなもの
みんな生活が苦しいから誰も助けに来ない
そんなことは分かっているよ
誰も助ける余裕なんてこれっぽっちも無いんだよね
言うことだけはどれだけでもタダ
言うだけで「後は頑張ってね」と見放す
所詮相談とは有って無いようなもの
私の辛さ苦しさなんて誰も読み取れるわけがない
お金が無いから何もできない
何もできなかったら何の楽しみも無い
楽しみも無ければ生きる意味も無い
生きる意味も無ければ楽になるしかない
楽になろうとしても簡単には逝けない
私が中学の頃同じ歳の男の子が確か大好きなおばぁちゃんに会いに行き東北の駅で自死をし、学年集会で先生達が涙ながらに伝えていたのを鮮明に覚えている、もう40年も前だ。
だけどいじめは年齢関係なく、ママ友いじめ、職場でのパートのいじめ、40.50代でいじめなんて人のラインみんなに転送するなんて次元が低すぎて呆れるのを通り越してそこで働いていた自分が情けなくなった左耳が聞こえなくなってしまったのはもう10年も前の事。何も変わってない、毎日ここに若い子から年配の方まで死にたい死にたいって残している。私は夏に大切な娘を自死で亡くした自死遺族。
でもそれのどこが悪い?自死は悪い事なの?それだけ傷ついてどうにもならなくて自分の命を自分でなるべく迷惑をかけないよう気を遣いまくり最後の最後まで繊細で優しくて自分より人を心配して考えて逝ってしまった。だからと言って自死を肯定はしないけど、
自死遺族とか自死を選ぶ人が信じられないとか刺々しい言葉を投げかけないで欲しい。あなただってそうなるかもしれないよ、って思う。
昨日リビングに行ったらテレビがついていて教場をやっていた。
見たくないけど耳に入る、ほらね警察官目指してる人だって女は可愛い子を妬んでいじめるじゃない、普通に生活してるだけなのに笑顔が可愛いと僻んでいじめるじゃない、いじめのない世界を作るなんて所詮無理なんだよ。私は亡くなったら娘に会いたいけれど、どうしても娘を傷つけた沢山の人間を赦すことができずきっと生き霊になっている、だから娘には会えないのかな。会いたいな。
でももう少しもう少し娘を苦しめた人間達を恨ませて欲しい。ごめんね
死にたい
何の、やる気も起きない
死なないから生きてるだけ
身辺整理を始めたけれど
生きる事に未練があるのか捨てられない物がある
メールの削除、アドレスの削除もしてみた
実際、やり始めたら緊張して心臓の鼓動が
早くなるのを感じた
死にたいけど苦しみたくない痛みを感じたくない
一瞬で逝きたい、ためらわずに
こんなに死にたいのに、いざとなると
本能が働くのかな
死に対して緊張している?ためらっている?
リミッターがはずれない?まだ
もう夢も希望もない
生きていても、恨み辛みの怨念の沼底からは
這い上がれないから
誰かに迷惑かけてしまうけれど
死んで楽になりたい
死んだら、あとの事なんてわからないし
どれだけ気を使っても、どうせ迷惑かかるんだ
神様なんて信じてないけど
いるんだったら私を、あの世に導いてください
生きてるのも怖い死ぬのも怖い
もう、全てが怖い
ただただ、死なせてほしい
今まで「死にたい」とか「私はダメ人間だ」とずっと思ってたけど、それを思えば思うほど死ぬまでダメ人間街道まっしぐらで孤独で居場所も無くなる
結婚だけが全てでは無い
完璧じゃなくてもいい
考えたら悔しい
自分を責めてしまいそうなら
「私は何も悪くない」
と思えば楽になる
大丈夫だよ
幼い頃、母が大好きだった。
父は極度の仕事人間で、私はいじめられっ子だったから、母だけが世界の全てだった。
この先いつか母は死んでしまうのだと考えて泣きじゃくったこともあった。
そのうち、母と私はうまくいかなくなった。
母は理不尽な怒りを私にぶつけることが多くなり、週末ごとに祖母宅に避難する生活が何年も続いた。
今にして思えば、父との関係性とか更年期などあったのだろう。
私はそのことを根に持ち、母を敬遠するようになった。
やがて母はパーキンソン病になった。
介護は父任せにした。
父が亡くなって母一人子一人になり、私が引き継いだが、抜ける手はすべて抜いた。
長いこと私を叱ったり悪態をついたりしなくなっていたのに、私がいないと困るからだと悪い方にばかりとらえた。
亡くなる前年のクリスマス、ぬいぐるみをプレゼントしてくれた。他のぬいぐるみ用の服が着せてあった。
いい歳のおっさんになんでこんなものを、と思った。
「連れて帰らないの」と母は聞いたが、適当な理由をつけて置いて帰った。
私はだんだんと身体が動かなくなっていく母を見せつけられるのが憂鬱で、私がしたことに喜ぶ姿すら重荷に感じるようになっていた。
転倒をきっかけに寝たきりになっても、私は世話をヘルパーや看護師に丸投げした。
弱った姿を見るのがつらいせいもあったが、何度転倒してもまた歩いていたから、なんとかなるという油断もあった。
じきに誤嚥性肺炎を患い、余命数か月の宣告を受けてやっと、私は自分の愚かさに気付いた。
その翌日、どう感謝を伝えればいいか考えていた矢先に、母はあっさり逝ってしまった。
次の日には好物を食べさせてやれるはずだったのに、私の重荷になるまいと急いで逝ってしまった。
私のいない間に逝ってしまった。
あなたの子に生まれて良かった、ありがとうと伝えることはできなかった。
ぬいぐるみが形見になってしまった。
でも見ているとどうしようもなくつらい。
私の喜ぶ顔が見たくて、動かない身体で一生懸命に服を着せたのに、なんでその気持ちが分からなかったのだろう。
そんな親不孝者でも、看護師やヘルパーには私の話ばかりして、私の心配をして、会うのを楽しみにしていたと聞いた。
ごめんね。本当にごめん。
いまさら謝っても聞こえないよね。いまさら感謝しても届かないよね。
あなたの子供に生まれて、私は幸せでした。