「自分は素晴らしいということにした。 それは自分の凄い部分を素晴らしいじゃなくて 全然出来ていない、最低だと思ってる底辺の部分を素晴らしいということにした」

上手に手を抜いて体力を温存したり、うまく作戦を立てて楽に結果を出したり、コツを掴むことによって効率的に物事を達成したりする人のことを「ズルい」と言いたがる人もいますが、実はこれこそが間違いなのです。

真面目な人が「ズルい」として非難する上記のような能力こそがこの世界では貴重で役に立つスキルなのです。

 

 

 

直すべきは他人では無くて、自分自身の観念を外さなければ、人生の行き詰まりを解決できません。

人生の行き詰まりを感じるのは、自分の観念が強い証拠なのです。

 

 

 

○歳だからできるわけない、やれるだけの能力が無い、といって考えるのをやめる。自分のためだけに生きる。法に触れなければ何でもオッケー。

 

 

 

 


スタバに行って混んでて入れなかった時は、
別に自分の中に理由を探さないし
「私はスタバに向いてないのかも…もう一生スタバにすっと入れないかも…」とか思わないのに、

夢が叶わない、とか
人と心を通わせることができない、とか
そんな時は自分の中に理由を探すし、
一度ダメだっただけで一生ダメな気がしてしまう。


スタバには「ちょっと行きたい。とりあえず行ってみよ~」と気軽に行けるのに
夢にチャレンジするとか、
気になる人に近づいてみるとか、
そういうことはものすごく気合を入れないとできなかったり、そもそもできなかったり。

変ですよね。笑


夢も恋も、スタバくらい気軽にしてみよう。

 

 

 

もしかしてこれ、敵を倒しながらゴールを目指すゲームじゃなくて歩く過程を楽しむゲームだったのか?

 

 

 

自分自身やあなたの人生に自分が課す期待や要求を変えることもできるはずです。  厳しいルール、いきすぎた期待、罪悪感の元となっている希望を手放せば、心が軽くなり、喜びが訪れることでしょう。

 

 

 

今日が過ぎるのを黙って待とう。自分自身にやさしくしてあげて、よりよい日が来るのを楽しみにしよう。 人生の痛みは、自分が成長、成熟し、喜びの器に穴を開け、喜びという水の入る容量を増やすチャンスだ。 今日は特別な成長のチャンスだ。 苦難にある人や自分自身に慈愛の念を持つ練習をするのに今日という1日を費やそう。

 

 

 

あなたが厳しいルールを緩いルールに変えられたら、それに従って生きるのは簡単になるでしょうし、罪悪感も減らせるでしょう。

 

 

 

 


夢や目標からモチベーションが湧く『自己実現と成長』、人と密に信頼・尊敬関係を築けている『つながりと感謝』、やるべきことはやるけど過度な競争はせず楽しもうという『前向きと楽観』、ありのままに生きようという『独立と自分らしさ』です

 

 

 

誰もがいろんなことを考えてはいるけれど、モノがすくないと、圧倒的に考えることが増えるんです。 だって、モノがなかった時代なんて、生活のすべてが、工夫とアイデアのかたまりじゃないですか

 

 

 

息子が今、つかまり立ちを日々練習してて。誰に頼まれた訳でもなく、毎日熱心に、しょっちゅう頭ぶつけながら、超頑張ってる。

でもたぶん彼は頑張ってない。

もう、思いのまま、楽しいんだろうな。

新しい世界が、どんどん見えて。

自分の出来なさとかぶつかる恐怖とか打ち消しちゃうほどなんだろうな。どんどん上達しちゃって。

学ぶもの多いな。

私は今まで不安と恐怖に突き動かされて生きてきたから、振る舞いも言動も未来も全部それで決めていたので、自分の気持ちに従って行動するのが怖すぎる。つかまり立ちのヨチヨチもいいところ。

 


「自分は素晴らしいということにした。
それは自分の凄い部分を素晴らしいじゃなくて
全然出来ていない、最低だと思ってる底辺の部分を素晴らしいということにした」

 

 


原因と結果の法則ってあるやろ。あれないわ。
何もしてなくても、凄いものがやってきたんだもん。頑張って種を蒔かなくても、素晴らしいものが次々やってきたで。