負け続ける人生をいかに受け入れ、それでもチャレンジすることが人生の勝利者への道
生き方なんて人それぞれなのに、それを他人と比べている時点で、たぶんもう自分にも相手にも負けていると思う。そうやって劣等感に襲われそうになったときこそ、考えてみるんです。人と比べてウジウジしている自分と、本当にやりたいことをやっている自分とどっちが好きかって。悩むのもいいけれど、だったらそれよりやりたいことを見つけることに自分の時間を使いたいって私は思うタイプ。劣等感がバネになるならそれもいいと思いますが、そうでない限りは人生の良し悪しを他人と比べても仕方ないかな、と思います
私は自分の知的好奇心をくすぐる刺激が欲しいタイプなんですよ。
さらに言うと、「私は常にワクワクできて、新しいものが入ってくる状態が好きな人間なんだ」ってことがよく分かりました。
仕事をする上でも、生きていく上でも、“強そうに見せる”っていうのは、大事なスキル。気が強そうで意見をズバズバ言うぞ!っていう風に見せると、相手があまり嫌なことを言ってこなくなるんですよ。
「仕事と育児」に加え、「遊びと睡眠」の時間も大切にするということ。趣味にかける時間も、たっぷり眠れることも、私が元気で生きていくには絶対欠かせません。
赤字覚悟で子どもが小さい間は家事育児をアウトソースしています。その間のメンタルが健康である方を重要視しました。
「結果が分かっている」から「やる気が出ない」のだとすれば、その結果を先に変えてしまえばいい。
それが無理だと言うのなら、元から君の求めているものは「その程度の事でしかなかった」と言う事だよ。
本当に心から人を求め、そこに存在する孤独を恐れずに楽しめる人は、自分自身と言うものを理解している人だ。
どうか、今の自分を否定せず、しっかりと受け止め、求めているものに恐れず立ち向かって欲しい。
頑張ってね。
人はみんな誰かと生きていきたいんです。
本当に頼りない生き物で、可能性も意外性も
ないけど、
だから、温かくて、愛しい。
一人で生きていくのはしんどい、
孤独でつらい時は誰かを頼ってみましょう。
しかし、それは友達がいないことから発しているのではなくて、自分の人生を楽しめてなかったり、調子がよくない時に限って起こるのである。
そんな時は何をしても楽しくないので、じっと耐えるしかない。ほっとくと、またすぐに友達Zeroライフを楽しみ始めるのである。
あなたの「感情」は、あなた自身に気付いてほしくてメッセージを送っています。自分の心としっかり向き合いながら、ゆっくりと自分のペースで感情のバランスをとってみましょう。
人の意見を聞いていると周囲と同じにしかなりません。
しかし孤独な人は自分で独自のものを積み重ねていくため結果として他の人にはない個性が磨かれ、成功していくのです。
本当に結ばれる運命にある相手ならば、その瞬間は必ずやってくる。
うまくいく、きっとその瞬間はやってくると前向きに考えることで、引き寄せることが可能なのです。
ただし、自分本位になりすぎてしまってはNG。
また不安になりすぎたり、相手を疑ってしまうと引き寄せは逆効果になる。
だからしっかり自分を持って自分を信じてあげることが大切になります。
僕らが死んだあと、僕らを苦しめた人々や見て見ぬふりをして人たちは、僕らの苦しみなんて知らずに「どんどん幸福」になっていく。好きな人と愛をはぐくみ、これから訪れる素晴らしい時代を感じて、僕らのことは何も考えずに天寿を真っ当してしまう。
悪人に人権や幸福があるなら、
僕らには「どんな幸福も享受する」権利があると。
それだけは忘れたくないし、自分の死を誰かに使われたり、いいように遊ばれたくない。自殺はそういうことを「オールOK」というサインになってしまう。
人生は無常です。決して同じ状態は続きません。今がどん底なら、床に落ちたボールが跳ね上がるように必ず上に上がります。だから、どんなに苦しくても、人生これで終わりだと思わず、決して希望を失わず、定命まで精一杯生きていきましょう。
「このままじゃまずい」という飢餓感は、未来を俯瞰したことにより突然生まれたのです。
やりたいことに溢れた、楽しげな人生とは、常に目の前に人参をぶら下げられた状態のようなものかもしれません。すぐ先の未来にやりたいことがある、そんな状況が人を空腹にし、やりたいことを成し遂げていく…
ニンゲンなんて皆くだらないし、セカイはドロドロとして灰色です。こんなものに期待して鬱鬱とするのはもう止めましょう。
セカイは自分、あなたを中心に回っています。あなたが明るくなればセカイも明るく、そういうものです。
ちょっと厳しい言い方になるかもしれませんが、あなたの発言は(私もですが)、「こんな親は嫌だ!はやく死んで欲しい!」と駄々をこねつつ暮らさせてもらっている子供の発言のそれと同じ事なのです。
その子供に、あなたは何といいますか?また、思いますか?
大抵のニンゲンであれば、「家出でもするか、もしくは自立しろ」と思うでしょう。
読書するなり、映画を観るなりして、とことん現実逃避をしてみましょう。現実に戻れなくなるのではと自分が心配するくらいに、とことん。
そして、湯船に浸るなり旅行に行くなり自分の好きな事をしてリラックスするんです。
仕事があっても休んでしまって構いません。
あなたの人生なんですから、我慢しなくてもいいんですよ。
あなたの意識で世界はいくらでも変わります。人はみんな違う世界を見ています。だからこんなにも意見が合わないのです。
誰よりも素晴らしい世界を見る為に、意識を変えてみましょう!
きっとそんなに難しくはないはずです。消えるより簡単です。
服を脱いだらば後は着るという選択肢しかありませんよね。それくらい、「全てを脱ぎ去った状態=終わり」の状態なんですよね。
更地にならないと、新しい建物が作れないように、人生についても今までの自分の当たり前と思っていることを全てガラガラと崩れない限りは、本当の意味での変化って起きないんですよね。
たった1人で日本を飛び出し海外で長期期間生活するというあまりにも非現実的な生活をしたおかげで病んだ心が治ったのです。
パタヤという街で16日間ほど生活しましたが、そこでの外こもり生活で今まで引きずっていた心の苦しみが全て吹っ飛びました。
「 もう疲れた、人生を終わらせよう 」なんて考えている人は吹っ切れてパタヤへ行ってみてください。
百聞は一見に如かず、です。
話を聞いているだけでなく、実際に自分で行ってみれば分かりますよ。
人生を終わらせる覚悟があるならその前にちょっとパタヤへ行くなんてことはへのかっぱだと思います
というか人生を終わらせる覚悟があるくらいなら仕事を辞めるなんてことは余裕でできます。
今の仕事を辞めたら人生終わりだ!! なんて思っている人は完全に勘違いをしています、その考えは間違っています。
仕事に期待値をかけない。分散的に生きる。
あとは準備を万端にしすぎない。
ここに行きたいという目標も完成形もありません。
ある瞬間に向けて、気を張っているわけではなく、気がちょうどいい状態をキープしています。
いい距離感が肝心。むなしさを消そうとせず、強烈に満足感を求めすぎないこと。どちらかが強くなるほど、むなしさは立ち上がります。
「そういえばむなしいかも」「考えてみたら満たされている」ぐらいの状態を、良いバランスで保っているのがベストな状態です。
その先が不安ってのも分かるんだけど、だからって言ってどうしようもないしな。今にプラス1ずつしていけばいいんじゃないか?それしかできない。でも努力は裏切ると心得よ。だから楽しい努力が一番ってこったね。どうせ「死にたい」なら死ぬのなら。徹底的に好きなことやればいいんじゃない?
覚悟ってのは、自分を追い詰めたり急き立てるものじゃないぞw
やりたいことやっていいんだ、幸せになっていいんだっていう許可をすることだぞw