何かに感動する。その感動を乗り越える。そのための挑みは、苛烈を極めるかもしれない。しかし、それが、命の役割だと思う。誰かに認められるとか、金になるとか、有利だからとか、安定のためなどといった、損得勘定を越える。それは、危険な道かもしれない。

しかし、私は生きている。生きている限り、絶望をすることもあるが、感動をすることもある。感動をすると「まだまだ、人生は捨てたもんじゃない」と思う。そして、同時に感じる。感動をしているだけじゃダメだ。感動をしたということは、その瞬間、自分に『責任』が発生をしたのだ。それは、自分が感動したものを、自分の生き様に宿らせるという責任だ。そうでなければ、真の意味で感動したとは言えない。誰かの生き様に心が震えたなら、自分もまた、同じように「真の意味で生きる」ことを目指すこと。それが筋だ。それは、誰かみたいになりたいと思うことではない。自分は自分。他人は他人。しかし、同じ人物にならずとも「同じ志を抱く」ことならば、できる。あらゆる偉人は、全員、志半ばでこの世を去る。それは、無駄なことではない。それは「乗り越えるものをまっている」ものだと思う。

 

感動は、引き継ぐと言うより『乗り越える』ものだ。自分が何かに感動をする。生きる実感を覚える。油断をすると、対象を崇拝したり、対象を布教するための生涯を過ごしそうになる。しかし、それは違う。なにかに感動を覚えるのは、その要素が、既に「自分の中にある」からだ。偉人も、凡人も、同じ人間だ。誰かを尊敬し過ぎることは、相手を人間以外のもの(悪魔か、神様)に変える。違う。我々は、同じ人間だ。何かに感動する。その感動を乗り越える。そのための挑みは、苛烈を極めるかもしれない。しかし、それが、命の役割だと思う。誰かに認められるとか、金になるとか、有利だからとか、安定のためなどといった、損得勘定を越える。それは、危険な道かもしれない。しかし、危険を生きることに充実を見る。そこで気付く。こんなにも生きたがっていた『命』の存在を知る。虚無感、空虚感、閉塞感、停滞感、絶望感、倦怠感、劣等感、それらを乗り越えるものは「危険に賭ける」ことなのだと、血を流しながら、涙を流しながら、思い知ることがある。

 

いばや通信より

 

 

 

 

そしてカモメのジョナサンの引用か、いいなぁ。私は私の飛び方で行く。その飛び方をこだわっていこうぜ。

 

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本当に力を注がなきゃいけないことは
自分が「いい」と信じたことを
高めていくこと。
じゃないかな。。と思います。
 

 

 


周りからどう見えるかよりも
世間的にどうかよりも
やっぱり自分の心がどう感じているかが
一番大切。
 
あなたがどう感じているか
私がどう感じているか
それを
数分でも思って
自分が生きやすい方を選ぶことを
許可してあげる
今日にしたいです。

 

 

 

 

「自分の価値を決めるのは
 
恵まれた環境でもなく
人からの承認でもなく
友達の数でもなく
経済力でもない
 
肩書きでもなく
才能でもなく
資格の数でもない
 
そして幸せのかずでもなく
不幸な出来事がないことでもない。
 
「自分の決断」です。
 
 
ありのままの自分の価値を見くびるな」

 

 

お金は減るもんだし
人はどうせいつか死ぬのに、
なんで嫌なことして、
好きなことにお金つかうの我慢してるんだろうって気づいて、
好きなことだけする日々がどんどん加速していってます。
もらったお金も好きなものに遠慮なく使います

 

 

 

 

「せっかく生まれてきたのだから、命響きあう そんな世界を見たいです。
だから私は誰になんと言われても、現状がどうであっても
「私には価値がある」「私は神様の作品」と信じて生きることにします。
今も素晴らしく、そして未来はさらに素晴らしくなると信じます。
奇跡をください。」

 

 

 

「断捨離」というその文字は
非情なようで、極端なようで
 
とても 愛 なのです。
 
本来注ぐべき所に
エネルギーも愛も時間も注ぐ。
 
ただそれだけなのです。
 
人生は終わりがくるから。
 

 

 

あなたはないがしろにされていい人じゃない。
あなたは馬鹿にされていい人じゃない。
あなたは軽く扱われていい人じゃない。

 

 

 

 

 
 
 
「一つのりんごの中に
いくつの種があるかは
数えることができる。
 

一粒の種から
いくつのりんごがなるか、
その可能性は無尽蔵です。」

 

 

 


「あなたの上に人はいない。
 あなたの下にも人はいない。
 
 
 あなたの上に人ができた時
 依存が始まり
 あなたの下に人ができた時
 支配が始まる
 
 
 素晴らしい立場のすごい権威者であっても
 あなたの人生ではあなたの上ではない
 あなたの脇役です。
 
 
 あなたがどんなに誰かを助けたとしても
 その人の人生の主役はそのひとで
 あなたは脇役です。
 
 
 あなたの上に人はいない。
 あなたの下にもひとはいない。
 
 
あなたを縛るものは何もない。
あなたが縛れるものも何もない。」

 

 


私たちは
「好かれるため」に生きているんじゃなくて
「幸せになるため」に生きています。

 

 

 

その売り込みたい商品。
 
あなたが大切に思ってるものを
大切に扱ってくれる人とだけ
商売をするんだよ』

 

 

 

切磋琢磨。
すべて「取り除く」ことばかり。
付け足すものは何もない。
 
 
ビジネスも同じ。
何をを削いで行くか。
 
 
それが本当に命を使うべきことに
まっすぐに進める秘訣かなと・・・。

 

 

 


本当は、、、
それよりも
 
 
何をしないか。
何を諦めるか。
何をそぎ落とすか。

 

 

 

 

条件が揃って
「生きやすくなった」
のではありません。
 
 
「生きやすい」方を
選んでいったから
夢が叶って
いったのです。
 
もっと具体的に言うと
生きやすい方を選ぶ自分

許していったから
夢が叶っていきました

 

 

 


生きづらい自分を赦せると今度は
生きやすい方を選ぶ自分を赦せていく

 

 

 

自分を縛っている
価値観や人から
自分が自立していく事
 
ようは・・・自分を信じるということ。
自分の人生を自分が選択していくということ。
 
 
ちゃんと目的をもってちゃんと愛されて
生まれてきているという事を信じること。

 

 


焦らず、どっしり、の練習
ずっと背伸びしてたのかもなぁ。

「やりたくないことはやらない」と決めてみても
友人(みんな働いている)と少し関わると
「やっぱり働いてみなきゃいけないかな?逃げてるだけかも?」と、焦りや不安が出てくる。

でも今は
「焦らず、どっしり構える」の
練習をしてみようかな。

振り返ってみればいつも
焦りや不安が出てきたら、ジタバタもがいて
無駄に疲れたり傷ついたり傷つけたり
&余計に拗らせていたような気がする。

待つのって、怖い。
何もしないのって、怖い。
自分が空っぽになる(人に言えるようなことを何もしていない状態になっている)のが、怖い。

今は、この恐怖と向き合ってみよう。