人がどうこうではなく、自分に集中する。 その方が人生の効率が一番良いのだとの考えに至り、人目を気にするのはある程度やめました。

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逃げてもいいし、避けてもいいし、おっぽり出してもいい とは、なぜか誰も教えない。
誰も助けない。 「ダメ人間」はかなりのタブーだからです。
でも、強制終了まで行く寸前になると、かすかな声で 逃げていい、やめていい、立ち止まっていいと 聞こえてくると思うんです。妄想でなく。
さあここからは禁断の「ダメ人間」ゾーン。

 

 

私たちの生きている世の中では、努力が必ずしも報われるとは限りません。善い行いを誰かが必ず見てくれていて、評価してくれているなんてこともありません。世の中は決して公平にできていないし、冷静に細部まで見ようとすればするほど理不尽で、辻褄の合わないなことだらけなのです。

 


にも関わらず、何か望まない結果が起きれば努力が足りなかった、罰があたったなどと言って、私たちは簡単に原因と結果を繋げようとしてしまいます。

 

 

努力は報われる、なりたいものになれる、失敗するのはダメな人間、とまだまだシンプルなルールに則って世の中を見ている人の方が多いかもしれません。

 

いざ世の中の不公平さの壁にぶつかり、自分が前提としていた信頼とすべての自信を失いかけたとき、それは必ずしもあなたのせいじゃないし、たった一つの結果があなたのすべてじゃない

 

 

何より、将来「腐る」ことを恐れる余り、今から「腐ってしまう」というのも本末転倒かと思うのです。

 


先々のことに思いを馳せるのは、「建設的」と言えなくもないですが、「建設的」はあくまで“的”なだけであって、「建設」はしていないのだと肝に銘じて下さい。


もっと自分の気を紛らわせ、誤魔化す作業をしていきましょうという話です。

 

 

とは言え、人間生きていれば、“取りこぼし”というのは必ずある。
いや、むしろあったほうが良いのかもしれません。
一度の人生で、歩めるルートには限りがあります。
裏を返せば、踏み固めず草ボーボーのままの未開部分があるからこそ、自分が歩いてきた道をハッキリ認識できるからです。

 

 

結局のところ、相談者ご自身も仰っている通り、「自分がどう思い、どうするか」でしかない。

 

 

ご自分でもハッキリとしたモチベーションがあるわけでもなさそう。
ガソリンが満タンでもないのに、結婚という遠くのゴールに向けての長距離ドライブとなればそりゃあしんどい。
ガス欠は必至。
最悪、山中で途方に暮れることになりかねません。
疲れるのも当然なのです。
しかし、
「ちょっと、いつもと違う人とご飯でも食べてみるか」
くらいなら、近所のコンビニに行くのと同じこと。

 

自分が機嫌良く暮らせれば、それが一番です。

 

 

“人と比べる”というのは厄介で、人生のコストパフォーマンスを非常に悪くします。

 


他人と比較して、
「くそっ、俺だって!」
と奮起するのは、若者の特権。
中年世代のモチベーション、残りの人生を走破するためのガソリンとしては、燃費が宜しいとは言えない。
若い頃と比べ残り時間に余裕がないため、そこに割く時間や気力の“勿体なさ”が相対的に増すからです。
40代の我々には、もはや贅沢なのだと悟りましょう。
当面、ご自分に関係のないことは、徹底的にミュート(消音)するのがお勧めです。
肝心なのは己、自分に集中することなのだと繰り返し心の中で唱えましょう。

 

 


人生にとって意味のあるデータは、つまるところ、“当社比”しかありません。

 

 

 

「全ては“なりたい自分”になれず、“自分らしく”生きることが出来なかった、『終わった人間』の世迷言」

 


裏を返せば、「なれた自分でやっていく」ということ。
失敗した、要領が悪かった、それで良いのではないでしょうか。

 

 

決して、思い描いたような人生でもないし、今現在「なりたい自分」になれているわけでもありませんが、“なれた自分でとりあえずやっていく”をモットーに、そこそこ機嫌よく生きている次第です。

 

 

「自己満足」。
とかく“ジコマン”は悪いことのように言われがちですが、筆者はそうは思いません。
何故なら、自分で自分に満足することほど難しいことは無いからです。

 

 


モデルルームがお洒落で綺麗なのは、そこに誰も住んでいないからです。
世に溢れている(ように見える)「素敵」は、あくまで展示品、エンターテインメントだということをご理解下さい。
惑わされるのは止めましょう。

 

 


人がどうこうではなく、自分に集中する。
その方が人生の効率が一番良いのだとの考えに至り、人目を気にするのはある程度やめました。

 

 

ご自身の幸福のため、ただただ楽しく生きれば良いのです。