その時が来るまで
何もせず、とりあえず生きよう。

確かに、うちの子モテるんですが、
別にモテたいと思ってないらしいです。よくイケメンだねとか言われるそうです。

オタク系のお友達はモテたいと思ってるようだけど、モテてないみたいです。

うーん、持って生まれたその子の素質の違い?かと思うのですが、、
正解が知りたいです!

 

 

幼い頃から、お金と男性には、困ったことなかった。
当たり前に、クオリティの高いお金と男性に、自分は囲まれていた。常に在った。

自分の中で、在って当たり前になっているものは、どうやったら手に入るか考えない。でも、当たり前になっていないものは、必死になってもがいて鬼の形相で探してるわ。鏡で見た自分の顔が怖かった。

当たり前って、自分への最高の贈り物だ!改めて、自分の中の豊かさを認めて受け入れるゾ!

 

 


常に「ある」んだってこと?

 

 

そっか!もうそうだから、そうなろうとしなくていいんだo(*゚▽゚*)o
あとは目の前のことを楽しむだけ。

 

 


そもそも凡人の人生が楽しいわけがない。世の中の言う通りに生きていたら必ずつまらない人生になるに決まっているんだから、そこから始めろ

 

 

 

でも人って、びっくりするくらい他人のことは見てない、考えてない。
「このくらいやってあげたんだから、感謝の気持ちくらいは示してくれるだろう」と想定していた反応が得られず、その度に憤りを覚えていました。
でも改めて考えてみると、「わたしはこんなにも苦しい中、わざわざあなたのために時間も労力も費やしたのに!!」という自分都合の考えが潜んでいたように思います。
そんなにイライラするくらいなら、むしろ人のために頑張る必要なんてないですよ。

 

 


『自分を犠牲にしてまでやったのに!』と怒りを撒き散らすくらいなら、「他人のため」には何もしないでいいから、ただ微笑んで座っててくれないか?
そっちの方が、よっぽど誰かのためになる。

 

 

むしろ肩の力を抜いて、ちょっぴり自分勝手な行動をした方が意外とうまくいきます。

 

 


「どうせヒマだし、ほしいものもないし、人の役に立つことでもしてみようか」と考える余裕

 

 


1. ヒマだから人の役に立ってみようかと思う
2. 相手が感謝しようがしまいが関係ない。だってヒマつぶしだから
3. その結果、人から感謝されることが増えていい方向に循環していく
この流れが、苦労もせず、自己犠牲もせず、心安らかに人の役に立ちながらうまくいくのだと思います。
「こんなに一生懸命やってあげてるのに、人の気も知らないで!」とプリプリする人は、まずはヒマになるまで人の役にたつ必要はないですよ。

 

 


好きなことに囲まれて、見栄も野心も全て吹き飛んで、やりたいことを思うがままにやってる。

 

 


唯一わかったのは、成長した未来の自分は過去を救うことができるということ。

 

 

 

 

ダメな自分を認めるということは、一見すれば「諦観」かも知れないけれど、よく読み進めていくと「より良い自分であろう、自分らしさの本質を見極めよう」ということでもある。

 

 

ひとの期待に応えようとすんな
ひとを喜ばせようとすんな

期待を裏切るのを怖がるな
罪悪感捨てろ。

 

 


僕も、やりたいかどうか以前に、仕事自体をやりたくなかったようだ。

シンプルに暮らしたい。ただそれだけだった。

生きていくって、そんなに複雑なことだろうか?

食べていく手段を自分で選べる今の時代は好きだが、ふと狩猟と採集で毎日を送っていた原始人たちの生活をうらやましく感じたりもする

 

 


何をやってもうまくいかない…

「何をやってもうまくいかないなら、
もう何もしないことにしよう」と
やっと、やっと、思えました。

5年間ほど、ずーっともがいてた。

「何をやってもうまくいかない時期」があるなら
「なにをやってもうまくいっちゃう時期」も
きっとある。

その時楽しもう。

その時が来るまで
何もせず、とりあえず生きよう。

 

 

 

今のわたしは 「正しい」という言葉があまり好きじゃない。

あれほど 世間の親の普通という
「正しい」を信じて頑張ってきたけれど
それは 「間違ってる」と思われたくない わたしは「正しい」を主張したかっただけなのかもしれないと気づいたから。

わたしの「正しい」は わたしだけの
ものでいいんだと受け入れるのは

どんな自分でもいいんだと思うことから始まったけれど

「正しい」は「間違っていてもいい」
と同じことなのかなって
思えるようになったら
なんだか あんまり まわりを
気にならなくなったような気がする。

なんか面白い感覚でいる。

 

 


「頑張らなきゃいけない」って思いをして辛かったり、たのしくない時は、
今やろうとしてることは、「たのしく生きる」という道からはずれそうですよ、なんか間違ってない?
「たのしい」っていう選択が出来るはずなのにわざわざ「頑張る」という選択をしていない??
って事なのではないでしょうか。