「『休む』は意志の賜物で、『頑張る』はむしろ惰性なのです。」

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ラクタとは、ズバリ「執着」です。今ではなくて、過去や未来に執着してしまう。その結果生まれてくるのがガラクタです。


ラクタがあるということは、自分が成長したということの証だからです。


いらないものを後生大事に持っているのは、必要な時に必要なものを与えてくれないのだろうと、天に向かって不信のメッセージを送るようなもの

 


楽しく豊かで気持ちのいい暮らしには、清潔な環境が欠かせない――だからやっぱり、掃除も欠かせないのです。

 


生きる苦しみは、一瞬で消すことができます。 それは、流れに身を委ねればいいのです。 頑張って泳いで勝ち取ることをやめて、奪うことをあきらめて、流れに身を任せた瞬間、頑張る必要も努力する必要もなくなります。 つまり、貴方が進化をし始めるのです。 ありのままの貴方を受け入れたら、後は楽しむだけです。 力を入れずとも、流れてゆきます。

 


現代人は概念で暮らしています。情報にあやつられ、テレビやパソコン、携帯電話など画面に映るものを信じます。顔を合わせて話すのではなく、用事をメールで済まそうとする。そのほうが少ないエネルギーで済ますことができます。そもそも声を出すのはエネルギーを使うので、面倒に感じるのです。  そうじもエネルギーを使います。面倒だと思わず、からだを動かし、ほうきを動かしてください。概念では得られない、清々しい空気がからだのなかに入ってくるでしょう。

 


毎日、誰のためでもなく、ひそかに、そしてきちんとそうじをし、日常生活を全うすることが「陰徳」なのです。

 


人生で一番経験値が高いのは「今日」  経験は、日を重ねるごとに積み上がっていきます。  悲しいことも辛いことも、楽しいこともいろいろ経験をして、自分の中で息づいています。  つまり、毎日必ず成長しているということ。

 


短時間労働で効率良く働き、最適に手軽においしいものを作る暮らし。常に片付いている清潔な室内で、楽しい運動、楽しい娯楽、そして愛らしいペットと一緒に暮らす

 


で、思いだしたのが、そうだ! 人生をあきらめたのに、なんで悩んでいるの?! と気が付いたのです。

悩まずに本当に好きな事する = 楽しい

 


全てを諦めて「何もできないダメな自分で生きる」ことを決めてからの方が、「生きてる」って感覚があったのが不思議でした。

 

頑張って自力で修行(雑行)してきたけれど、『上を目指す』という執着からであった。それを棄てて、仏さまの願いにまかせて力を抜き、私にできることをさせてもらおうと心を決めた

 


再起をかけた一発逆転マインドを捨てる

向いていない仕事を徹底的に避ける

 

「『休む』は意志の賜物で、『頑張る』はむしろ惰性なのです。」

失わないように努力しても必ず失うのだから その努力すら無駄なことなのだ。だからはやくやりたいことやろう。

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資産を貯めて家とかを買っても
結局は地震などの天災の前にはなすすべがない
今日を生きる金さえ手に入れば
どうでもいいように思えてきた

 


私は人より自分に疲れた派だな。
単に自分が世の中に適応出来てなくて、あの手この手も使い果たして、手持ちのカードもなくなって、淘汰されるタイプのやつだな〜って自覚しながら生きてる感じ。自分なりに頑張ったこと、楽しかったなって思う瞬間もあったし、地を這ったこともあるから自分としては最大限生きたんだよなぁ。
あと、私の頑張ったことは他の人からするとかなり「普通のこと」だからこういう気持ちは誰にも話せない。

 


たぶん、我々は、なにかに、ひたむきに取り組めば、それでいいんじゃないでしょうか。
人生なんて、そんなもんなんじゃないでしょうか。

 


開き直って諦めるの
来世に懸けるために陰徳を積む
人知れず良い行いをして自己犠牲に自分を痛めつける。
負けを認めた強さってあるからね。

 


自分も人生終わったって思って何度も死のうと思ったことあるけど、どうせ死ぬなら色んなことやってみてから死のうと思った。
日本人は真面目すぎるよね。
もっと適当に生きてみても良いと思う。
私は真面目に生きることをやめた。
自分を縛りつける物を全部捨てて、気楽に生きてます。
いつでも死ぬ覚悟があると、老後のこと考えなくていいから本当に楽ですよ。

 


私の場合、楽しそうな事を見つけたので、能力値や体裁を気にせずやっている。人の目を気にしていたら何もできない。 

どうにもならない人生をましにするのは図々しさだと思ってる。

 


仕事で幸せになるというのは、タカが知れている、ということです。

 もちろん、給料が上がったり昇進したりするのは嬉しいことですが、私たちの生活に直接幸せをもたらすか、といったら、それはちょっと違うんですね。

 それよりも、いつも部屋がきれいに片付いていて、キッチンに行くとおいしいご飯や飲み物を作ることができ、着るものはちゃんと洗濯された清潔な服で、ベッドのシーツやカバーがパリッとシワが伸びていて気持ちいい、というほうが絶対幸せなのです。

 そうした空間と時間は快適そのものでストレスフリーですから、体と心の疲れをリセットできるので、仕事に対するモチベーションが上がることも実感できます

 


「自分だけの解釈」を見つけて、  あなたの世界に新しく「ルール付け」をしていきます。

 


「世間体の安定」よりも「衣食住の安定」を取ることで、気ままに路上や山小屋、居候として暮らしている人たちがいたり、  「お金の安定」よりも「時間の安定」を取ることで、贅沢はできないけれどたまに嫌ではない程度の仕事をして、好きに昼間からお酒を飲んでいる人たち、  「将来の安定」よりも「今このとき」に目を向けることで、刹那的でもやりたいことに飛び込み、今の自分や心の安定を大切にする人たちがいたり。

 


自己解釈が極まると面白い変化が起こります。  解釈によって確立した価値観が外の世界まで影響し、生活や生き方がカスタマイズされていくのです。  僕はそんなカスタマイズされた生き方や自分だけの空間を『領域』と呼んでいます。

 


僕は「日常」や「世間から見向きもされないこと」からどれだけ楽しさや面白さを見つけられるか?が、自分の「遊びレベルの高さ」だと考えています。

 


・資本のために「お気持ち」を消耗したら結果的に儲からない。

・収益を考えるとき、かかる「ストレス」も含めて計算する

 


長い目で見た時に大切なのは「自分自身が満足できるか」という一点に挑み続けることだと思います。

その部分で一勝するためなら何回負けてもいいし、負けは全て経験値にできます。

 


ライオンが自主トレしないのと同じで、そのほかの動物でも自主トレをしている姿を見ることはありません。 「休むときは休む」というのが動物としての本来のあるべき姿です。

 


ぼけーっとすることをよしとする文化も必要ですし、ぼけーっとすることが楽しいと思えたら、人間はもっとラクになりますね。


失わないように努力しても必ず失うのだから その努力すら無駄なことなのだ。だからはやくやりたいことやろう。

むしろ楽天的に、のんきに生きていくほうが賢く、人生はより豊かになります。

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この地と一体となっている、「今、ここにいる」という気づきを得ている自分がいちばん幸せなのです。人間は寂しがりやなので、しっかりとしたつながりを実感するだけで、それが安心感となります。

 


上り坂のあとには下り坂が待っている。調子が上向きのときこそ心の片隅に、こんな覚悟が必要です。どんなときも生活スタイルを変えないこと──これが心を安定させるための、ちょっとしたコツなのです。

 


種まきをやる上で大切な事は、気楽な気持ちであり、かつ同時に沢山まくことだ。何が自分にとって本当に食まれるものなのかを見極めるために、たくさんのものを試してみる。あれこれと結果を考えるのは始めた後にということにして、何も考えていない位がちょうどいい。

 


1つの種しかまかないと、他と比較できないため、それが自分に合っているかどうかもわからない。つまり、たくさんの種を同時にまくと言う事は、自分の前に複数の道を作ることでもあるのだ。すると、たいして興味がなく始めたものの面白さを発見することもある。

 


「やりたいこと、得意なことをやって、自分にとってストレスや負担になることはやらない」ということ。その中で、さらにスキルアップし、よりいいものが生み出されるというスタイルです。

 


私にとって漠然とした不安から脱するのに一番重要だったのは「足るを知る」事でした。

不安というのは「足りない」ではなく「分からない」事からきていると思います。

我慢ばかりして身体を壊しながら、使い途の無い大金を貯める意味など始めからなかったのです。

 


人には、自分で自分を慌ただしい気持ちにさせるところがあります。  しかし、いくら慌てたところで、人生はどうなるものでもありません。  どんなに悩んでみたところで、事態が大きく改善するわけでもありません。  むしろ楽天的に、のんきに生きていくほうが賢く、人生はより豊かになります。

 


過去への後悔や悲しさと寂しさに埋没するのではなく、「母から貰った一度きりの命なのだから、いつ死んでも悔いがないように、自分なりに精一杯に生きよう」という今後へと頭が切り替わってきた。

 


なぜ、今の僕が、存在するかも不明な将来の僕のために我慢して生きなければならないのか。まず大前提としてそこが全く納得できない。今の自分が納得できる生き方をする。それだけの話ではないのか?将来のことなんて、将来が今になったときに、やっぱり今の自分が納得できる生き方をすればいいのではないか?その連続でやっていくしかないのではないか?

 


将来のお金のために今を我慢しながら働くというのは、一見すると堅実で合理的な判断に思えて、実はすごく非合理的であると気付いてしまった。今より将来、健康よりお金を優先しているのだから。

 


今の僕が将来の僕に対して出来る事は、嫌々働き健康リスクを高めながらお金を貯めてあげることではなく、今日という1日を納得できる形で大切に生きて、自分なりの人生観を醸成していき、色々と経験もして、どんな世の中であっても楽しく生きていける人間的な強さを築いていくことだろう。

 


自分なりにやれる事、やりたいと思える事を細々とでもやりながら、散歩して、読書して、のんびりして、静かに暮らしたい。そんな平凡極まりない暮らしを僕の心は欲している。だからそれを求めていく。頭でゴチャゴチャと考えて心を邪魔する事はもうしたくない。

 


お金はあくまでも生活をするための手段だ。より正確に言うと、自分が納得できる生活を送るための手段だ。

 


私は今40代で30代くらいまで似たようなことで悩んで実践したのですが、小さな成功体験の積み重ねって大事だと思いました
(私の場合「スクワット15回」とか「ハンバーグをレシピを見ずに作る」などです(^-^;)
何もやらないと何もできないままなので、1ヶ月一つとか目標を決めるといいです
できたら自分を褒めてください
自分より出来る誰かとは比べ嘆くのではなく、過去の出来なかった自分と比べて褒めるんです
成功体験が増えていくと、「何もできない」って感情が薄くなっていきますよ
これは体験談です

世の中は 「なんかしらんけどうまくいく」が いっぱいあるから。

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結局は自分が幸せに生きたらそれで良いんだよな。


ある人は年収数億円で仕事をしている事が生きがい。死ぬまで仕事をし続ける事が幸せ。


ある人は年収700万円、結婚していて子供もいる。仕事は忙しいけど、家に帰れば家族がいて、休日は家族と過ごすのが幸せ。

 


ある人は年収300万円、年収は少ないけど、残業が少なく、休日もしっかりある。

仕事から帰って、一人暮らしの4畳半でビール片手にNetflixで映画を観るのが幸せ。休みの日は趣味を満喫してる。

 


全員違う人生だけど、死んだらみんな一緒なんだよな。

結局、幸せに生きたもん勝ち。

 


行き着く先が同じなら過程は少しでも楽しく幸福な時間にしたいよね

 


「人間は誰でも不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる」

名声を手に入れたり人を支配したり

金もうけをするのも安心するためだ

結婚したり友人を

つくったりするのも安心するためだ

人のため役立つだとか愛と平和のためにだとか

すべて自分を安心させるためだ

安心を求める事こそ人間の目的だ

 


人生なんて罰ゲーム

 


私の好きな言葉

この考え方だとストレスと別居しやすい

 


活動の過程こそ人生の輝き

 


お金を稼ごうとする人は自分の亡き後、家族が苦労しない、繁栄する為に残そうとする。

本当はお金よりも、知識、常識、技術、考え方を残すべきなんですよね。

馬鹿にお金だけ残しても、直ぐに失敗してしまっては意味が無い。

両方を残せた人だけが、お金を残す意味が有る。

 


暇つぶしだから、人生なんて楽しんだヤツが一番の勝ち組。

 


人間の終着点の姿のみを切り取って人生の無意味さを悟るのってのは単純過ぎる気がする。過程でいくらでも何かを残せるはずだし個人の楽しさを追求してああ楽しかったで灰になって死んでも人生に意味は無かったなんて思えないんだよな。」

 


道中を楽しみたい

自分を好きになりたいから良い人でいたい

 


ゴールが一緒でも過程が大事なんだと思った

 


高校までは、将来起業してビッグになるんだ!とか考えてたけど、ここ1年で、どうせ死ぬならできるだけ頑張らずに苦しい事から逃れて生きてたいって考えに変わった

 


自分の限界を知る。人は他人に能力以上の事を求めてくるけど、能力以上の事をするとストレスが、たまったりいろいろ大変だけど、限界を知ってできることをできる範囲出すること。能力以上できなくても仕方ない。毎日、虎視眈々と出来ることだけを怠けずにする事。

 


自分には人と比べて刺激受けることよりも、あの人とは人種が違うからと割りきって人と比べずに自分のペースで頑張るのが向いてるってこと。

 


湧き上がってくる感情はコントロールできなくとも、それをあっさり手放すという形でコントロールしていくことができるようになります。「ありのままで」の利点は一つの感情に執着しないことに加え、今ある感情を手放すことで、次の気づきや感情を受け入れる余白が生じることです。

 


もうぜんぶ許して、いびつでボコボコでちっちゃくてクソみたいにダメな私のまま、堂々と胸張って生きる(  ̄▽ ̄)

 


『ここに来ている人たちは
枠におさまらなかった人
変だから普通の人になろうと努力した。
でもできなかったやんか。
変な人でいきよう。』


要は、
 
「自分の中を何で満たすか」
「自分のいる場所をどう整えるか」
 
それがひいては
「自分にとって最も快適で」
「自分にとって最もパワーの発揮できる」
 
状態にしていくこと

 


「逃げる」には、「1時間だけ、その問題から逃げてみよう」と考えてみましょう。

 

 


1時間だけ、今とまったく別のことをやってみる。  本屋に行くのでもゲームをするのでも、インターネットを見ることでも、なんでもいいのです。問題からいったん離れると、感情が切り替わります。感情が切り替われば、行動も変わるのです。

 

 

 

逃げられない状況が続き、追いつめられていても、何かしら自分の楽しみがあるはずです。それを見つけましょう。

 

 

 

なるようにしかならない。自分の実力の範囲でしか仕事ができません。それでも、なるようにはなる。

 


世の中は
「なんかしらんけどうまくいく」が
いっぱいあるから。

 


素晴らしい自分に「なる」のではなく
素晴らしい自分に「気づく」だけ。

だって、すでに、そうなのだから。

 


自分が持っているステータスを基準にして動かなければ
ただ自分をないがしろにして責めるだけになってしまう。


自分のステータスを把握して
活かしたり、諦めたりする。


それが「自分を認める」「自分を大事にする」ということに繋がるのではないのかなと

思いました。

執着しないとほどよくテキトーになれるからいいよね

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やるだけやってみるというのは、自分を俯瞰しながらも、中今という状態へと持って行く、いわば「意識のハイブリッド」です。  継続できれば自然と本当に感謝が生まれることと思います。人は余計な私心を持たなくなると意識が解放されます。心の自由はそこから始まるのです。

 


谷が深くても、「つらい!」と逃げるのではなく、「高い山があるのだから、深い谷もあるよね」「こんなに深いの? そんなん、知らんがな……」とつぶやきながら自分の道を進んでいけたら、そのプロセスすべてに肯定的な意義が生まれます。

 


結局、私たちは余計なことを考えて余計なものに手を出し、余計な評価を獲得しようとするから、余裕がなくなるわけです。  シンプルに、「本当に自分を幸せにするために必要なものは何か」ということに向き合えれば、実は、世の中のほとんどのことはどうでもいいことになるでしょう。

 


自己中心的利他で生きるのが理想ですね!お金を稼ぐため、社会的ステータスを上げるということを目的ににするのではなく、自分のやりたいことをやるために(家族を幸せにしたい、自分のやりたいことをやりたい)、好きな事、得意なことでお金稼ぐという順番であれば良いというところが響きました!

 


• 生きるとは「生きている」こと
• 出来ることしかできない
• 持っていないものは持っていない
• その日笑って暮らせれば幸せ
• 自分の物差しは自分だけのもの
• もっと自分のために生きよう
• 感謝しよう
一言で言うと、「死にはしないだろう」と「死ぬときは死ぬ」という考え方が自分の価値観の柱になりました。
だから他の細かいこととか、どうでもいい。
この考えが自分を救ってくれるようになりました。

 


勝利条件を失った戦い。持ち駒をどんどん削られていく。

王将はもうない。詰みました。参りました。

 


クズ人間でいいわ。

クズ人生でいいわ。

って

いろいろ諦めた。笑。

ゆっくり、

たくさん諦めていった。

 

もう、よりよい人生あきらめます。雑魚で、夢も希望もない、生きてる意味もないけど、最悪な人生であきらめることにしました!

 


「忘れるって重要な修復機能のひとつ」

――怒りも悲しみも、時間が経つと変化します。そういう意味でも、時間をかせぐことは大事ですね。

 「感情が変化するのは、大事な人間の機能です。『傷』って大きいものでないかぎり、勝手に癒えるじゃないですか。少なくとも体は治そうとする」

 「それと同じで、忘れるって重要な修復機能のひとつだと思うんです。嬉しいことも悲しいことも、一緒にだんだん角が取れて、変わっていきますから」

 


成長することを辞めるかわりに、これらの新しい、ありえない習慣を始めてみることが、今までの成長に代わる新しい成長だと思ってください。

今の自分では思いもよらぬ変化は、今の自分では思いもよらぬ習慣からこそ、生まれるのです。

 


何かあるんですよー。

嫌われる原因じゃないかもしれないけれど

その人が「この人生」で

やらないといけない課題が。

 


で、そういう人って

「嫌われる」にフォーカスして生きてるから

友達作ろうとして何か頑張ったり

好かれる自分になるために何かをつけたそうとしたり

仲間を作ろうといろんな場所に顔を出したりします。

 

 

でもそれはたぶん違うと思うのよね。

 

 

きっと「一人でやること」があるはずなのよ。

その人は。

 

 

 

人間関係は

「目的」「目標」ではないと思っている。

「人気者になる」も同じ。

その先にあるものが大事だと思う。

 

 

私が私の人生を最後まで生きる時に

「好かれる」「嫌われる」は

大きな問題じゃないと思える。

 

 

 

いちど全部

ちゃぶ台返しして

一から積んでも面白い(#^.^#)

 


自分で選んでいく。

これが大事なのだろうと思うのです。

情報の内容なんて、何だっていい、とさえ思います。

 

そして、できるなら

「それはないでしょ」「あり得ない」

思い切ってそちらを選ぶ勇気も持ってほしい。

 


人の言うことを鵜呑みにせず、人の言うことを正解とせず

「それはないでしょ」「あり得ない」

ぜひ、そんな選択を。

 


お金は減るもんだし

人はどうせいつか死ぬのに、

なんで嫌なことして、

好きなことにお金つかうの我慢してるんだろうって気づいて、

好きなことだけする日々がどんどん加速していってます。

もらったお金も好きなものに遠慮なく使います

 


自己肯定感は、他人の目や評価わ気にせずに、自分の価値観を貫く力を増幅させます。自分の価値観が確かなまのになれば、より満足のいく選択、より間違いのない「あきらめ」ができるようになります。

 


「幸せでなければいけない」と、思わないほうが幸せ。

余計な荷物は、おろしていく。

 


特殊な進化を遂げてしまえば競争はないのです。

 


人生版ドラクエも、夢を叶えることはいったん忘れて、スキルやステータスを上げることそのものを目的にする。

新しい技術を覚えることや、同じ仕事の時間をどんどん短縮する。健康に関するステータスを上げる。

 


「物差しにそって生きてるだけで人生成功している」他人の物差しに左右されず、自分だけの物差しに従って生きていきます!!

 

執着しないとほどよくテキトーになれるからいいよね

他人から見たらクソどうでもいいことをたくさんやっている人のほうが楽しいですよね 役に立たない何かに価値があると思い込んで、楽しめる人のほうが、人生は楽だと思うんですよ。

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人には、自分で自分を慌ただしい気持ちにさせるところがあります。  しかし、いくら慌てたところで、人生はどうなるものでもありません。  どんなに悩んでみたところで、事態が大きく改善するわけでもありません。  むしろ楽天的に、のんきに生きていくほうが賢く、人生はより豊かになります。

 


名誉と自分の体はどちらが大切か。財産と自分の体はどちらが大切か。ものを得るのと、失うのはどちらが苦痛か。

 名誉に執着すれば、それだけ気疲れも多く、財産を蓄えれば、それだけ損失も大きい。

 現状に満足することを知れば、恥を受けることも無い。ほどほどを知れば、危険な目に会うことも無い。このようにすれば、身は安泰だ。

 


自分にとって辿り着きたい理想の人生が見えていない段階では、蓄えたお金をどうやって活用すればいいのかも見えてきません。  資産運用や自己投資すること自体が正解ではないです。  あくまで自分にとっての理想を実現するための手段として、資産運用や自己投資があります。

 

 

 

自分の適性、向き不向きに目を向け、違和感を見て見ぬふりすることなく、不要なものをそぎ落としていこう。

 


どんなに孤独を感じているときも、あなたは決して一人じゃないということを忘れないでください。  あなたのそばには、いつだって見えない存在がいてくれます。「同行二人(どうぎょうににん)」とは、一人で歩いていても常にお大師さま(弘法大師)が共にいてくれるという巡礼の言葉です。  ご先祖様や神様、高次元の存在など、表現の仕方はたくさんありますが、いつもそばにいて見守ってくれている見えない存在たち。  そして、肉体的にはそばにいられなくても、あなたのことを想ってくれている大切な家族や友人がたくさんいること。  その見えない人たちのパワーをいつも私たちはいただいています。  見えるものと見えないもの、両方を見ようとすることが大切です。  私自身、自分がマイナス方向に陥ったとき、真っ暗な部屋にいて光は見えず、孤独を感じていました。  だけど、生きていたからこそ、この世界が見えたという現実があります。まさかその先にこんな世界が待っているとは思っていませんでした。  大切なことは、生きることを諦めてはいけない! ということ。  生きていればこそ見えてくる光があると私は知っています。 何者かになろうとしなくても、あなたがあなたのままでいればいい。

 


「自分は、傷ついても、失っても大丈夫」
「自分は、失敗しても価値は変わらない」
「自分は、嫌われても愛されている」


この、底辺でオッケーだす。
実際それをやってみながら。

わたしこの、
底辺にオッケーをだす、に
めちゃめちゃ安心してる。

 


他人から見たらクソどうでもいいことをたくさんやっている人のほうが楽しいですよね
役に立たない何かに価値があると思い込んで、楽しめる人のほうが、人生は楽だと思うんですよ。
結局、周りになんと言われても、世間に理解されなくても、自分がおもしろい、大切と思うことをやっているほうが、毎日は楽しくなるんです。
自分にとって楽しいことを5個ぐらい見つけて、毎日それをやっていると、満足感がありますよ。 すごい実績なんてなくても、人って結構簡単に幸せになれるのです。 

ちなみに僕は、家でゴロゴロしながらゲームをしたり、映画を観たりするのが好きです。家の中だけで、幸せが完結します。  他人と比較するのは、もうやめましょう。自分が好きなことをして楽しむのが一番だと思いますよ。

暇な時間があったときなんかに「やったー、楽しい!」と思える日々を送っているかどうかが大切です。

 


大好きなアイテムであっても、モノと自分との関係性は常に新陳代謝しています。今の自分にとって本当にお気に入りなのか、今一度向き合って考えることも大切です。なかにはもう「不要・不適・不快」なモノもあるかもしれませんよ。

それが、ある日急に「足りている!」って気づいたのです。 もう十分。もう足さなくていい。 薄味でいい。素材そのまま、つまりいまのままの自分でいいと。

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消化試合なんだし、法を犯さない程度に今まで経験した逆を経験してみては?60代になったらまた考えましょう。

 


もし余命あと1年なんて言われたら、今すぐやりたくないことをやめて、やりたいことをやり尽くすと思います。

でも、余命宣告なんて受けなくても、そうすればいいんですよね。。

まだまだ生きられると思っているから、先のことを考えすぎて、なかなか「今」やりたいことをやれていません。

 


大丈夫、必ず、あなたを助けてくれる人がそばに居るから。あなたはあなたが思っている以上に、周囲の人たちから愛されています。常識にとらわれず、正論という人の言葉に惑わされず、行きたい方向に進んでください。

 


一度しか無い今の人生を、無駄にせず楽しんで下さい。生きていることを体感し、味わい尽くして下さい。生きているだけでいいんです。嫌な事もあるけど、いい事もあります。

 


人の価値観で生きるのを、やめてください。人生なんて、そう長くないんだから、思ったほど重大な事なんて起こらないし、暇つぶし程度に生きてみたっていいんです。

 


生きているだけで、丸儲けという言葉がありますが、あなたにはまだ経験していない幸せがあります。目の前に落ちている、ほんの小さな幸せを探してください。小さな幸せを見つけ積み重ねていくと、あなたの価値観で幸せを感じる達人になれますから。

 


水は穢れを流して

火は穢れを焼き切る

 


火は過去を消し、浄化する作用があります。

 


自らの罪悪感に浸っているようにみえるが、実は他者への怒りや叱責の念と同じだ。

 


それを変えるには一日一善、他人を喜ばせること。を、すすめている。

 


というようなことが書いてあり、昔、何度も何度も泣きながら読みました。

今振り返ると、全ては自分、ということが分かります。

 


外のトイレをちょっと拭くとか、ゴミを拾うとか、道を譲るとか、周りの人にお菓子を配るとか、話を聞くとか、共感するとか、すると、心が楽になります。

 


良質な機械仕上げの大量生産の「結果」ではなく、無駄で人間くさい非効率に時間をかけた「過程」やデザインにこそ一部の人間が生産的な価値を見出したりもしますが、それが金銭的に売れない作品や景色だろうが、笑いだろうが、2ちゃんのバカバカしいスレッドも、ニコニコ動画の祭りも、ある種の人にとっては全く生産的でない大きな「意味」を持ちます。

 

 


☆毎日、目の前のことをして、生活の中に小さな楽しみを見つけましょう。自分で楽しく生きなければ、人生って案外早く終わり(寿命)が来ます。皆が皆80・90まで生きるわけではないですよ。急な病気の発見で、もう生きる日数が無いんだと分った時、毎日がどんなに惜しい物か分るでしょう。

 


総ての人には役割があり、それを全うするしかなく、この世に生まれてきたことは、特別で尊いものであると言うこと。自分が生きている間の行いは、全てあの世界ではわかっていて、記録されていること。確かに運命は決まっている部分があるが、だからと言って、前向きに生きなければいけないこと──。 人は独りで生まれて独りで死ぬのだけれども、生前からの大いなる仲間もいるし、完全なる光の世界にも還ることが出来る

 


なるようにしかならない。自分の実力の範囲でしか仕事ができません。それでも、なるようにはなる。

 


僕が大切にしているのは、具体的なキャリアプランやキャリア戦略ではなく、その時点でどの方向に行きたいのかと言う感覚です。自分なりの価値基準で、こういう仕事をしていきたい、こういう仕事はしたくない、これさえ決めておけば充分だと思います。

 


絶対にあがくことだけはすまいと心に決めています。これまでとは別のことをもう一度やろうとか、新しい何かに挑戦するのもまっぴらです。頼りない才能と芸風だけを頼りにこれまでやってきました。自分の芸と心中するしかないと割り切っています。それまでは、絶対悲観主義を堅持しつつ、自分の道を行けるとこまで行くつもりです。

 


それが、ある日急に「足りている!」って気づいたのです。 もう十分。もう足さなくていい。 薄味でいい。素材そのまま、つまりいまのままの自分でいいと。

 


「非常識人間」として生きることにしました。

いい人とか、常識人とか、生きていく上でとても大事だと思っていたけど案外そんなこと誰も気にしていないし、

もっと「ただ生きていく」だけでいいんだなって思います。

 


たっぷりと休みをとって

やるべきことを、

減らしてのんびりしよう。

余白は本当にやりたいことに気付きを与え、

エネルギーが湧いてくるのを感じるだろう。

 


「必要以上」の豊かさは要らないのかもしれない。

「必要以上」の結果は要らないのかもしれない。

そもそも「結果」は要らないのかもしれない。

だから「努力」も必要ないのかもしれない。

「それ」がなくても、

「すでに」幸せなのだから

それ以上の結果を残すために

死に物狂いにならなくてもいいのかもしれないし

結果を残せないことと

自分の価値とをくっつけなくてもいい

 


人間にとって成功とは一体なんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか。夢がたとえ成就しなかったとしても、精一杯挑戦した、それで爽やかだ。

 


才能はダイヤの原石なんかではなくて、どこにでも落ちてる道端の石ころを延々と磨き続けることなんだと思う。

 

そもそもの希少性があるから価値になるんじゃなくて、面倒すぎて誰もやらないから価値が生まれる。

 


夢や理想を諦めた。 

いい人になろうとするのやめた。 

自分のドス黒さを受け入れた。

 


幸せのハードルを下げて自分を好きになることが、

人生を幸せに生きる為には、

とても大事な土台の考え方になると思います。