それが、ある日急に「足りている!」って気づいたのです。 もう十分。もう足さなくていい。 薄味でいい。素材そのまま、つまりいまのままの自分でいいと。

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消化試合なんだし、法を犯さない程度に今まで経験した逆を経験してみては?60代になったらまた考えましょう。

 


もし余命あと1年なんて言われたら、今すぐやりたくないことをやめて、やりたいことをやり尽くすと思います。

でも、余命宣告なんて受けなくても、そうすればいいんですよね。。

まだまだ生きられると思っているから、先のことを考えすぎて、なかなか「今」やりたいことをやれていません。

 


大丈夫、必ず、あなたを助けてくれる人がそばに居るから。あなたはあなたが思っている以上に、周囲の人たちから愛されています。常識にとらわれず、正論という人の言葉に惑わされず、行きたい方向に進んでください。

 


一度しか無い今の人生を、無駄にせず楽しんで下さい。生きていることを体感し、味わい尽くして下さい。生きているだけでいいんです。嫌な事もあるけど、いい事もあります。

 


人の価値観で生きるのを、やめてください。人生なんて、そう長くないんだから、思ったほど重大な事なんて起こらないし、暇つぶし程度に生きてみたっていいんです。

 


生きているだけで、丸儲けという言葉がありますが、あなたにはまだ経験していない幸せがあります。目の前に落ちている、ほんの小さな幸せを探してください。小さな幸せを見つけ積み重ねていくと、あなたの価値観で幸せを感じる達人になれますから。

 


水は穢れを流して

火は穢れを焼き切る

 


火は過去を消し、浄化する作用があります。

 


自らの罪悪感に浸っているようにみえるが、実は他者への怒りや叱責の念と同じだ。

 


それを変えるには一日一善、他人を喜ばせること。を、すすめている。

 


というようなことが書いてあり、昔、何度も何度も泣きながら読みました。

今振り返ると、全ては自分、ということが分かります。

 


外のトイレをちょっと拭くとか、ゴミを拾うとか、道を譲るとか、周りの人にお菓子を配るとか、話を聞くとか、共感するとか、すると、心が楽になります。

 


良質な機械仕上げの大量生産の「結果」ではなく、無駄で人間くさい非効率に時間をかけた「過程」やデザインにこそ一部の人間が生産的な価値を見出したりもしますが、それが金銭的に売れない作品や景色だろうが、笑いだろうが、2ちゃんのバカバカしいスレッドも、ニコニコ動画の祭りも、ある種の人にとっては全く生産的でない大きな「意味」を持ちます。

 

 


☆毎日、目の前のことをして、生活の中に小さな楽しみを見つけましょう。自分で楽しく生きなければ、人生って案外早く終わり(寿命)が来ます。皆が皆80・90まで生きるわけではないですよ。急な病気の発見で、もう生きる日数が無いんだと分った時、毎日がどんなに惜しい物か分るでしょう。

 


総ての人には役割があり、それを全うするしかなく、この世に生まれてきたことは、特別で尊いものであると言うこと。自分が生きている間の行いは、全てあの世界ではわかっていて、記録されていること。確かに運命は決まっている部分があるが、だからと言って、前向きに生きなければいけないこと──。 人は独りで生まれて独りで死ぬのだけれども、生前からの大いなる仲間もいるし、完全なる光の世界にも還ることが出来る

 


なるようにしかならない。自分の実力の範囲でしか仕事ができません。それでも、なるようにはなる。

 


僕が大切にしているのは、具体的なキャリアプランやキャリア戦略ではなく、その時点でどの方向に行きたいのかと言う感覚です。自分なりの価値基準で、こういう仕事をしていきたい、こういう仕事はしたくない、これさえ決めておけば充分だと思います。

 


絶対にあがくことだけはすまいと心に決めています。これまでとは別のことをもう一度やろうとか、新しい何かに挑戦するのもまっぴらです。頼りない才能と芸風だけを頼りにこれまでやってきました。自分の芸と心中するしかないと割り切っています。それまでは、絶対悲観主義を堅持しつつ、自分の道を行けるとこまで行くつもりです。

 


それが、ある日急に「足りている!」って気づいたのです。 もう十分。もう足さなくていい。 薄味でいい。素材そのまま、つまりいまのままの自分でいいと。

 


「非常識人間」として生きることにしました。

いい人とか、常識人とか、生きていく上でとても大事だと思っていたけど案外そんなこと誰も気にしていないし、

もっと「ただ生きていく」だけでいいんだなって思います。

 


たっぷりと休みをとって

やるべきことを、

減らしてのんびりしよう。

余白は本当にやりたいことに気付きを与え、

エネルギーが湧いてくるのを感じるだろう。

 


「必要以上」の豊かさは要らないのかもしれない。

「必要以上」の結果は要らないのかもしれない。

そもそも「結果」は要らないのかもしれない。

だから「努力」も必要ないのかもしれない。

「それ」がなくても、

「すでに」幸せなのだから

それ以上の結果を残すために

死に物狂いにならなくてもいいのかもしれないし

結果を残せないことと

自分の価値とをくっつけなくてもいい

 


人間にとって成功とは一体なんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか。夢がたとえ成就しなかったとしても、精一杯挑戦した、それで爽やかだ。

 


才能はダイヤの原石なんかではなくて、どこにでも落ちてる道端の石ころを延々と磨き続けることなんだと思う。

 

そもそもの希少性があるから価値になるんじゃなくて、面倒すぎて誰もやらないから価値が生まれる。

 


夢や理想を諦めた。 

いい人になろうとするのやめた。 

自分のドス黒さを受け入れた。

 


幸せのハードルを下げて自分を好きになることが、

人生を幸せに生きる為には、

とても大事な土台の考え方になると思います。